(二)
正確には、よいことも、悪いこともあった。
とりあえず、よいことを先に述べると、このまとめはちょっと話題になって、今までフォローされてなかった格闘技・武道系のアカウントにかなりフォローされた。その中には、柔道や格闘技、武道に興味がある人間にとってはとても話しかけるのもためらわれるような有名人もいたりした。
久雅堂はあんまりミーハーな人間ではないが、客商売ということもあり、そういうのをかたっぱしからフォロー返しした。
そういう人たちが商品を買ってくださるかは別にして、とにかくフォロワーが増えるには越したことはないし、時折に話しかけてくれるというのはなかなか嬉しいことではあった。
そういう人たちは最新のトレーニング理論や格闘技動画などをツイートしたりRTしたり、そういうのは見てて色々と勉強になった。
その時の久雅堂はMMAなどに挑戦したいとは思っていなかったが、そういう動画を見るのは単純に楽しかった。
最新のコンビネーションの鮮やかさ、風変わりなトレーニングの面白さは、格闘技に興味があれば飽きが来ないものであるし、久雅堂は現役の格闘家でも柔道選手でもないが、なんだかんだと格闘技を愛する若者であるには違いなく、それらを試してみるのも面白かった。
さすがに相手はいなかったので、あくまでもイメトレとシャドーだけにとどまっていたが。
フォロワーが増えるのに比例して売り上げも上がった。
時折に柔術研究家の人たちを中心とした古武道関係者とメンションのやりとりをするのも楽しかったし、これも縁かねえ……などと思っていたところに、店に来訪者があった。
「あなたがY先生のお弟子さんですか」
と尋ねてきたのは、県下で日本拳法の指導者などをしているA先生だった。
彼はネットで久雅堂が学んだ流派について検索して、ここのことを知ってやってきたのである。
話を伺うと、A先生は件の柔術流派を学んでいた者で、Y先生が師範だったその道場で免許皆伝にまで至っていた。
その後、道場は宗家の息子が継がずに閉鎖となり、門下生は散り散りとなってしまったのだという。
「そういう経緯は、全然知りませんでした」
「Y先生は、もともと柔道と併修できていたので、そのままこなくなったんです。私はその直後に大学卒業して、自衛官になって、そこから徒手格闘、日拳と流れたのですが」
「ああ、なるほど……」
自衛隊で採用されている格闘技である徒手格闘は、もともとは日本拳法から出ているというのは知られている話だった。
A先生が退官して地元に帰ってきたのは三十年近く前だったが、そのあとは日拳を指導しつつ、他武道も学び、最近になって遅ればせながらSNSなども始めて――久雅堂とY先生のことを知ったという話だった。
「正直、最近になるまであの流派のことはほとんど忘れていて」
「なるほど。普通に柔道だったらしいですからね」
あれこれと聞いた感じだと、柔術流派の看板をあげただけの柔道の道場だったっぽいし、そもそも何十年も前の話である。詳細を覚えている方がおかしい。
しかし、A先生は意外なことを言った。
「一応、形の稽古もしていましたよ」
週に一度だけだったが、なんだかんだと形の稽古とそれに関係する口伝はされていたらしい。
「それは全然知りませんでした」
「記録には残りにくいかもしれないですね。形などの古い稽古は、免許以上になったらまとめて教えるというシステムになっていましたよ」
「え。段階的に教授するのでなくて、まとめてですか?」
「昔は、そうしていたらしいんですけどね。形稽古は、若い者はやりたがらないから、将来に指導者になるだろう人間にだけ、形と口伝の教授という形式になったそうです」
「あー」
なんだか解る気がする。
A先生の話では、本来は初伝だか中伝だか総目録だかが順に指導されていたらしいが、いつ頃からか入門時に受け身の稽古と基本の技、乱取りから始め、それを続けて上達すると指導者の裁量で突然に弟子には免許皆伝となり、巻物を授かってから改めて初伝からの形を指導されるという……なんだか不思議な形式となっていたそうである。
(いや、そんなに不思議でもないのか)
