(三)

 


 結果から言うと、久雅堂は健闘した。

 異種武道との試合などほとんど経験がないにも関わらず、それができたのはどうしてかというと、先輩たちは知らなかったのであるが、A先生と最初にこの道場で立ち会っていたからである。

 立合いと言っても、日本拳法の防具を着て、とりあえず軽く指導を受けるという体であったが、あれは今から考えれば立合いであった。

 最初に実力差を見せてマウントを取るというのは、武道家はよくすることである。

 その時も引き分けというか、ほとんど勝負なしにまで持ち込めていたのだが。


 ぶっちゃけた話、フィジカルが違う。


 久雅堂は五年間、毎日プロテインを飲み、毎日柔道の稽古をしていた。相手は老齢ではあるが元警察官のような高段者たちであり、柔道教室にやってくる子どもたちも近頃はみんな体格がよい。100キロを超える者も珍しくなかった。

 そんなのを相手に乱取りするからには、最低限身体を作らないとどうにもならない。筋トレも欠かさずやった。柔道の基礎稽古としての海老は、特に久雅堂は好んでやった。動きがなんだか面白いのもあったが、これによって体幹は随分と鍛えられた。

 元々久雅堂は肥満気味に120キロを超える身体をしていたのが、あれこれと絞って、腹もすっかり縮み、それでもその当時、100キロ以下に体重を落としてはいたものの、95キロ前後はあったのだ。

 その頃の久雅堂はY先生が亡くなってから柔道にも専念できず、時折に柔道教室の他の先生たちの紹介で剣道などを経験しつつ、一人で受け身と筋トレばかりやっていたのであるが。

 剣道の経験が、この場合は生きた。

 A先生の打撃に対して、どうにか反応できた。それをやっていなければ一方的に顔面に突きを食らっていたのは間違いない。Y先生たちが「相手が何をしてくるか解らない時は距離をとれ」という指導をしていのたも功を奏していた。どうもA先生も先輩たちも、久雅堂の経歴を知っていたので組討を狙ってくるものだと思いこんでいた節があった。

 打撃格闘技よりやや遠い、剣道の一足一刀の間合いに離れてそこを維持し、相手の打ち込んでくるのに応じた。

 それは相手も望んでいた展開ではあったようで、ヒットアンドアウェイ戦法でこちらを翻弄するつもりであったようだ。

 距離をとっていたのも、打撃を嫌っていたのだと解していたらしい。

 実際に久雅堂は打撃に付き合う気はなかった。

 A先生の場合は三分ほど前後の出入りを繰り返していたが、やがて「これくらいにしようか」と辞めた。そのあとで日拳もいいだろうなどと言っていたが、以降、試合やスパーをしようなどと先生の方から言うことはなかった。

 久雅堂の方から時間がある時、何度か基本技などの指導を受け、軽いスパーを頼み込んだことがあるが、その程度である。

 しかしこの時の経験なければ、打撃に対して剣道のそれだけでは先輩にはいいようにされただろう。

 先輩は身長が久雅堂より少し高く、体重は久雅堂より20キロほど軽い75キロだった。

 フッワークの速さによる前後の出入りの激しさ、打撃の強さ、回転力は高齢のA先生よりも上だったが、打撃のタイミングはA先生と似通っていた。

 やはり師弟なのだなと久雅堂は思ったものであるが、狙いすませたようなタイミングで打ち込む打撃の鋭さは、なんとなくだがA先生の方が練り込まれていたように感じた。

 この差は経験値によるものもあるだろうが、何処の格闘競技でも体力が少なくなってくると返し技のようなタイミング重視の戦法が強くなるものだ、と言う。

 普段の稽古を眺めていたというのもあるが、先輩の打撃は速度と威力は上でも、タイミングの練り込みはA先生の方が勝っていて、それ故にそれと対峙した経験がある久雅堂にはどうにか対応ができた。

 ぼんやりとした印象でいうと、剣道の間合いにA先生は似ていて、A先生のタイミングに先輩は似ていた。

 久雅堂にとっては幸運なことに、段階的に経験を積んだからこそどうにかできたのだった。

 あと、漫画などで有名になっていた日本拳法の直突きに、久雅堂がほのかに憧れていたというのもある。この道場に通いだしてから、日本拳法の試合動画をタブレットで見ながらのシャドーというのもやってたりしたのだ。

