(二)

  ◆ ◆ ◆



(まずい)

 

 とりあえず、その日の内にプロテインの缶を開けて飲んでみたが、なかなか曰く言い難く……不味い代物であった。


「今どき、不味いプロテインなんてあるの?」


 などと思われる方もいるだろうが、そのプロテインについては少し経緯がある。とあるメーカーが、近年の筋トレブームの需要を見込んで安価に作ってみたもので、安いだけあって味は犠牲にされていたのだ。

 それでも高いプロテインを買えないトレーニーにとってはありがたいものであり、発売してしばらくはほどほどに売れたという商品であった。

 もっとも、リピーターがほとんどつかず、このスポーツショップでも発売当初はそれなりに売れてので思い切って大量に仕入れて見たところ、しかし大量に売れ残ってしまったということなのである。

 そういうわけで、消費期限はまだまだ先ではあるものの、売れない商品にいつまでも棚を占められるわけにもいかず、四割引で処分品セールの台に置かれたのだった。


 久雅堂はそこらの経緯を知らず、ついついまとめ買いしてしまったのである。


 久雅堂は舌が肥えているわけではないので、その不味いプロテインもなんとか飲むことはできたが、しかし一口食べてからまとめて買った残りのプロテインの山へと視線を移すと、胃の底に重しを飲み込んだかのようなどんよりとした気分になる。

「どうしたものかなあ」

 と溜め息が出たのだった。

 久雅堂は貧乏性でもあった。

 安いとはいえ、これだけの、この山のようなプロテインはそれなりの金額をかけて購入したものだ。

 絶望的ではないが、ほどほどに不味いという程度のことで捨てるのも気が引けた。

 いわゆる「もったいない」というやつだ。

 久雅堂はとりあえず、これを全部自分で処理することに決めた。

 そうして翌日から彼は、朝飯にプロテインを飲み、昼休みにプロテインを飲み、仕事終わってからプロテインを飲み、寝る前にプロテインを飲むようになった。

 それ以外に格別にトレーニングはしていなかった。

 とにかく、目の前のプロテインの缶の山を片付けたいという一心で飲み続けた。

 ただ、プロテインを摂るというだけで筋肉はつきやすくなるもので、肉体労働であるということもあり、8月になってから久雅堂の体は明らかに変わった。

 上半身に肉がついた。

 二の腕が盛り上がった。

 ここで今更ながら、地質調査の仕事というものがどういう内容なのか、その概要について軽く触れておくのなら、地面に直径数十センチの金属の管をねじ込み、その中の土を取り除き、採取しつつ……という作業を、短ければ十数メートル、長ければ五十メートルほど続けるというものである。

 管はケーシングといい、これは基本的にボーリングマシンを使用して地面に送り込む。

 実は人間が力を使う機会というのは、あんまりない。

 せいぜい、ケーシングを継ぎ足す時、外す時、ロッドといわれる鉄製の棒を組む時、外す時――に、パイプレンチを使用する時くらいで、現場の仕事としては、比較的に筋肉に負荷のかからない作業であった。

 それでも現場を作る時での機材の搬入などでは、肉体を酷使することはままある。

 8月はそういう現場を久雅堂はたらい廻しにされた。

 それは7月における彼のミスの多い仕事ぶりに、あんまり手元におきたくないという先輩作業員たちの思惑があったものであるが。

 結果として、久雅堂は8月だけで見違えるほどではないが、ひと目でわかる程度に肉体改造ができたのだった。


「結構筋肉がついた」


 それは当然のことながら、当人の意識も変えた。

 トレーニーには誰しもが経験があることだろうが、トレーニング開始してからしばらくしての、その成果が如実に現れだした頃というのは人間をナルシストにする。

 作った筋肉を、できるならば維持したくなる。もっといえば、より肥大化させたくなる。

 こうなれば、仕事の疲労がどうこうとか、そういうのは関係がなかった。

 いや、筋肉がついた成果として、仕事の集中力も増してミスも減って怒られることも少なくなったということも事実である。

 そのことも、久雅堂の筋肉への執着をいや増した。

 ……実際のところは、ただでさえ大柄な久雅堂の体が短期間でわかる程度に筋肉がついたことに、先輩たちが気遅れしたという部分も大きいのであるが、久雅堂は基本的に空気が読めなかった。

