第3話 図書室と天文部


授業が終わり、放課後となった。


(俺の目的はカグヤを宇宙へ送り返すこと…その為には何をすればいいか…)


右手を眺めて心中で呟く。まだカグヤは寝ている。


(まずは勉強だな。俺自身あまり宇宙に関する知識がないし)


隼人は図書室に向かった。この学園の図書室ではそこまで専門的な書物はないが、それでも目を通しておかねばならない。


一番内容が簡単そうなものを選んで机に置き、そして愛用の電子辞書を取り出す。


6年間、ほとんど学校に行かず、本を読まず、テレビもロクに見なかった隼人にとって読めない漢字や意味が分からない単語が出てくる頻度は常人の比ではない。詰まるたびに一つ一つ調べなければならない。


(……深淵……ってどういう意味だ…?…さんずいから深を出して………)


隼人の読書は常人よりもはるかに遅いペースだった。


『ん…まだ学園に居るのか…』


50ページほど読み進めたところで隼人の脳内に声が響く。カグヤが目覚めたようだ。


『ああ。今は図書室に居る』


本を読むフリをしながら、隼人はカグヤと会話を続けた。


『宇宙に関して勉強していたのか』


『まあな。そっちの調子はどうだ?落ち着いたのか?』


『ああ。この体にも馴染んだ。一日に6~8時間の睡眠は必要だが…もう急に眠くなることはなさそうだ。本格的に活動できるぞ』


隼人も心の中で行うカグヤとの念話にも慣れてきた。流暢な会話が成立する。


『それじゃ…聞くけど…お前を宇宙に帰す為の方法について…この本には宇宙空間で地表から100km…カーマンラインと呼ばれる境界線から先が宇宙だと書いてある…けどこれは人間が決めた基準だろ?国や機関によっては80kmを境界にしている例もあるみたいだし…実際には何処まで行けばいいんだ?』


『100㎞だ。後は自力で飛べる』


『その高さに届けばそれでOKなのか?向かう方向とかは何でもいいのか?』


『そうだ。地球からある程度離れさえすれば後は自力で宇宙を飛び回れる』


『だとすれば…いくらかハードルは下がる感じか……』


「一定の高度を超える」という条件ならばクリアしやすい。これが「指定の宙域に投入する」ならば難度が跳ね上がっていたのは間違いない。


『…その気になればここからでも宇宙へ向かって飛ぶことは可能だ。だが実行すれば様々な痕跡を地球に残してしまう。それを避ける為にある程度の高さまで飛ばねばならんのだ』


『痕跡って?』


『まずレーダーに引っかかる。すると飛翔体が発射されたと各地の軍事施設が大騒ぎになる。さらに飛び立つ際に電磁波やらガスやら色々と放出するから、地球環境への悪影響も無視できない』


『…二つの意味でマズイってことか。カグヤがそういう配慮をしてくれるのは人類にとってもありがたいな』


『…あまりゆっくりしていられる身ではない。いざとなったら実行するぞ。そうならん為にも協力してくれ』


『わ、わかった。国際情勢が緊迫化して戦争になるって事態は俺も避けたいからな』


決して他人ごとではないと認識して隼人は気を引き締めた。


『…それで…宇宙に行く方法だが…ロケットが一番確実…というか現時点ではそれしかないよな』


『うむ。その点は同意見だ』


手にした本にはロケットの他、起動エレベータ、真空管電磁誘導砲、多薬室砲、レーザー加速装置など、宇宙空間に到達する為の技術が掲載されていたがまだどれも研究段階だ。


会話に集中しているせいでページをめくる手が止まっていたことに隼人は気づかないまま話を続けた。


『今の技術だとロケットを使って1㎏の物資を送るのに11000ドルの費用が掛かるらしいな…カグヤは何グラムくらいあるんだ?』


『200グラムだ。膨らんで人型になったり…猫の首輪に化けたように…形は自由に変形できるが重量を変えることはできん』


手にかかる負担からそう重くないことは隼人にも予想できた。


『200グラムだと1ドル110円で計算して…えーと…その…11000÷5が2200で…えーと…×110で……242000円か。この計算式をそのまま当て嵌まる訳にはいかないけど…そんなに高くないって気もするな…』


常人ならばもっと早くできた計算だが、勉強が出来ない隼人にはこの問題すら手こずる難問となる。


『問題はどうやってロケットに私を乗せるかだな』


『それだな…休み時間のうちに調べてはいたんだ』


備え付けのパソコンの前に隼人は移動した。そして事前にスマホでブックマークをしていた、宇宙に関連するホームページを開く。スマホの小さい画面で宇宙に関連するページを見るのに適さない。


