第3話 迷惑ユーチューバーファイター 

(一)

 ある日、ユーチューバー格闘家を名乗る男が訪ねてきた。



   ◆ ◆ ◆



 久雅堂がA先生の道場で柔術を教えだしたことによって変わったことの一つに、アカウント名を変更したということがある。


 久雅堂@☓☓流


 とした。

 あとプロフィール。

 流派の免許皆伝と入れた。元々は流派の免許といってもやってるのはほぼ柔道だけだったわけであったし、別にいれるほどではないか、と思っていたのであるが、形と口伝について知ったわけであるから、自分も流派の継承者として名乗ってもいいかというくらいの自負ができた。

 久雅堂もそれなりに虚栄心は持っているし、一応、古流柔術を継承しているからには弟子もとらないといけない、などという使命感もわいてくる。

 とりあえず流派の公式ホームページも試しにとビルダーで作ってみたが、どうにも自分のセンスのなさを再確認しただけに終わってしまったけれど。

 とはいえ、足元の定まらぬまま、色々と手を出してしまうのが久雅堂という男である。

 古流柔術の形稽古と指導だけでは身体が鈍る、というのもあった。

 まだまだ二十代も半ばというくらいの久雅堂は、柔道教室の師範たち、日拳道場の先輩たちのツテで、県下の色々な武道を経験してみた。

 とりあえず経験するだけならと、剣道、薙刀、杖道、居合、ブラジリアン柔術、フルコン空手、伝統派空手、古流空手、ボクシング……そして、合気柔術――など、色々とやってみた。

 色々とやってみたが、どうにも自分には武器の扱いは向いてないなあ、ということがはっきりした。


 剣道は楽しかったが、竹刀の操作が上手くいかない。久雅堂はとにかく不器用な男であった。

 それでも反射速度、筋力はそれなりであったから、遠間から飛び込むように入り、切り返しの稽古の要領で面篭手と繰り返し打ち続け、相手の防御を打ち崩すようにして面を決めるのは爽快であるが、それだって対策をとられたらそうそう通じるものではない。

 これからも工夫の余地はあるかな、というところで今でもたまに通っているが、大会にでたりするような目標があるわけでもなく、段位がとれたらいいなあくらいの気持ちである。ゆるい。


 薙刀も杖も、道具の操作というのが上手くいかない。より正確には、道具の操作を自由攻防の中で行うというのがなかなか身につかなかった。形の類は覚えるとそれだけはきっちりできなくもないが、試合となるとなまじ筋力があるので、ほどほどにぶん回してたらそれなりに勝てる。それは上手いというのも違うなあと久雅堂は思っているし、薙刀は相手がお年寄りか女子なので、なんだかやってて気が引けた。

 もっとも、薙刀道場の人たちにはちょくちょく呼ばれた。


「練習相手にはちょうどいいので」


 ほどほどにパワーとスピードがあっても技術がない久雅堂は、女子高生でもどうにかこうにか相手にできそうというのと、全国大会を目指すからにはタッパもパワーも男子並みという選手もいて、そういう選手にとっては久雅堂は稽古相手にはほどよい加減らしい。

 そういう事情で時折に出稽古にきた女子高生から指名されて呼ばれることもあったが、個人的にモテているということはまったくなく、三十人もの女子高生相手に一日中相手させられた時は、本当に死ぬかと思った。


 居合は当人的にはやる気があったのであるが、これがまた合ってなかった。礼法からして頭に入らない。これは先生との相性が悪かったのかもしれない。そんなに印象は悪くないのだが。あれこれと一通りの形はできるようになったが、それ以上はあまり進める気にもならず、稽古もほとんどいっていない。先生には年賀状を送る程度の付き合いである。四万円もの模造刀を買ったのに。


 ブラジリアン柔術は、これは柔道の親戚であるから自分に合っていると久雅堂は思っていたのだが、実際にやってみるとそうでもなかった。柔術は頭を使う競技である。別に柔道だって頭を使わないわけではないのだが、寝技の攻防を旨とするブラジリアン柔術は、頭の回転が速い方が有利である。