現代武道も基本技を最初に学び、乱取りなり組手なりをしてから段位などをとる際には形などの勉強をするが……指導者にでもならないのなら、そんなに本格的に勉強する必要もないといえばない。
だから、流派の核となる形稽古やそれに関係する口伝などは、若い人間に無理にやらせて嫌がられるよりは、免許以上の将来は指導者になるだろう人間に限定して教える――というのは、合理的なものなのかもしれない。
基本的な稽古や乱取りは柔道のそれを取り入れたり、折衷したものなのだろうか。
(もしかすると、Y先生は免許渡してから、形を指導するつもりだったのかなあ)
この時にその話を聞いた久雅堂はそう思ったが、今となってはそれは解らない。
のちにY先生の大量の蔵書の中から、若い頃の修行時のメモなどが出てくるのであるが、それはまた別の話である。
A先生はそこまで話してから、改めて。
「形については私もほとんど覚えてないけど、メモは残していていましてね。再現もできなくもない。改めて、同門の人間と稽古をしているうちに思い出せることもあるかもしれないし」
一緒に、稽古しないですかね――と、誘われた。
時を超えた、同門の弟子の人間からの誘いである。
実に浪漫あふれるシチュエーションだ。
当然、久雅堂に否やはなかった。
◆ ◆ ◆
もちろん、この話、実際のところ、そんなに浪漫あふれるものではない。
A先生にも思惑はあって、それはほどなく久雅堂は知るのであるが、彼が経営する道場、最近は門下生も減っており、どうにか売りになる看板を掲げたいと考えていたのだ。
ここらの話はちと生臭くなるが。
今どきは格闘技は多種多様であり、日拳はそんなに人気がある武道でもない。格別にないかといえばそうでもないが、他の格闘技……例えばMMAなどの道場も近年では県下に進出しつつある。ブラジリアン柔術のジムもできている。相対的に生徒を集めるための希求力が落ちるのは当然であった。
A先生自身も、最近は年齢のために防具をつけての打ち合いの稽古がしんどくなってきているというのもあり、ボリューム層でもある第二次ベビーブーマー世代の、現在三十代後半以上を視野にいれた経営をしようと考えていたのだった。
それで目をつけたのが、かつて学んだ古流柔術である。
すでに古武道ブームは最盛期は過ぎたが、それでも「失われた日本人の動き」だとか「現代格闘技にはない身体操作」という売り文句は有効であるように思われた。
A先生自身はあまりそういうのに興味はないが、そのようなものを求めている層には理解があるつもりだった。
身体操作というのも、技のコツ、というものの言いかえられるだろうという風に思っている。それ自体はあらゆる格闘技、武道にあるものであるが、その部分を抽出して教えるというのは面白いものではあると思っていた。
試合に使用するのではないのならばそれで十分だと思えたし、そのコツのストックもA先生は幾つももっていた。日本拳法以外にも、二十年ほど合気柔術を修行していたのだ。
そのあたりの話の詳細を語れば別の物語になるので、久雅堂に関連する範囲に話を留めると、A先生は自分のみならず、門下生で興味がある人間に合気柔術を併修させていた。
それは現状の目論見とは無関係な経緯があってのことであったが、身体操作を売りにした古流柔術の指導をするにあたっては、十分以上の武器となるはずであった。
が。
A先生にとって予想外だったのは、地方マイナーだと思いこんでいた自分がかつて免許皆伝をもらっていた流派が、その筋ではそこそこ知られていて、そして現在進行形でその実態がSNSで語られていたということである。
当初は「古流柔術」というイメージを売りにして、合気柔術から抽出した身体操作を応用してうろ覚えの形を再興しようと考えていたのであるが、SNSでほぼほぼ柔道のようなものであったということが晒されてしまっていたのだ。
一瞬だけ、A先生はネットの記事を見なかったことにしようと考えた。
しかし、SNSが発達している現在、すでに皆に知られていることを無視するのはリスクが高い。しかもこの情報の出所の一人は、どうも同じ県内の人間らしい。流派の看板を掲げていればこちらを訪ねてくるかも知れず、その時にどう対応していいのかも解らなかった。
