白い日常

 早朝の電車に揺られながら窓の外を静かに眺める。イヤホンから流れるお気に入りの曲が退屈な通学時間を少し楽しくしてくれる。膝の上に置いたリュックサックをぎゅっと自分の体の方に寄せて小さくため息をつく。左肩にほんのりと感じる温かさが会社員の男性のものであることを少し残念に思いながら目の前に広がる景色と流れている曲とを重ねる。三曲聴き終わったところで席を後にして電車から降りた。


 自分と同じ制服に身を包んだ学生の波に押され改札を出る。改札の前にある広告が貼られた柱の三番目で立ち止まって今出てきた改札の方を向きスマートフォンでニュースをみて時間をつぶす。

  

 しばらくすると僕が乗ってきた電車と反対車線を走る電車から降りてきた学生の群れが改札から出てきた。スマートフォンをズボンのポケットにしまってイヤホンも耳から外してリュックに片づける。学生の群れをボーっと眺めていると左肩に強い衝撃が走った。


「おまたせ!」


「なんだ悠太か、おはよう」


「なんだとは何だ、いこーぜ」


 そんなやり取りをすると僕らは二人で学校を目指す。エナメルバックを肩から掛けスパイクシューズを片手にもつ悠太はもう片方の手を大きく動かして楽しそうに話す。本日の話題は好きなロックバンドのニューアルバムについて。


「フラゲ、もちろんしたよな?」


「当然。」


 僕らは鞄からCDを取り出して顔を見合わせる。悠太はニヤッと笑うとCDを鞄に入れて新曲の感想について絶え間なく語る。その楽しそうで幼げな顔は驚くほど純粋で透き通った白色をしていた。


 たくさんの葉をつけた欅が並ぶ道を歩く。夏の始まりを告げるような暑い日差しが欅の葉の隙間を縫って僕らを照らす。悠太の話は学校に着くまで止むことはなく生徒会役員による挨拶も適当に返して話を続けた。


「もう着いちまったな、燈真と話してるとすぐ学校に着くな!」


「まぁ話してるのはほとんど悠太だけどな」


「お前はバンドへの愛が足りねぇんだよ」


「そんなこと…


「ならまた明日!聞いてやる」


 僕の抵抗を推測していたのか、悠太は食い気味にそう言った。そして上履きを履くと僕ら二年生の教室がある二階へと階段を駆け上っていった。かかとの潰れた上履きで教室に向かう悠太にいくつかの熱い視線が送られていることに気づいた。そのうちの一人と一瞬目があってしまった。彼女は「このことを口外すれば貴様の命はない」と言わんばかりの表情で僕を睨め付けてきた。全身で危険を感じた僕はすぐに目線を彼女から外して足早にその場を去った。


 教室に着くと僕より早く学校に着いているクラスメイトたちが教室のあちこちで談笑をしている。自分の席に鞄を置いてすぐにトイレに向かう。手を洗ってタオルで汗を拭いて顔を上げると目の前には鏡に映った自分の姿があった。


 数秒自分の姿を眺めると一度だけ大きく深呼吸をしてトイレを出た。自分のクラスに戻る途中悠太のいるクラスの前で足を止める。そこには窓側の席で何人かのクラスメイトに囲まれる悠太の姿があった。悠太は僕の姿に気づくとニコッと笑って手を振ってくる。それと同時に僕の方を振り向くクラスメイトたちの視線はお世辞にも温かい視線ではなかった。僕は小さく手を振り返すとすぐに自分の教室に向かった。


 学校での一日はいつも淡々と過ぎていく。今日も気づけば四限の授業が終わっていた。黒板には等比数列の問題と解説が書かれていて数学の先生がまだ教室で片づけをしていた。生徒たちが各々好きな場所に移動して昼ご飯の食べ始める。


「今日は弁当じゃなかった…」


 小声でそう呟くと僕は購買へと向かった。目についたパンを適当に三つ手に取って購買のおばちゃんの前に差し出す。


「はい、えぇーっと…三三〇円ね」


 お金をぴったりで払って教室に戻ると僕の席には女子が座っていてその周りにも女子生徒が集まっていて、昼間から宴会が開かれていた。僕は姿を見られまいとその場を離れて中庭に向かった。中庭のいくつかのベンチはカップルの指定席になっているので、空席を探すために芸術棟を通って人のいなさそうな場所を目指した。


 芸術棟二階から下に降りようとしたとき筆のようなものが落ちているのに気づいた。手に取ってみるとそれはやはり筆だった。年季の入ったその筆には黒い液体のようなものがまだ染み込んでいるのが分かった。少し細めの筆なので恐らく名前を書くときに使うやつだろう。


「芸術棟二階の教室は確か……書道部が使ってたな」


 不用心にもその教室が空いていたので中に入って、備品の筆が乾かしてある棚に同じようにその筆を置いておいた。自分の善行に浸りながらその日の昼食は無事にとることができた。


―――放課後


 僕はサッカー部の練習へと向かう悠太を見送って帰宅に向けて荷物をまとめていた。リュックを背負い教室を出ようとしたとき担任の先生に呼び止められる。


「白井、今日日直だぞ」


「あ、そうでした。すみません!」


「それじゃあ、よろしくな」


 完全に忘れていた。掃除と学級日誌ぐらいもう一人の日直と協力してやればすぐに終わるだろう。と、思っていたが運悪くもう一人の日直の姿は既になかった。


「はぁ、仕方ないか」


 大きなため息をついてゆっくりと掃除を始めた。掃除が終わって学級日誌を書いていると同じクラスの黒川さんが教室に入ってきて自分の机の中を確認すると、教室に残っている生徒に何かを聞いて回った。一通り聞きまわって彼らが首を横に振るのを確認すると、最後に僕の元へと近づいてきた。


「白井さん、私の筆を見なかった?」


「もしかして少し古そうな筆?」


「たぶんそれ!それ私のものなの。大切な筆なんだけどいつの間にか落としちゃってたみたいで……どこでその筆を見たの?」


「芸術棟に落ちてた」


「間違えない、それだ!」

「で、その筆は今どこにあるか分かる?」


「もちろん、筆を置いた場所まで案内するよ」


「ほんとにありがとう」


 あの教室は筆を置いた後に先生に言って施錠してもらったので、僕らは鍵をもらいに職員室に向かった。


「失礼します!」


 いつもより少し張り切った声で職員室に入り鍵を取ってすぐに出た。そのままあの教室まで黒川さんを案内すると、黒川さんの筆を取って手渡した。その時気のせいか黒川さんは少し不思議そうな顔をしていた。


「ほんとにありがとう」

「白井君がここに置いといてくれたの?」


「そうだよ」


 自身に満ちた表情でそう答えた。


「どうしてここに置いたのか聞いてもいい?」


「書道部の人の筆だったからここに置いた」


 なんでこんなことを聞くかよく分からなかった。


「私…書道部じゃないよ」


「えっ、じゃあ何で筆なんか?」


「美術部だから……かな」


 ???


「いやでも…筆の先が黒く―――」

「あっ、」


「この筆の先、赤色だよ」


「………。」


 芸術棟二階で書道部の活動が行われていることもあって完全に習字の筆だと思い込んでいた。僕が書道部のものだと思ってこの教室に置いたこの筆は美術部の黒川さんのものだったのだ。


「もしかして白井さん―――」





           ―――色が分からないの?

 


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