 久雅堂はあまり器用ではなく、そして頭の回転もあまりよくなかったので、そのあたりで察していただきたい。

 五年以上の柔道の蓄積とフィジカルがあったので、週イチペースでも三ヶ月くらいでそれなりの技は覚えられたが、そんなに自分に向いてないかもなあと久雅堂は思いつつ、どうしたものかと悩んでいる状態だ。


 空手は、フィジカルがあったし目もそれなりいいので、結構いいところにいくのではないかと思っていたが、これは詳細については後述するが、フルコン、伝統派、古流を問わず、どれもあんまり向いてなかった。


 ボクシングは、実のところ先輩たちが「ボクサーすげえ速いよ」と進めてくれたので通ってみたが、当人はあんまり乗り気ではなかった。何せ久雅堂はその時ですでに二十代も半ばを過ぎていたわけで、ボクシングを始めるのには遅すぎるのだ。そして地方のボクシングジムに、100キロ近い久雅堂に見合うウエイトのボクサーもなかなかいないという現実がある。


「最近はダイエット目的のエンジョイ勢も、そんなに珍しくないから」


 というわけでジムの会長とコーチは、選手になるには遅すぎる年齢の久雅堂にボクシングを丁寧にコーチしてくれた。

 そして意外なことに、ボクシングは久雅堂に結構合った。というか、彼のファイトスタイルに噛み合った。

 この詳細もまた別に語る。


 そして、合気柔術――は、まったく合わなかった。

 

 不器用な久雅堂には、微細な感覚や間合いの妙を必要とする合気柔術は致命的に合わない。それは通う前からある程度は解っていたことである。とはいえ、何かしら関節技は何か面白そうだと思っていたし、合気柔術も体験したいとは思っていた。

 力をどれだけ使おうとも無効化されるという「合気」の技、漫画や小説では定番の技であるし、色んな団体の先生の動画がいつでもいっぱい見られるが、実際に体験したかったのだ。

 で、結果として。

 久雅堂は合気柔術にかなりハマった。ハマったというか、師範の技に随分と魅せられた。

 この師範は割と大きめの合気柔術の団体で教授代理を得ているという人物で、そのときはまだ還暦前だった。様々な武道団体を渡り歩き、最終的に今の組織に所属して指導しているのだという。名前は公表するとやはり差し障りがあるので、ここではG先生と呼ぶ。

 G先生は100キロ近い久雅堂を座捕り合気上げで持ち上げ、立っても同様に持ち上げ、挙げ句に片手を正面から掴むだけで動けないようにした。

 

「あ、こういうの漫画で見た」


 といたく久雅堂は感動した。本物の達人だ、とまで思った。

 A先生も同様の意見であって、先輩たちも含めて門下生だけで集まって色々と習った技を試し合ったりしたものである。A先生も合気柔術の教授代理は持っていたのであるが、G先生ほどの鮮やかな技の使い手はそういないと言っていた。G先生はY先生は当然としても、A先生よりもさらに若かった。年下であるにもかかわらず心服していた。

 先輩たちは「入門する時、俺たちは試合挑んだんだよ」とか言っていたが、正直、久雅堂には解らない世界だ。先生の腕試しとかなんだか怖い。それでも聞いてみると暗に久雅堂にも先生に揉んでもらえ、みたいなものいいは伝わってきた。G先生に対する全幅の信頼があった。


(けど正直、打撃とかあたったらどうしよう。なんか怖いことになりそうな……)


 くらいのことは思う。

 この場合、怖いというのはあたってしまったら、どういう風に反撃されるのかが怖い、という意味である。

 何せG先生はとても体格がいい人で、久雅堂と身長は変わらず、体重は恐らく少し軽いが、それでも80キロは超えているはずだ。還暦近いとはとても思えない若々しさがあった。この先生がするすると入身転換したりするのは、正直怖いし後ろから見ていると歩いていても頭がほとんど揺れてなくて、気持ち悪い。

 元々フィジカルに優れている人が、鍛え、絶妙な技術を持っているとか。その時点で怖い。

 とはいえ、G先生当人の身体能力は別にして、現代格闘技の打撃に対しての防御技術が合気柔術にあるかというと、久雅堂には少し疑問だった。日拳の先輩たちは打撃こみで負けていたように話していたが、それも結構前らしい。


(ジャブとローキック中心に攻めたら、対応できないんじゃないかな?)


