三 従業員の態度

 それからほどなく六時となり、部屋には豪勢な夕飯が運ばれてきた。


 山間にある温泉地ではあるが、海も近いために美味しそうな山海珍味が盛りだくさんである。


「……あのう、まだ他に何か?」


「……え? ああいえ、それではごゆっくり……」


 配膳が済んでからもその場に留まっている女将さんと中居さんは、僕の言葉に一瞬の間を置いてからお辞儀をし、慌ててそそくさと部屋を後にしてゆく。


 だが、彼女達の好機の眼が父さんに向けられていたのは明らかだ。


 やはり人目を嫌がるので、父さんは今も覆面と手袋を着けている……それがどうしても気になるのだろう。


「それじゃ父さん、ご馳走になろうか」


 女将さん達が出て行くのを待って父さんの覆面と手袋を外すと、ようやく僕らは今夜の晩餐を親子水入らずで開始する。


「いやあ、どれも美味しいね。特にお刺身なんか最高だ!」


 その料理は見た目の通りとても美味しかった。


 女将さんをはじめ、従業員達の態度はけして好ましいものと言えないが、その他はやはり良い宿と評価しても間違いないだろう。


 しかし、そんなご馳走を前にしても、父さんは「わしはいらん」と言って手をつけようとはしない。


 こんなに美味しいのに、もう一度、「せっかくの料理だし食べなよ」と促してみたが、「わしは目で楽しむ趣味だ」と、いつもの偏屈で食べようとしないのだ。


 ま、父さんは偏屈な上に頑固だし、食べないのもいつものことなので、これ以上言っても無駄であろう。


 こんなに食べないで体に悪いと思うのだが、それでも特に変わりなくいるので、この生活様式が父さんには合っているのかもしれない。


「けど、たまにはしっかり食べた方がいいよ? ……ん?」


 それでも駄目もとでそう最後に促してみたその時、僕は異変に気付いた。


 窓の外に人影が見えたのだ。


 僕らの部屋は山際すれすれに位置しており、その窓はそちら側に面している。


 そのため、人に覗かれる心配もないため、ガラス窓の内側に付けられている障子は明かりとりに開けられていたのだが、すでに日も落ちて薄暗くなったその外に人型をした影が見えたのだ。


 宿泊客が入り込むような所でもないのに、いったいなんだろう……?


 不審に思い、僕は席を立つと目を凝らしながら窓の方へと近づいてゆく。


「……誰かいるんですか?」


 そして、窓の外の夕闇を覗いてそう尋ねると。


「うわああっ!」


 突然、大きな男の悲鳴が聞こえた。


「……!?」


 その声に僕も驚き、わずかの間を置くと慌ててガラス戸を開けて左右を見回す。


 すると、薄暗がりの中を転がるように逃げてゆく人物の、青い法被を羽織った後姿が微かに見えた。


 その風貌からして、おそらくあの、先刻も部屋を覗いていた男性従業員であろう。


 彼がまた、僕らの部屋をこっそり覗いていたのだ。


 まったく! なんという失礼な従業員なのだろう!


 覗き癖でもあるのだろうか? それとも、もしや本当に手癖が悪く、盗みを働く隙を覗っていたとか?


 ここまでくると、いくら温厚な僕でも放ってはおけない。後で膳を下ろしに来た時に女将に文句を言ってやろう……。


 久々に強い憤りを感じ、そう考える僕だったが、意外や収膳とは違う目的で女将さんは僕らの部屋にやって来た。


「お客様、少々よろしいですか?」


「はーい! ちょっと待ってください!」


 廊下からそんな女将さんの声が聞こえたので、そう断わりを入れると急いで父さんに覆面と手袋を着ける。


「お待たせしました。どうぞ……!?」


 そして、準備が整うと引き戸を開けたのだが、襖一枚隔てた向こう側に立っていた人物に、僕は目をまん丸く見開いてしまった。


 そこには女将さんの他、あの覗き魔の従業員や中居さんも揃っており、さらにはその背後に制服姿のお巡りさんまでがいたのである。


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