 幸いなことに、地質調査の仕事というのは肉体労働としては比較的に作業内容は軽い方である。

 パイプをねじ込む間は、作業員は待機している。

 当然、地面の質やらでその待機時間や内容にも差異は生じるものであるが、久雅堂が9月から回された仕事は、待機時間の長い現場だった。

 そこで久雅堂はゆるゆると自重トレーニングをしだした。

 その方法は動画サイトなどで見て覚えたものだ。世は筋トレブームであった。

 それで久雅堂の肉体がみるみるうちにマッチョになった……というとそうでもない。

 マッチョといえるほどに筋肉をつけるのは、簡単なことではない。 

 腹持ちのいいプロテインの常用摂取もあってドカ食いも減って脂肪も落ちていったし、なんだかんだとじわじわと筋力はついていったが、年が明ける頃には、久雅堂はそれではもはや満足できなくなっていた。

 そこで彼は考えて、決断する。


「柔道をしよう」

 

 なぜか、そうなった。



   ◆ ◆ ◆



 久雅堂は、さすがに自分の目的を完全に忘れるようなバカではなかった。

 仕事のミスそのものは減ったし、体力もつけて夏も乗り越えられつつあったので、最初の目的は半ば果たしつつあり、このままの現状維持に務めるだけでもいいというのは解っていた。

 そう。

 つまりは仕事の疲労もほどほどになった久雅堂は、体力の余裕ができたということであり――


「前にやってた柔道を再開しよう」


 と思ったわけである。

 ……せっかくできた余裕を、さらに自分から潰しにいくのはどうなのか……読者諸兄はそのように思われるかもしれない。

 そうなのである。

 久雅堂は最初の目的を忘れてしまうような種類のバカではなかったが、次々と新しくやりたいことを見つけて、やってしまうという、ふらふらと足場の定まらない種類のバカなのであった。 

 それでなんでトレーニングジムではなく柔道なのかといえば、久雅堂は中学まで少年柔道教室に通っていたからで、小学生の頃も含めて、トータルで四年にも満たない程度の期間の柔道経験であったが、一から始めるよりかはマシだと思えたし、それになんだかんだと柔道は好きだった。

 もっとも、久雅堂はほどほどにオタクであって、古武道だの中国拳法だのも大好きではあった。だが、この頃の久雅堂のすぐわかる範囲でその種の武道を指導しているところはなく、さすがに高校も卒業する頃になれば、やはりロマンと割り切る方向で考えるようになっていた。

 久雅堂はさすがに今から最強を目指すようなバカではなかったが、強くなれるのならなりたい、と思う程度にはバカだった。

 あと。


(強くなって、何処かにいる達人先生にボコられたいな)


 そう考える程度には、ロマンを捨てきれてなかった。

 いささか屈折しているというか、当人が達人になるという考え方がそもそもないのがアレであるが。

 かくして五年ぶりくらいに中学生まで通っていた柔道教室にいくと、指導するメンツはほぼそのままだった。

 警察官だったという師範は定年退職され、あと禿げていたが、今も変わらず気安く指導していたし、県の柔道の偉い人だったという赤白まだら帯の大先生たちも相変わらずだった。

 さすがに久雅堂も少年柔道教室に大人が通うのもアレだと思っていたので、近所に柔道をやれる環境はないのかという相談をしにきたのだが、師範たちはここでやりなさい、と優しくいってくれた。

 …………実際のところをいえば、少年柔道教室にくる若者は減っていたということもあり、メンツが増えるのに越したことはなく、近頃の少年は体格もよい。師範たちが相手するのもなかなかしんどくなってきたところに、かつて二級程度までとはいえ、柔道経験がある者が戻ってくれたというのは、なかなかにありがたいことだったのだ。