 久雅堂は考える。

 恐らくは先輩たちとG先生が試合した頃は、先生の反射神経なりが並外れていたからどうにかなっただけで、そういうものは加齢と共に衰えていくものだ。正確な年数は解らないが、五年十年と昔ならそれができても、今はできなくなっている可能性は高い。

 しかし、それでもしも当てることができたとして、それで勝てるだろうか?

 自分のジャブとローで、どうにか封殺できるのだろうか?

 いや無理。

 なんというか、格が違う、と思った。完全に久雅堂はG先生にこの時点で位負けしていた。もしも半端に打撃当てて切れさせたら、なんかエゲツない反撃くらって大変な目になりそうな気がしたのだ。


(何処か掴まれたら、あの体捌きですぐ投げられる……)


 そんな風に思わされた。

 そんなに交流があるわけでもない先生を、怒るとキレたら怖い人みたいに勝手に思い込むのもたいがいであるが、G先生はどうにもそういう雰囲気があった。

 今まで出会った先生方も、みんな何かしらただならぬ空気を漂わせていたものであるが、この先生は特に「怖い」。

 

(なんつーか、Y先生やA先生みたいな、『先生』って感じじゃないんだよなあ……)


 先輩たちに、ちょっと似ている気がした。指導者とかやってるけど、まだ自分の強さの探求をやめてないし、勝負を挑まれたら相手を倒すのに躊躇がない――そういう印象だった。


(うーん……なんというか、ガチ勢?)


 武道エンジョイ勢の自分とは、端から種類が違うというか……。

 先輩たちもそうであるが、もっと何か容赦ない対応をしてきそうな感じがした。


 結局、久雅堂は立ち関節なし、寝技ありの……ありていにいえば柔道ルールで試合したわけであるが、やはりというか結局というか、てんで話にならなかった。

 襟をとった時点で、袖を掴んだ時点で術中にあるのが解った。次の瞬間には崩されてたり、固められたりしていた。

 なんだかんだと10分ほど挑んで、その10分はだいたい投げられ続けた。 

 思い返すに、柔道に復帰したばかりの頃、七段、八段の先生たちと乱取りした時がこんな感じだった。

 G先生の袖を掴んだ瞬間、襟を取った刹那、すでに負けていた――のだと、久雅堂は思う。

 この時の試合?については、言語化するのに何年もかかったが、恐らくは仕掛ける間合いが異なっていたのだと久雅堂は考えている。

 まだ上手くいえないが、久雅堂が仕掛けた瞬間には、もうすでにG先生の仕掛けは終わっていたのだと思う。

 

(完全にワンテンポ遅れていいた)


 何度も何度もあの時のことを考えるが、G先生のフィジカルは年齢的にはたいしたものだったが、自分の方が確かに勝っていた、はずだ。筋肉の量が違うし、反射速度も自分の方が鋭いはずだ。多分。

 ならば、それ意外の要素があったに違いなく、それを説明するための理路と語彙がその時の久雅堂には欠けていたし、今も上手く言い表せているかどうかの自信がない。

 

(多分、見ているものが違うんだ)