元々免許皆伝以上では形はこのような動きが隠されていたとか、そのように誤魔化すということも考えはしたが、この調子では別に免許皆伝を持っている人間、あるいはそうでなくとも流派の実態をしる人間がでてこないとも限らない。
それではこのプランは諦めた方がよいのか――と思ったりもしたが、そこでA先生は久雅堂に対して、奇妙な同情心……と言っていいものか、先輩として少し思うところができた。
形もうろ覚えの流派であるが、かつてそれを真剣に学んだ者として、久雅堂は同門の後輩であるには違いなく、先輩としては免許皆伝者にのみ形の指導があったということを教えたくなったのだ。
もしかしたら他にそのことを知る者はいるかもしれないが、今ならばそれを最初に教えることができるのは自分であり、そのことによって、何がどう自分が得するところはないのであるが……。
とりあえず、一人でも自分の道場の門下生、あるいは指導員を増やせるかもしれない。
その程度のことでも、A先生が久雅堂を勧誘にいく理由にはなったのだった。
◆ ◆ ◆
……このあたりの事情は、久雅堂は割と早めに知ることになった。
A先生的には指導員の一人になってもらおうという思惑もあったし、あまり腹の内を隠すというのも苦手だったということもある。
形の再現のために久雅堂が件の柔術研究家の協力も求め、思いのほか短期間で形の再現ができたという事情も関係していた。
あまり誤魔化すのも無理そうだと判断したという。
久雅堂はそれで幻滅するということもなかったが、形の改変については難色を示した。
かつて伝えられていたものをどうにかそのままに、大切にしたいというという風に考えた、というわけでもない。
ただなんとなく、再現されたそれが渋くて気に入っただけである。
「渋い、のかなあ」
A先生的には、どうにもこの形というのはそのまま使うというのは到底無理そうに見えて不満があるようであったが、久雅堂はそのあたりを気にしていなかった。
元々、古流柔術の形に実用を期待しているところはそんなになかったというのもあるが、形というのを知ることによって、流派の核になるものを知ったような気分が持てたのが重要だった。
気分だけであるが。
久雅堂が流派の精髄を、形を知ることによって体得できたかというと、それはなんともいえない。
この後もこの流派のすべての技を合わせて二十五本の形、時間があれば稽古はしていたが、結局は久雅堂自身がその技を誰かに使用するということはほぼなかったからである。
ちなみにこの流派のこの形については、このあたりの事情を知る者たち――主に古武道関係者の――間で、少し物議をかもしたことを記しておく。
かつて形の指導を受け、口伝を授かったという免許皆伝の者とはいえ、ほとんど忘れていたのであるから、自分のメモからと言っても資料からの再現であるには違いなく、古武道の世界では、そのような形で再現された形は、厳密に伝承されたものとは区分されるのが普通だ。
しかしやはり、片方は名目上ではあるが免許皆伝者同士の稽古からであり、片方はかつて習得していたという事実は消せることもできないわけで。
再現された形はA先生の記憶ではほぼこのような感じだったというもので、昭和三十年代の演武の動画が後に出てきたが、確かにほぼ同じものであるのは確認できた。
元々、そんなに複雑な形でもなく、協力してくれた研究家がメモを見て親戚流派も参考にして、かなり正確な情報を提供してくれたというのもある。
そのような諸事情が重なるという特殊な案件は、そうそうない。
議論としては、色々と展開した挙句「習った形を忘れるのはよくあること」「自分でとったメモからの再現なんだし、そういうのから思い出す人は結構いる」というあたりで肯定的なところに落ち着いたが。
さて。
そうして久雅堂は形も覚え、口伝も授かり、名実ともにその流派の免許皆伝として恥ずかしくなくなった――かといえば、そうでもない。
ことの経緯もあって、久雅堂はA先生の道場で柔術の指導員ということとなったのであるが、立場的には微妙であった。