 それがどの程度、このスパーの経験に活きたかは不明であるが。

 とはいえ。

 これが路上の喧嘩ならば久雅堂は負けていたはずである。

 自分ではどうにか捌けたつもりではあっても、それなりの打撃は食らっていたのには違いなく、防具なしならば倒れていたのは自分の方が先だったに違いなく。

 ルールを特に定めない立合いであったというのも、久雅堂に有利に働いた。

 相手は打撃に不慣れな柔道家相手に、実力差を見せつけようという意図があったのだろう。

 組討のために接近しようとする柔道家相手ならば、自分に寄せ付けずに一方的に叩き続けられる――

 まさか久雅堂が自分らと同様のフッワークで、予想に反して近づいてこようとしない……などというのは想定外だったに違いなく。

 それでも数分と続けていたのならば、接触することもある。

 ノーモーションからのワンツーを横っ飛びしながら腕で払いのけるようにして躱す久雅堂に、先輩はそのまま前に出て組み付き、足をかける。

 日本拳法には投げ技もあるわけで、先輩は普段の試合や稽古の判断通りに組み付いて投げようとした。

 それをとっさに自護体に重心を落としてこらえた久雅堂は、左手で先輩の右手を掴んだ。

 そこから先輩は、日本拳法とも違う足捌きで腕を掴まれたままに投げ技に持ち込もうとした。

 A先生の伝手で合気柔術を習いに行っていたのは、彼だったのだ。

 僅かに遅かった。

 久雅堂は腕をつかんだまま、バックステップした。


「――――――ッ」


 先輩の片足が浮いた。

 久雅堂はさらに腕をつかんだそのままに体を回した。右手もその横に添えられていた。

 それは投げ技というより、バットのスイングに似ていた。そうすると先輩は、さながら投げ捨てられたバットだったか。どうして久雅堂がその時に腕を離したのかは当人にもよくわかってない。

 軽く一メートルは飛んだ。明らかに床から足が浮いていた。

 先輩が見事な回転受け身をとれたのは、合気柔術の修練があったればこそだろう。

 何事もなかったかのように立ち上がった先輩を見て、久雅堂は「すごい」と言った。素直な賞賛だった。

 先輩は改めてフットワークを踏み出したが、しかし先ほどまでと違って距離をとりだした。

 今の強引な投げ捨て技?に、改めて久雅堂が柔道家であり、フィジカルと体重の差があることを思い知ったようだ。

 久雅堂は久雅堂で、少し前かがみの、あからさまな投げようとする姿勢をとった。

 特に投げ技を狙ってるわけではないが、相手が警戒しているのならばそのように見せるのもいいだろう――そんな判断があった。

 久雅堂は空気が読めない男であったが、他人の顔色は読めるのだった。

 それから互いに積極的に挑まない時間が続き。


 五分が過ぎた。


 特にどれだけの時間をするという話があったわけではないが、控えていた先輩のもう一人が「それまで」と言った。

 久雅堂は姿勢を正してから先輩を見る。

 向こうもうなずいた。


「……引き分けということで」

 

 先輩は言って、久雅堂は「いや、勉強になりました」と言って、互いに中央線に戻って礼をした。

  

 このあと、結局先輩たちは道場を離れることになったのだが、それも二年以上たってのことだ。

 併修していた合気柔術に専念していくことに決めた者、MMAのジムに通いだした者、別の日拳の道場に行きだした者……色々だった。

 それでも時折に全員、A先生の道場に顔をだしていたし、『久雅堂』にやってきて軽くスパーなどにつきあってくれたりもする仲になれた。なんだかんだと、円満な関係は保っていたままでいられたのである。

 とりあえずこの時は久雅堂の力を認めてくれたようだった。

 そして久雅堂は彼らと同じ合気柔術の先生に学ぶことになったりして、なんだかんだと彼らとは長い付き合いになっていくわけであるが。

 時折に久雅堂はこの日のスパーのことを思いだしてほっとする。

 上手くやろうと立ち回っただけではないが、どうにかこうにか上手くいった方だと思った。

 武道やってて人間関係が破綻するなんて、まっぴらごめんだった。


 ここまでが、まとめ記事を作って起きた「良いこと」である。

 

「悪いこと」は、ちょっと時間が過ぎた三年後に起こる。


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