 ……ここで種明かしというほどでもないが、G先生は久雅堂が動く前に重心を見ていたのだった。

 動きだすタイミング――ここはあえていうのなら、拍子、あるいは起こりが丸わかりだったのだ。

 その上で、後に久雅堂も知ることになるのであるが、柔道の経験がG先生にはあった。しかもY先生とも面識があった。広い意味では、久雅堂の兄弟子といえなくもない。まあ県内で柔道を何年かやっていれば、必然と柔道連盟のえらい人だったY先生に会うことになるのだけども。とにかく、G先生は柔道家の手の内は知っていたのである。だからどういう風に自分が位置取りをすれば最良なのかも解っていたし、どういう技を久雅堂が狙っていたのかも読めていたのだ。

 実際のところは、Y先生や柔道教室の先生たちも同様にしてフィジカルに勝る久雅堂に対処していたし、久雅堂も五年もそういう高段者たち相手に乱取りを続けていていたわけであるから、落ち着いていれば一方的に投げられまくるという事態は避けられたはずである。

 ただ、G先生の、合気柔術の間合いは柔道よりやや遠かった。仕掛ける技も似ていて、違っていた。

 このあたりの「似ているが違う」というのはなかなかに曲者で、似ているのでなんとなく柔道のそれで対応していたのが、違うのでどうも上手くいかない――

 上手くいくはずが上手くいかないので困惑するし、焦り、どんどんわけがわかんなくなっていく。

 悪循環であった。

 もうひとつここにはトリック……というほどではないが、駆け引きが絡むのであるが、それはここでは語らない。

 久雅堂がそれに気づくのはずっと後のことである。

 とにかくそんなことがあって、合気柔術には随分と入れ込んでいた久雅堂であったが、前出の通り、本当に合ってなかった。基本的に鈍い男なので、繊細な間合い感覚が身についていなかったせいであるが。

 

 そして最後に空手であるが――

 これがまとめて、久雅堂は駄目だった。いや、基本的な戦法、技はやってたら身につくものなので、できるといえばできるし、試合にも何度か出て、フィジカルがあるのでそれなりに勝ったり負けたりしたわけであるが。

 何が駄目かというと……久雅堂は、手技と足技を混ぜたコンビネーションがド下手クソだったのだ!

 勿論、稽古ではそれなりにできるのだが、いざ試合となると手技だけなら問題なく、足さばきは柔道での稽古でこなれていたのもあってなんとか試合の体裁は取れるのであるが――蹴り技を入れると上手く繋がらないのだった。


(これは駄目だなあ)


 そうそうに見切りをつけた。

 実は同様の理由で、A先生と先輩たちとに日拳の稽古を受けるのもほどほどにしているのであるが。

 

 ……まあ結局、あれやこれやと経験して、久雅堂は基本は古流柔術を教えながら柔道をするという路線は変えず、そこにボクシングと合気柔術を混ぜるというスケジュールに自然となっていった。

 薙刀と剣道は気が向いた時に行く感じにして。


(県内にできたMMA団体ってのも体験してみたいし、小さくて古いけどキックのジムもあるっていうしなあ……MMAの方は、あんまり評判よくないけど……)


 いつの間にか、『久雅堂』は近隣のそういう話が集まりやすい環境になっていた。

 それは時折に色んな団体の知人たちが立ち寄ってくれているからであるが、そういう人たちにお茶を振る舞ったり、コーヒーを淹れたり、どうでもいいような立ち話をしたり、時にネットで見たばかりのコンビネーションを試したりするのは、久雅堂にとっての楽しみの一つになった。


(こういうのも悪くないな)


 今は忙しさの割に収入はたかが知れたものだし、このまま将来をどうするべきかの未来のヴィジョンはまったく見えない。漠然とこのままの生活が続いていくのだろうなあと思っているくらいである。

 とはいえ、そろそろ身体のピークを過ぎつつある……という自覚もある。いつまでも今の調子で武道もやっていられないだろうことは間違いなく、そのうちに何かしら、やっぱり柔道と古流柔術の指導に専念した方がいいのだろう、などと考えたりもしている。

 ではそのためにどうすればいいのか、ということは真面目に考えはいないのだけれど。

 そんなある日、ユーチューバー格闘家を名乗る男がやってきた。

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