週末格闘家クガドー
奇水
第1話 プロテイン哀歌
(一)
プロテイン哀歌
ああ、プロテイン
就職二ヶ月目の給料で買ったまずいプロテイン
もはやメーカーも覚えていないプロテイン
中身を減らすことだけ考えて飲んでいた白い粉
あの時、あれを買わなければ
あの日から、あれを飲み続けなければ
今こんな目にあっていないだろうに
ああ、プロテイン
就職二ヶ月目の給料で買ったまずいプロテイン
…………少し前置きが長くなる。
『久雅堂』という名前は曽祖父の使っていた屋号で、曽祖父は戦前に骨董屋で財を成した――というのは、祖父が昔話に言っていたことだが、どうやら本当のところは小豆相場だかで儲けたものだったらしい。
今は久雅堂という名前は彼がリングネームに使用しているが、別に曽祖父にあやかったわけでもない。
曽祖父も祖父もとっくに亡くなって、彼の家は骨董商などやらなくなって久しいのに、ずっと近所の人間は久雅堂と呼んでいる。父も久雅堂と呼ばれていた。今は彼が久雅堂と呼ばれている、それだけの話である。
さて。
久雅堂がまだ久雅堂と名乗っていなかった十八歳の頃、工業高校を卒業して地元の地質調査会社に就職した、二ヶ月目だ。
仕事もそれなりに慣れた頃合いではあったが、それなのに彼は随分と疲れていた。
汗だくになり、作業の最中も精彩を欠き、ドジばかり踏んで先輩たちにどやされまくった。
なんでこんなことになったのかというのは、元々久雅堂が不器用な人間であったということも関係しているが、平たく言えばそれが7月になっていたからである。
聡明なる読者諸兄に至っては、なんで就職した二ヶ月目で7月なのか、ということに疑問を覚えられる方もいるかもしれない。普通、新卒は4月に入社だ。二ヶ月目だと6月ではないか、と思われたことだろう。些細なことだし、こちらの書き込みのミスか、あるいはすぐに再就職したのかも、などと優しく考えてくださったかもしれない。
全部違う。
久雅堂は就職を決めてから、4月に出社する予定であったにも関わらず、二ヶ月も出社しなかったのである。
その理由については、それほどたいしたことはない。久雅堂という男は不器用な男であったものだから、自動車免許取得に手間取ってしまったという、それだけのことである。
地方の会社だけあって、自動車免許取得は就職の条件であった。久雅堂は割と速いうちに就職を決めていたのであるが、車の免許がなかなか取れず、4月から出社予定だったのが、それを二ヶ月も過ぎてようやく出社できたというありさまであった。
不器用に過ぎる。
それでも不器用は不器用なりに、出社してからそれなりになんとか仕事を覚えようとして頑張っていたのであるが。
7月である。
新卒の就職二ヶ月目で夏場の現場というのは、たいそう辛いものであった。
通常なら4月、5月、6月とそれなりに仕事の要領も覚えていた頃なのに、まだろくに仕事に馴れるかどうかという頃の7月というのは、他の人間ならばともかく、久雅堂のような不器用な人間には地獄のようなものだった。
もっと事情をいうのなら、その頃の久雅堂はデブだった。
見かけはそうではないのだが、身長180センチ弱という体に、たいして鍛えたわけでもない130キロの肉をむっちりとつけていた。
もっとも、その肉の内実は割合と筋肉が多い。田舎生活であるがゆえの、長い長い自転車通学などのライフスタイルによって、久雅堂はそれなりの筋肉をつけていたのだ。それだって鍛え込んだというにはほど遠く、しかもその時は二ヶ月ほど自動車通勤になっていて、体も(主に下半身が)ほどほどに鈍っていた。上半身は重いケーシングパイプやパイプレンチなどを扱い、高校時代よりは鍛えられてはいたのであるが、体重そのものは変わらない。汗だくになるのは同じだった。
そんな感じに不器用で肥満児の久雅堂は、当然のようにミスを連発して怒られまくった。
久雅堂はあまり繊細な人間ではないと自認していたが、それでも疲労の上に怒られ続けるのはたいそうキツかった。
どうにか対策を練らねばならない、とは考えたのだが、仕事のミスは疲労による集中力の欠如のせいであり、疲労は夏の気温のせいである。
できることといえば、せいぜいが痩せて体重を落とすことによって疲労の具合を軽減させるくらいだが、久雅堂は怒鳴られまくったストレス解消のためにドカ食いを繰り返していた。とても自己管理では痩せることなんて無理だ。
どうしたものか、ジムに通おうか、だけど週末くらいは何もせずにいて疲労を抜きたい……などと葛藤はしつつ、7月の給料が入った日、帰宅途中にスポーツショップに併設されたジムを見学に行ったりなどして。
(あ、結構高い)
久雅堂は尻込みした。
地質調査の現場工務の仕事は、たいてい専門性が低く、つまりは慣れたら誰にでもできる仕事であり、給料はそんなに高くない。
その頃の久雅堂は家族に3万渡して、それ以外を車の維持費やら貯金やらにまわしていたため、懐具合はそんなに暖かくなかったのだ。
もちろん、安月給とはいってもジムの会費を払う程度のことはわけはないのだが、久雅堂はその時、自分がそんなに仕事をしつつジムで鍛えるなどということが続けられるとは思えなかった。
(どうしたものかな)
しばらく悩んだ久雅堂であったが、ふと立ち寄ったスポーツショップのプロテインが目に入った。
【 処 分 品 】
とあった。
その時の久雅堂は知らなかったのだが、プロテインにも人気のあるなしがあり、当然、それは味の良し悪しが関係する。
その山と積まれたプロテインの袋は、つまりは人気がなくて売り残った、不味いプロテインであった。
「これにしよう」
…………その時の判断を、久雅堂はとても後悔している。
もしこの時にプロテインを買わなかったら、ジムに通って、そしてすぐに飽きてやめていたのなら、今のこの状況には陥らなかったのではないか――ということであるが、その「今」については、まだまだかかる。
もうしばらく、お付き合い願いたい。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます