493話 【パリン視点】澄み渡るような青空

 ハイブリッジ騎士爵の取り計らいにより、俺たち夫婦は最愛の娘であるリンと再会できた。

 彼と今後の話をしようとしているところだ。

 俺から言っておくべきことがある。


「ハイブリッジ騎士爵様。私たちは、リンの治療費の足しにするため、そして奴隷から買い戻すために、貯金をしてきました」


「ああ。よく頑張っていたそうだな」


 彼が労うような視線を俺たちに向ける。

 有能な彼にとっては、俺たちのようなしがない平民のがんばりなど無に等しいはずだが……。

 やはり、彼は目下の者を思いやる心を持っている。


「ハイブリッジ騎士爵様方のおかげでリンの目が完治し、そしてこれほど素晴らしい主人に買い取ってもらえた今、治療や買い戻しに向けて新たに貯め込む必要がなくなったのです」


「まあ、確かにそうかもしれないな」


「ですので、たまにであればこの街までやって来る旅費を出すぐらいの余裕はあります。リンはまだ幼いですし、なにとぞ今後も面会を許していただけないでしょうか?」


 俺は勇気を出してそう要望を口にする。

 彼の厚意につけ込んでさらなる厚かましい要求をしている自覚はある。

 しかし、リンのためにもここは交渉のがんばりどころだ。


「ふん。それは認めがたいな」


 ハイブリッジ騎士爵が毅然とそう言う。

 やはり、さすがにこの要求は厳しかったか……。


「ああ、そんな……。騎士爵様……」


 妻が絶望してうなだれる。

 気持ちはわかる。

 俺も同じ気持ちだ。

 しかし、要求ばかりを重ねるわけにはいかない。


「控えなさい。リンを治療し、こうして一度会わせていただけただけでもありがたいことなのだ……」


 俺はそう言葉を絞り出す。

 すると、何やらハイブリッジ騎士爵が慌てたような表情になった。

 彼がリンの方を見て、口を開く。


「リン。今後は両親とここで一緒に暮らさないか? 幸いにも空き部屋はある。お前が望むなら、両親も含めてみんな一緒に住んでもいいぞ?」


 俺は耳を疑った。

 貴族の邸宅で同居だと?

 話がうますぎて怖いぐらいだ。


「えっ!? いいんですかぁ!?」


 リンは無邪気に喜んでいる。

 これまでのハイブリッジ騎士爵の様子からして、何かを企んでいる可能性はほぼないだろう。

 純粋に俺たち家族のことを思って提案してくれているようだ。


「もちろんだとも」


「ご主人さま! ありがとうございますぅ!」


 娘がハイブリッジ騎士爵に抱きつく。

 奴隷が貴族に馴れ馴れしく抱きつく……。

 本来であれば、不敬だとして罰を与えられてもおかしくない。

 しかし、彼にそのような素振りは一切ない。

 むしろ、喜んでいる様子さえある。


「ハイブリッジ騎士爵様……。何とお礼を申し上げればいいのか……」


「ありがとうございます」


 俺と妻は、彼に頭を下げて礼を言う。

 そういえば、彼は奥方殿だけでなくパーティメンバーや配下の者たちともかなり気を許した関係を築いている様子だった。

 戦闘能力を評価されて叙爵を受けたという話だし、あまり礼儀や身分には拘らない性格なのかもしれない。


 それに……。

 彼には、魔法や剣術に加えて、特記すべき重要な噂がある。

 それは、並外れた女好きという噂だ。


 俺はこの屋敷に招かれてまだ二日目だ。

 もちろん人間関係の全容など把握できていない。

 しかし、ある程度はわかった。

 ミティ殿の他、結婚済みの妻が合計で三人いらっしゃるようだ。

 それに、結婚間近の女性が数人。

 さらには、現時点ではそれほど深い仲ではないが、ハイブリッジ騎士爵を憎からず思っている女性が数人以上いる。


 言うまでもないことだが、俺の娘であるリンの性別は女だ。

 今年で8歳になる。

 色恋沙汰にはいくら何でもまだ幼すぎる。

 しかし、並外れた女好きのハイブリッジ騎士爵相手ならばもしかすると……?


 貴族のご機嫌取りのためだけに成長しきっていない娘を差し出すつもりはない。

 だが、ハイブリッジ騎士爵のような人格者のお気に入りになることができれば、良いことはあっても悪いことはあまりないだろう。

 彼が俺の娘をそういう目で見ていたとしても、俺が止める必要はないかもしれない。

 もちろん、リンが嫌がっていなければの話だが。

 娘とこういう話をするのは気まずいが、妻も交えてそれとなく聞いておくことにしよう。


「礼には及ばないとも。だが、もし感謝したいと思うならば、これからこの街、そして周辺まで含めたハイブリッジ騎士爵領の発展に尽力してくれればいい」


「発展ですか……? しかし申し訳ないことに、私どもに特殊な技能などはありませんが……」


「難しく考える必要はない。自分にできることをするのだ」


「わかりました。村では、畑仕事と少々の狩りを行っていました。この街で、何とかできる仕事を探してみます」


 俺はそう返答する。


「畑仕事か。それなら、ラーグの街の周辺に小中規模の畑が点在している。新たに用意してやろう」


「そ、そこまでしていただいてよろしいのでしょうか? とてもありがたいのですが……」


「気にするな。乗りかかった船だ」


「ハイブリッジ騎士爵様……。重ね重ね、お礼の言葉もございません」


 その後、彼の配下の方々の手伝いもあり、無事に畑は開墾できた。

 特に、ニム殿の土魔法はとんでもない練度であった。

 この立派な畑があれば、俺たちの生活も何とかなるだろう。


 娘の目の病を治療してくれた恩。

 奴隷とは思えないほどの厚遇で働かせてもらっている恩。

 俺たち夫婦と娘を再会させてくれた恩。

 そして、俺たちが家族としてまたいっしょに暮らせるように手配をしてくれた恩。


 とんでもなく大きな恩を受けてしまった。

 少しずつでも返せるように、がんばっていこう。

 愛する妻、そして愛する娘といっしょにな。


 俺たちの畑から街への帰り道、俺はふと空を見上げる。

 澄み渡るような青空が、俺たち一家の未来を祝ってくれているように感じた。

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