486話 とある農村にて

 俺はしがない村人だ。

 とある農村で、必死に働いている。

 この村は貧しい。

 不作の年には、子どもが労働力として売られるくらいには貧しかった。


 俺には可愛い娘リンがいた。

 しかし、目の病を発症して泣く泣く奴隷として売り払った。

 売却費は、彼女自身の治療費にあてられる。

 病を放置して黙って死に近づいていくことよりはマシだが、それでもやはり娘を奴隷に堕とすのは胸が張り裂けそうだった。

 俺はそんな悲しみを押し殺しつつ、鬱々とした日々を過ごしている。


「ふう。今日もよく働いたな……」


「そうね。でも、働けど働けど生活はよくならない……」


 妻がそうこぼす。

 ここ最近は不作が続き、俺たちの生活は苦しい。


「こんなとき、リンがいてくれたらなあ……」


 俺はそうつぶやく。

 彼女がいたら、今年で8歳だったはずだ。

 目の病を発症する前は、少し気弱だがよく笑う子だった。

 貧しいながらも笑顔あふれる食卓が思い起こされる。

 彼女は我が家の太陽だった。


「あなた。それは言わない約束でしょ……」


「ああ……。そうだったな。すまない」


 俺はそう謝罪する。

 リンの話題は禁物だ。

 妻は、俺以上に気落ちしている。

 やはり自らの腹を痛めて生んだ子どもがいなくなってしまって、寂しい思いをしているのだ。


 そんな風に俺たちが鬱々とした生活を送っている、ある日。

 村に見慣れぬ一団がやって来た。


「おい! お前がパリンとやらか!?」


 立派な鎧を纏った騎士と……武装した兵士たちだ。

 兵士の中には女もいるようだ。


「そうだが……。あんたらは何者だい?」


 俺がそう言うと、騎士は顔をしかめた。


「ふん。俺が何者かなど、お前のような平民には関係ないだろう」


 騎士がそう吐き捨てる。

 訪ねてきたのはそちらなのに、その態度は何だ。

 ……とは言えない。


 明らかに、彼らは高貴な身分だ。

 それに、腕も立つだろう。

 しがない村人の俺が逆らえばただでは済まない。


「それで? 何用でしょうか?」


「うむ。単刀直入に言おう。貴様らの身柄は俺が貰い受ける」


 は?

 何を言っているのかわからない。


「……俺たちはこの村を離れるつもりはありません」


「ほう? 俺に逆らう気か?」


「逆らうも何も……。逆に、あなたにどのような権限があってそのようなことを仰られているのでしょうか?」


 騎士は相当に高貴な身分で腕も立つようだが、いくら何でもいきなり来て身柄を引き受けるというのはムチャクチャだ。


「俺を知らんとはな。やはり、田舎の小村。情報が遅い」


 騎士が嘲笑を浮かべた。


「いいから従え。これは命令だ」


「ですから、理由を教えてくださいと言っているのです。何の権限があってそのような命令を?」


 俺が再度問うと、騎士の顔色が変わった。

 そして彼は怒りの形相になり、腰に差していた剣を引き抜く。


「ゴチャゴチャうるせえ! 黙って言うことを聞いていればいいのだ!」


 騎士がそう言って凄む。


「ひぃっ」


 隣にいた妻が小さく悲鳴を上げる。


「逃げるぞ!!」


 俺は妻と手をつないで走り出す。

 行く宛などない。

 とりあえず、森の中に逃げ込めばどうになるかもしれない。

 俺はそう思った。

 しかし――


「疾きこと風の如し」


 いつの間にか騎士が目の前にいた。


「は、速すぎる……」


 この村の近郊にも、たまに魔物狩りで冒険者や兵士が来ることはある。

 俺も彼らの戦いを見る機会が何度かあった。

 しかし、この騎士の速さは今まで見てきた者たちの中でも最も速い。


「ふん。俺から逃げられると思ったのか? この俺、タカシ=ハイブリッジ騎士爵様からなぁ!!」


 そう言って、俺と妻の正面に仁王立ちする騎士。

 彼があの有名な新貴族だったのか……。

 俺では、勝つことはもちろん逃げ切ることすらできないだろう。

 俺は逃亡を諦める。


「ようやく観念したか。今回の件は、この村の村長や領主である子爵殿の了解も得ている。どのみち逃亡してもムダだったのさ」


「く……」


 村長……。

 貧しいながらも、村人をまとめる立派な人格者だと思っていたのに。

 裏切られた。


 それに、領主が自らの領民が拐われることを了承しているだと?

 くそ。

 この国は腐ってやがる。

 リンの治療方法の相談に親身に乗ってくれたのは何だったんだ。


「安心しろ。お前たちの娘であるリンは、俺が奴隷として購入してやったからな。すぐに会えるぞ」


「なっ! き、貴様ぁ! 俺の娘に何を!!!」


 俺は頭に血がのぼる。

 奴隷として売り払ったからには、彼女が辛い目に合ってしまう可能性はもちろん認識していた。

 しかしそれでも、死んだり失明したりするよりはマシだと信じて送り出したのだ。

 こんな横暴な騎士に買われたのであれば、何をされているかわかったものではない。


「別に何もしないさ。強いて言えば、毎日可愛がってやっているがな。変わり果てた娘の姿を見るのを楽しみにしていることだな。ふはははは!!!」


 高笑いをする騎士。

 変わり果てた姿だと?

 リンに何をしたのだ。

 許せない。

 絶対に、こいつだけは許すことができない。


「よし。連れて行け」


「はっ! かしこまりました!」


 女性兵士が、俺と妻の身体を拘束する。


「くそぉ!! 離せぇ!!」


「おとなしくしなさい! そもそも、なぜ逆らうのです? タカシ様のご意向に逆らうとは、無礼ですよ!」


 なんだこの女の力は!?

 村の中でも力が強いほうだと自負している俺の腕がビクともしない。


「ぐぅ……」


「あなた……」


 俺と妻は、為す術もなく連行されていく。

 果たして、どうなってしまうのか……。

 俺は絶望的な思いを胸に、馬車に揺られていった。

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