『これはロケット打ち上げの予定一覧か』


『そうだ。学生の手で宇宙まで届くロケットを一から作って飛ばすなんて現実的じゃない。既存のロケットに乗っかるのが最善の策だと俺は思う』


『それについては私も調べていた。次に打ち上げられるのはフランスのロケットだったな』


リストに目を通すとカグヤの言った通りだった。打ち上げ予定は三日後となっている。


『ロケットって思いのほかたくさん打ち上げられているんだな。一年間に70近く。週に1回は打ち上げられているんだ』


リストを見ながら隼人は呟いた。最初に思い浮かぶ二つの大国だけでなく、様々な国がリストに名を連ねている。


『ロケットを開発している人達…技術者達を操って、カグヤを搭載させて打ち上げる…普通に考えればそれが一番の方法だと思う』


巨額の資金が投入されるロケット計画を乗っ取るのはとんでもない大犯罪であることは隼人も頭では理解していたが、既にその辺の感覚は麻痺していた。


『私もそれをやろうと思ったが…猫に寄生したのでは移動もおぼつかん。私が寝ている時間は何もできなくなるからな。だが人間と協力すれば変わるはずだ』


『…プランはほとんど出来上がっていたようなものじゃないか。なんで最初から説明しなかったんだ?』


『お前自身が理解しなければならんのだ。こちらから詰め込むように教えても実感が湧かないと思ってな』


『まあそれはそうだけど…』


意図は理解できるが、泳がされたような、試されたような扱いは本人にとってあまりいい気はしない。


(…逆に言えばカグヤはこのあたりの人間の感情の機微がわからない…ってことか)


仕返しとばかりに隼人は心中でカグヤについて分析した。そしてロケットについて意識を切り替える。


『でもこのロケットに乗るのは無理だよな。俺のパスポートは期限切れているからフランスには行けないし。そもそもそんな簡単に後乗せ出来るものでもないし』


まだ素人レベルの知識しかない隼人にもロケットの打ち上げには微細な計算が求められることは想像できる。発射直前のロケットに無理矢理カグヤを載せれば打ち上げの成功率が激減するのは目に見えている。


『その点もそうだが…まだあるぞ。いくら電波で人間の精神を操れると言っても複雑な命令を送る場合、言語による細かな指示が必要になる。お前は日本語しか話せないだろう』


『でもお前はきっとどんな言語でも話せるんだよな。地球に来たばかりなのに日本語流暢だし』


『うむ。だが私が眠っている時はどうする?』


『…お手上げだな。俺自身が日本語しか話せないんじゃ…いざという時に困るケースもあるってことか…』


『そうだ。活動範囲は日本に限定して計画を進めるぞ。ああそれと、さっきのロケットはフランスのものだが、打ち上げられる場所は南米だ。フランスに発射場は無い』


『え……あ、本当だ。海外地域圏ってのがあるのか。しかも搭載されるのはインドと韓国の衛星…?多国籍なんだな…ロケットって…』


モニターに表示した詳細な情報を閲覧して隼人は自分の勘違いに気付いた。地球に来て三か月の宇宙生物に指摘されるのは少し屈辱的だ。


『まあこれから勉強していけばいい。だがその前に一つ確認しておくことがある。大事な点だから念を押すぞ』


脳内に響く念話の音量を一段階上げてカグヤは続けた。


『朝にも伝えたが、地球へ与える影響を最小限に抑えるのが私の方針だ。そして…ロケットの打ち上げは人間にとってとてつもなく大きな事業だ。それを丸ごと乗っ取って私の移動手段とするために打ち上げるのは私のルールに反する。その為にはどうすればいいかわかるか』