 そうして久雅堂は柔道に復帰して、最初は白帯をつけて受け身に専念し、エビだの腹ばいだのの基礎的な稽古を続け、翌週には乱取りにも参加するようになった。

 さて。

 久雅堂が柔道に復帰したのには、古巣だったということも理由の一つであり、それが大半を占めていたが、それが全てではなかった。

 地質調査の仕事で身につけたコツ……これが柔道に応用できるのではないかと思い立ったからである。

 コツといっても他愛もないものだ。

 そもそも地質調査というのは、重ね重ね、たいして体力を消耗する仕事でもない。

 熟練を要するのはパイプレンチによるケーシングを切る動作くらいのもので、これは下のパイプをレンチで固定し、上のパイプにレンチをかませ、廻して切る……というもので、レンチをかませる位置と、腕力ではなく、体重をかけた状態からの重心移動で瞬間的な力をいれるのが、コツといえばコツである。

 久雅堂はこのパイプレンチの使い方の習得に手間取ったが、コツを覚えるとむしろ体重の分、他の作業員よりはよくできるようになった。

 一日に何回、何十回も続けていくうちに、さすがに体重移動のための呼吸……のようなものも熟練していったのだある。

 これが柔道に応用できるのではないか――

 と考えたのである。

 さすがに動く相手に悠長に呼吸を整えるわけにもいかないので、投げを打った時に相手に堪えられた時、改めて引っこ抜いて投げられるのではないか。

 結論からいえば、そんなに思っていたほど上手くはいかなかった。

 最初の何度か、体重が自分より軽い相手にはそれが決まることもあったが、相手だって堪えたままではいないし、こちらのやり方も、続けていれば相手も慣れてくるものだ。

 とはいえ、それなりの手応えがあったことに久雅堂は満足した。

 最初からさほど期待はしてなかったということもあるが、数回でも柔道をやってきていた人間に対し、思いつきの工夫が通じたのだ。

 これらはみんな、プロテイン摂取とトレーニングでパンプアップした上半身の筋肉あってこそでもある。

 久雅堂はプロテインに感謝した。

 この時は。

 この時の久雅堂が見せた呼吸の成果に、誰よりも喜んだのが彼以外にいたというのが、運命を劇的に変えることになった。


「稽古にこない間に、よう工夫した」


 と久雅堂が引くほど感動してくれたのが、大先生の……ここで本名を出すわけにもいかないので、Y先生としておこう……である。

 Y先生は地元の柔道連盟のえらい人であったが、それは元々権力欲だとかそういうのがあってそうなったのではなく、柔道家としての実績だとか、年功序列の都合でなんとなくその位置に収まったという人で、当人は稽古に専念したかったし、青少年の柔道の育成というのが何より好きなのだった。

 そしてもっと言うのなら、若い頃は「実戦柔道」などを標榜し、地元に残っていた古流柔術の流派に入門して免許皆伝を取得したり、他にも色んな流派を学んでいたという人物でもある。

 もっとも、久雅堂がここらの事情を当時はまったく知ることはなかった。

 Y先生も殊更そのあたりのことを言わなかった。

 ともあれ、Y先生はそんな人で、久雅堂に格別の才能を見出したということではなく、昔通っていた少年が稽古にきていない間に工夫を思いつき、それを実践して試すためにまた稽古を再開した――という事実が喜ばしかったのである。

 そういうことがあってから、Y先生は久雅堂を気にかけ、稽古の後で一緒に飯を食ったり、休みの日に会って稽古をしようなどと誘うようになった。

 久雅堂も、先生に気にかけてくれているというのは、やはり嬉しかった。自分に才能のようなものがあるとは欠片も思ってはいなかったが、目をかけてくれて誘ってくれるというのは気持ちのいいことだった。

 そんなわけで久雅堂は、仕事以外は漫画を読んだりアニメを見たりというのは変わらず、しかしそれ以外の時間は多くを柔道の稽古にかけた。

 あとプロテインは変わらず飲み続けた。

 買い溜めたプロテインの缶が無くなったら、新しい、もう少しマシなプロテインを買った。

 この頃は楽しかったと、素直に久雅堂は思っている。

 これもそれもプロテインのおかげと感謝していた。

 まだこの時は。



   ◆ ◆ ◆


 



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