何せA先生の元には、先任の日拳の指導員がいるのだ。いわばこの道場における先輩たちだ。しかし久雅堂はA先生直々に頭を下げてきてもらったという、いわば客分である。体育会系的にいえば、挨拶をまず先輩たちからしなければならない立場だ。
久雅堂としても心苦しかったが、先輩たちからしても納得がいくものではなかった。
元々秩序ができていた中に、突然に招きいれられた異物――それが、その時の久雅堂だ。
その認識をA先生以外の全員が持っていた。
いや、A先生も気づいてないわけではなかったろうが、元より長く体育会系的な組織に長くを身を置いていた者としては、上の言うことに下は従うのが当然であると考えているようだった。
それはそれで正しいが、どうにも上に立った者の中には、自分が下にいた頃の感情を忘れる者がしばしばいる。
A先生は残念ながらそういう人だった。
いずれなんらかの形で、秩序を回復させるため、けじめをつける時がくる――
久雅堂でさえも、そんなことを漠然と思っていた。
そしてその日は、三か月ほどしてやってきた。
「軽くスパーとかやってみない?」
その日はA先生は所用で稽古を早退して不在だった。そして稽古もいつも通りに形の指導が終わった後で、先輩の一人にフランクにそう呼びかけられ。
(来たか)
久雅堂は体育会系的な関係性は苦手で、空気を読むのはもっとも苦手であったが、それでも雰囲気がまったく解らないわけではない。
しかしあえて。
「いいですね。自分はそういうの不慣れなので、勉強させてもらいます」
そう返した。
その後でルールを確認したが、先輩たちは「ああ、ちょっと待ってて」などと適当にはぐらかし、空手用のボディプロテクターやファウルカップを渡される。最近試験的に道場で導入されたものだ。
プロテクターにも種類があるが、久雅堂が見た感じ、その黒いプロテクターはハードな試合にも使用できるものだ。
(なるほど)
日拳用のそれは結構重くて、不慣れな人間にはちょっとキツいので、さすがにフェアではないと思ったのだろうか。
グローブはMMAで使用されるオープンフィンガータイプのものだった。
(こちらにも気を使ってくれているのかな)
あるいはもしかしたら、向こうの方にも利があるのかもしれない。
久雅堂はプロテクターを装備してから、持ち込んだ柔道着を着た。少し着慣れない感じがしたが、まあ許容範囲だ。防護マスクは以前にしたものよりも視界が広い。問題ない。
ルールについては、向こうからはこの期に及んでも話はなかった。
どうしようか、と久雅堂はこの時少しだけ考えた。向こうが「軽いスパー」などをするつもりではないのは明らかだ。
そんなのはやってられない、と今から拒否することはできるだろう。
しかしそうすると、このあとでどうなることか。
先輩たちは、ここで久雅堂と戦うことによって、なんらかのけじめをつけるつもりだろう。それくらいは解る。それを拒否するということは、「けじめをつけない」という選択したということだ。
そうなると、先輩たちはこの道場をもしかしたら辞めてしまうかもしれない。
けじめをつけられない――自分たちの不満を解消できないままなら、そういうことはあり得ることだった。
些か理不尽であるように思えるが、人の集まりというのはそういう部分がどうしても起きる。群れの中のポジションは、周囲に解るように実力を見せる必要がどうしてもでてくるのだ。武道に限った話ではない。
もしもそれで、先輩たちが辞めてしまったのならば――
(寝覚めが悪い)
責任が誰にどうあるのか、それを追求してもあまり意味はない。
というか、正直、考えるのが面倒くさくなってきた。
(勝とうが負けようがどうでもいいや)
勝って一目置かれるか、負けてマウントとられて、陰でバカにされるか。
自分が負ければ結果としてやはり納得いかずに辞めていくかもしれないし、勝ってもやはり出ていくかも知れない。
だが。
もう。
どうでもいい。
久雅堂は開き直ることにした。
元より、あまり深いことを考える人間ではなかったのであるが、この時は本当に面倒くさくなっていたのだ。
「それでは、始めますか」
久雅堂が言って。
先輩は――――
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