少し考えた後に隼人は返答した。


『出来る限り爪痕を残さず…本来のロケット打ち上げ計画への影響は最小限に抑える形がやるのが望ましい…ってことだな』


『うむ。そこを忘れるな…では次に日本のロケットについての情報を出してくれ』


隼人は指示通りに世界の打ち上げ予定リストを閉じて、日本のリストを開く。


『日本での打ち上げ予定は3か月後…宇宙ステーションに物資を届けるためのロケット…この物資にお前をこそっと紛れ込ませるっていうのはどうだ?』


『…そうだな。ステーションの中に入ってしまうことになるが、船外活動の際に紛れて外に出ることも可能だろう』


『…物資に紛れ込ませるには……まずは現地に行って電波をばら撒いて関係する技術者たちを操れる状態にしないとな』


『よし。そうと決まれば早速行くぞ。関連する施設…まずは射出場だな』


『わかった…二葉島宇宙センターへ行くには……ってちょっと待った。俺一人で行っても入れるもんじゃないだろ』


思いの他サクサクと進むミーティングの勢いに流されそうになった隼人だが、懸念に気付いてストップをかけた。


『電波で操ればどうとでもなるのではないか?』


『それもそうか…いや待て。俺みたいに電波に高い耐性を持つ人間が居たとしたらどうなる?その人が「なんだこの学生は?どうやって入ってきた?」って混乱するぞ』


『むう…確率は極めて低いが…確かにあり得るな…』


その点はカグヤも見落としていたようで、少し考え始める。


『ここは学園を通して資料請求を申し込んで、社会科見学って形で行くのが正解じゃないか?仮に操れない人間が居たとしても、見学する集団に紛れていれば不審がられないだろうし…ああでもこの学園では社会科見学とかやってないから、急に始めるのも不自然だな。もう既に予約している学園はあるだろうから…それに潜り込むっていうのはどうだ?』


『そうだな。後で潜り込む学園を探してくれ』


『決定だな。それでいこう』


話し合いがひと段落着いたところで隼人はパソコンの画面に視線を戻す。そしてリストを見てあることに気付いた。


『そういえば…このリストには載っていなかったが…日本でもロケットの打ち上げを行う民間企業があったような…』


『む、確かにあったな。確か前回のロケット打ち上げが失敗した奴か』


ホームページで開いた。隼人もニュースで名前を聞いたことくらいはあった。


『実績があるとは言えんが…まあ候補には入れておこう。選択肢は多いに越したことはない…こっちのロケット施設にも行くぞ』


『だとすれば…二葉島と同じように既に見学を予約している団体に潜り込むって方法で行くか…』


『よし。それでいこう』


『調べるには…職員室で先生に聞いたほうがいいか。他の学園との横のつながりもありそうだし』


目的達成の為に何をするべきか、考えてみると答えはすぐに出てくる。


(まあこんなに話が早く進むのは……カグヤの人を操る電波が凄すぎるからだけど…)


念話に気を取られていた隼人はすぐ近くに人が経っていることに気が付かなかった。


「う、う、う、宇宙に……き、興味があるの?」


突然声をかけられて隼人はビクリとしながら顔を上げた。そこには女子生徒が立っていた。


大きなフレームの眼鏡。そして少しぼさっとしている肩までのロングヘア。


全体的な印象は気弱そうな文学少女、と言った感じだ。リボンの色から同じ学年だということは把握できる。そして隼人とは違うクラスだ。


「ご…ご、ご、ごめん。驚かせちゃって……」


「いや…こ、こっちこそ驚いてごめん……宇宙に関して勉強していたんだ」


モニターに表示された民間ロケットのホームページと、デスクにおいてある宇宙関連の書籍を見れば推測は容易だ。


(二人とも慌て過ぎだ。少し落ち着いたらどうなんだ)


「し、仕方ないだろ、急に話しかけられたし……知らない女子と話すのは久しぶりだし…」


フィギュアをやっていた頃は割と同年代の女子と接する機会は多かった。競技人口の男女比は1:5。隼人は将来有望なエリートだったこともあって女子の方からアプローチをかけてくる場面もあった。かなり親密な関係になった少女も一人いた。


だが、その少女は隼人が入院してから一度もお見舞いに来なかった。彼女に限らず、フィギュアに関連する人物は誰も見舞いに来なかった。


両親が見舞いを断っていたという事情があるが、それでも手紙を送るくらいはしてくれてもいいのでは、と当時の隼人はすさまじく落ち込んだものだ。


退院した後もフィギュアに関連する人物とは家族を除いて誰とも再会していない。フィギュアの道が断たれたことは隼人にとって一回死んだようなものだった。


「わ、わ、わわ、私、て…、て、天文部…に所属していて…………よよよ、よかったその…部室に見学しに…来ない」


緊張しているにしては女子生徒の様子は少しおかしい。隼人がそう思ったところでカグヤが念話を送った。


『確かこの女子生徒は吃音症だと学園のデータにあったな』


『吃音症?そういえば聞いたことがあるな』


名前と顔までは知らなかったが、同じ学年に吃音症の女子生徒が居るということは隼人も聞いたことがある。話始めに言葉が出なかったり、話の途中で息が上がったかのように言葉が止まってしまう症状だそうだ。


