第5話 先を逝く

「ねぇ、君。名前なんていうの?」


 夏の蝉時雨の中。

 耳を塞ぎたくなるほどに騒がしい森の中で、

 少年はその日、笑顔の眩しい少女と出会った。



――――時は一年前に遡る。


 当時、少年の歳は十四。

 世間一般で言えば高校一年生に当たる。


 親も親戚もなく一人きり。

 両親は彼が産まれて間もなく他界し、その育て親であった母方の祖母も、彼が七つの時に他界した。


 腫れ上がった瞼。

 握りしめた懐かしい匂いの香るハンカチ。

 線香の匂いで満たされた広い空間。

 ぐじゃぐじゃの顔で迎えた彼女の葬式は、見た目だけは一流のものと言えただろう。


 その日初めて顔を合わせた親戚一同。

 棺桶に縋り付く少年を除いて、その誰一人も、祖母の死を嘆いてなどいなかった。


 それどころか、親戚達は皆葬式を一通り終えるとすぐに、実の母親の遺影の前で身寄りのない少年――ゆづるの擦り付け合いを始めていた。


 そしてそこでゆづるは、生まれて初めて自身の両親に関する詳しい話を聞くことになる。

 嫌でも聞かされた、というのが正しかったか。


 母の旧姓の名は花迴はなえつむぎ。

 生前は医者で、主に貧しい国での仕事を希望。

 ゆづるが産まれてからもその職を辞めることはなく、年中海外を飛び回っていたそうだ。


 母の兄、一武かずむと名乗る男が「あいつには散々苦労をかけられた」と唾と一緒に吐き捨てていたのを覚えている。

 彼はゆづるの身寄りの話をしている際も、葬式の後とは到底思えない剣幕と態度だった。


 母の死因はその頃海外で流行っていた伝染病。

 その治療と病原体の調査の途中に感染が発覚し、それが原因で日本には帰って来れず、その後すぐに現地で火葬を終え、結局遺骨の状態ででさえ会うことは叶わなかったのだという。

 当時父はそれを酷く嘆き、血眼で何度も何度も受話器を握りしめていたと、「馬鹿らしい」と思い出話に花を咲かせていた。


「――あいつが先に死んでて良かったよ」


 母は親戚の中でも変わり者で、昔から皆に邪険にされていたそうなのだが、実際の話、祖父の遺産を祖母と母の二人だけに分け与える、といった内容の遺書を祖父自身が遺した事に対する嫌味なのだと受け取れた。


 本当か嘘かも分からない愚痴が多かったが、所々聞こえた話をまとめると、何やら祖父は元々不治の病を患っていたそうだった。


 当時医者を目指していた少年の母――つむぎ。

 兄妹達はそれこそ資金は流石に出したものの、その世話や看病をほぼ全て任せっきりにしていた。

 一人だけ成功し輝いていた母を陥れてやろうと、そういう寸法だったのだろうが、結局彼女は仕事との両立を難なくこなしてみせたのだそうだ。


 しかし結果的に亡くなってしまった祖父。

 病気のことを考えれば当然の結果だった。

 そして、その後間もなく発見された遺書。

 それもまた当然の内容だと少年は思ったが、当時彼らは散々な批判をしたのだという。


「――ホントにな。今回こそ根こそぎ全部持ってかれてたかも分からねえ。ま、結果オーライってことで」


 祖母が今まで親戚を頼らなかったこと。

 何となく今なら理解出来る気がする。

 彼らはきっと、遺産目当てで優しい顔をする。


「――で、お母さんの遺書は見つかったの? あたしもう帰りたいんだけど」


 長男、花迴 一稀いつき

 長女、花迴 立夏りっか

 次男、花迴 一武。

 そして次女――末子、花迴 つむぎ。


 母の生を聞く限り、似ても似つかない兄妹達にまだ幼かったゆづるは唇を噛み締めた。

 湧き上がる感情は怒りだった。


「――見つかったそうです。内容は今、弁護士の方に確認して頂いています」


 母方の親戚が棘のある言葉を交わす中、翳人かげりと名乗る男が割って入る。

 その後ろでは女の人が心配そうに眉をひそめて、ゆづるに微笑みかけていた光景が過ぎった。


 父の名は雨水うすい しづき。

 生前は警察官で、警視庁捜査一課の刑事。

 切れる頭と行動力が故に優秀で、いつも最前線で戦い活躍していたそうだ。


 父――しづきは殉職だった。

 彼にとって最期となる日。

 その日は、歴史的大雨の降った日だった。


 母はその時既に他界。

 故に当時二歳であったゆづるは、父の仕事の間は母方の祖母の元に預けられており、その日は父が迎えに行く事になっていた。


 事件が起きたのは、その日だった。

 同僚と、明日の昼間は災害にあった住宅がないか確認に回る必要があると、目元に隈を作って言葉を交わしたのが最期。

 その帰り道で、父はこの世を去った。


 川に流されかけていた子供を助け、その代わりとなって流されてしまったのだそうだ。


 家族で出かけた帰りの事だったという。

 突然の土砂崩れと、川の氾濫。

 当時まだ二歳だった幼い少女。

 車の運転席とその助手席に座っていた彼女の両親は、激しく頭部を損傷し即死だった。

 父は車の中から必死に助けを呼ぶ少女を見つけ、すぐさま助けに行ったのだという。


 川の氾濫によって落ちた橋。

 立ち往生した車。

 川の轟音と大粒の雨音。

 そして、少女の泣き叫ぶ声。


 私はただその状況を見ていることしか出来なかったのだと、本当に愚かだったと、後にその場に居合わせた男が語った。


「――はい。ええ、それで、中身の方は」


 父の家系は代々優秀だったらしく、父の兄――雨水 翳人は、「他人の命の代わりになるなんて馬鹿なやつだ」「もっと頭のいいやつだと思っていた」と話しているのを聞いた。


「――遺産についての項目が、あったそうです」


 長女、雨水 瑠深るみ

 長男、雨水 翳人。

 次男――末子、雨水 しづき。


「――遺産は全て、花迴、雨水 ゆづるに託す、と」


 今なら鮮明に思い出せる。

 あの日見た大人達の汚い眼差しを。

 まっすぐと向けられた、欲望の眼差しを。


 未だに消えない、深く抉られた心の傷を。

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