「そ、そ、その…いやだったらいいから……じ…邪魔しちゃって…ごめん……」


『どうするカグヤ。ここはついていった方がいいか』


『うむ。宇宙に詳しい人物との関係は作っておきたい。お前にとっても損はないだろう』


念話で素早く会話を終えて隼人は返答した。


「いや…宇宙に興味があったから……案内してくれると助かるよ。俺は深浦隼人」


「わ、わ、わ…私は佐沼朱里…よろしく…じゃ、ついてきて」


彼女についていく形で、隼人はパソコン室を出た。




(…少し…ドキドキしてきたな…)


天文部の部室へと向かう途中へで隼人はそう思った。そもそも人と話すのが苦手だ。


何せ学力が低く、少し難しい言葉を使われると意味が分からず、会話が止まってしまう。いつ相手に馬鹿だということが知られるかわかったものではない。


そう考えると発言する自信がなくなってしまう。フィギュアをやっていた頃はそうでもなかったが、取り柄を持たない人間は弱気になってしまう。


だがカグヤの力があればどうとでもなる、そう思って迷いを振り切った。


案内されるままに部室に入ると中に居たのは三人の女子。書類を広げた机を囲んでいる。


「遅いわよ、早く本を…って…あら」 


「どうしたの。誰?」


「入部希望者?朱里が連れてくるなんて」


三人の視線が隼人に集中する。


「えーと…深浦隼人と言います。ちょっと天文部に興味があって…見に来ました」


男子が一人に女子が四人、と言う状況は隼人にとって落ち着かない。だが女子達にとっては好ましいのか、やたら色めきだっている。


「その赤い襟章…2年生だよね」


「はい。一年生の時は部活に入ってなかったもので」


「深浦…もしかして例のフィギュアスケートの…?」


この中でリーダーっぽい女子が気づいたようだ。


「え、ええ…」


フィギュア界の希望の星だったが病気で道を断たれて今では普通の学生となっている、という隼人の素性は知っている者なら知っている。


「そ、そそそそ、その……ろ、ろ、ロケットについて…その…」


隣にいる朱里の助け舟は期待できない、そう思って隼人は話し始めた。


「星空というよりはロケットとか、スペースシャトルとか、宇宙に行く方法に興味があります。まだ知識とかは素人レベルですけど」


隼人の言葉に三人の中でまとめ役っぽい少女は顔をしかめた。


「そっち派ね…天文ファンにもいろいろと派閥があるから話が合わないかもしれないけど……それでも歓迎よ」


そう言いながら椅子から立ち上がった。


「私は大城まどか。一応、この部の代表かな」


背は高めで大きい目にストレートのロングヘア。隼人が察した通り、まとめ役だった。


「私は桐山詩子。よろしく」


短い髪にスレンダーな体つきで陸上部っぽい感じがする少女。声もイメージ通り低めだ。


「青柳京香。よろしくね」


小柄で幼い感じのする少女。だが始業式の時にはかなり大人びた下着をつけていたような記憶がある。


服を着ている今ではそんな感じはしないが、胸のサイズもかなりのものだったような気がする。体格によって相対的に大きく見える、というのもあるかもしれないが。


「それじゃ座って。宇宙についての話がしたいんでしょう?」


「ええ。色々と聞きたいんですけど…」


席に着くや否や、隼人は話を切り出した。質問されると無知を晒す可能性が高いので相手に喋らせた方がいいという判断だ。


「宇宙開発ってどんどん予算が削られて、規模が小さくなっているような気がするんですが…実際のところどう思います」


宇宙に関連する調べ物をしているうちに隼人が最初に抱いた疑問をここでぶつけることにした。


「衰退だなんてとんでもない。ロケットの打ち上げ数は増加の一途なんだから。まあ世界全体の話だけど」


「世界的には…ってことは日本ではやはり衰退しているんですか?」


「単純な予算的にはそんなに減少しているって訳でもないわ。まあ例の探査機の予算が17億円から3000万円に削減されたってニュースが有名になったからそう思うのも無理はないけど」


「予算を減らすと言っていたのに探査機が話題になって国民の関心度が高まった途端に政治家たちは掌を返したわけだけど」


「探査機が直面した最大の障害は地球に居る政治家、なんて皮肉られたっけ」


「話題になった、というよりは広告代理店が「話題にした」って感じに思えるけどね。ドラマに映画に…金になると分かった途端に飛びついてくるんだから」


「あのドラマはちょっと嫌だったな。衛星が喋るっていうのは演出にしてもナシだと思った」


「衛星ばかりにスポットが当たって、地上の技術者があまり目立たなかったし。そりゃ宇宙を映したほうが絵的に映えるというのもわかるけど


堰を切ったように話し始める三人の勢いに隼人は気圧されてしまう。


「…結局はお金…あるいは見返りってことですかね」


専門的な話を必死で処理しながら、隼人は苦し紛れの返答をした。


「そりゃあ投資額に見合うほどのリターンが無い、っていう政治家の判断も的外れじゃないから。資源が少ない日本は科学技術を伸ばさないといけない、っていう意見は正しいけど、地上で他にやるべきことがたくさんあるのに宇宙で金を使っている場合かって意見も正しい。折り合いをつけるなんて簡単じゃないから」


「二つの大国が競い合っていた頃は制宙権の確保…「軍事的な優位」を得るためのある種の戦争だったから…今とは訳が違うし…」


「宇宙開発で後れを取れば衛星で空から偵察されるかもしれない、宇宙から攻撃されるかもしれない……そういう理由があれば国民がお金を投入するのに納得できた。でも冷戦が終わって他にやることが色々出てきたから…」


「あの時代の大国の宇宙開発費を国民一人当たりの負担額に換算すると年間20万円…。子供二人の四人家族が年間80万円って考えると本当にとんでもない額…」


「今では予算を十分の一にまで切り詰めて……宇宙ステーションに行くのに他の国のロケットに乗り合いする有様…火星に行くってプロジェクトも本当に実行できるのか怪しいけど…」


「私は何が何でもやると思う。月の次は火星…一番にはこだわると思うし」


隼人を置いてけぼりにして話を広げていく三人。


「そ、そ、その…」


朱里が助け舟を出そうとしたことで、まどかが気づいた。


「ごめんね。勝手に盛り上がって。みんなオタクだから自分が思ったことを言わずにはいられないの」


笑いながら謝罪するその様子は愛らしかった。彼女はおそらくクラスでは人気者の部類に入る女子だと隼人は推測した。


「いえ…結構本格的だなって思いました…それで…この部の実質的な活動は天体観測ってことなんですか」


「うん。野外活動サークルと合同で、キャンプしながら天体観測をやるのが主な活動かな」


「あ、あ、後は…天文検定も受ける予定」


「天文検定……そんなのがあるんですか…今もその勉強をしていたんですか」


机の上に置かれた本やノートを見ながら隼人は質問した。


「ああ…これは1年生に配るためのチラシ作り。天文部がどんな部活かってことをアピールする為のね」


「……ていうかこのチラシの締め切り明日まででしょ。早く作らないと」


「やば…まだ下書きすらできてないのに…」


状況を思い出したのか、女子達は慌てだした。


「朱里。例の本は?図書室にある資料を取ってくるって話だったでしょう」


「あ…い、い、今から持ってくるから!」


朱里が立ち上がって部室へ出ていく。


「ごめん。忙しかったんだ。なら俺は帰るから…」


場の空気を察して隼人は立ち上がった。


「また顔を出してね。今度野外サークルと一緒にキャンプで星を見る予定なの。よかったら参加しない?」


「もうここで入らない?部員があと一人増えれば5人になって部費も出るようになるし…」


「ちょっと、まだ見学なんだから。そうやって強引にしなくても」


盛り上がる二人まどかが窘めた。


彼女は隼人の成績の低さ後れを取り戻すために必死になっているという事情を知っている。


部活に入ったことで成績が下がってしまったら、と心配しているようだ。


立ち去ろうとしたところで声がかけられる。


「ああそうだ。最後に一つ質問があるんだけど…人は何故宇宙を目指すと思う?」


「え…なぜ宇宙を…目指すか…」


元々、宇宙に興味があったわけではない隼人は回答に窮した。


「だーかーら、まだ入部するって決めた訳じゃないでしょう」


「別にいいじゃん。今の質問はこの部の伝統行事なの。入部志望者に尋ねるっていうのが恒例」


回答を期待して笑みを浮かべる京香。隼人はまるで大喜利を出されている気分になった。


(うーん…)


カグヤを宇宙に返すため、と正直に言う訳にはいかないし、言ったところで何言ってんだと思われるだけだ。


「…次に来る時まで考えておくっていうのはダメかな」


「うん。じゃあ宿題ね」


これでもう一度来るのが確定、と言わんばかりに京香は笑った。


「ああ。それじゃ」


三人の視線を背中に受けながら、隼人は部室を出た。

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