2日目

 夜明けと共にベッドから起き出した俺は、寝ぼけた足取りでリビングへと続く扉を開けた。まだ窓の外は薄暗く、朝焼けがゆっくりと東の方から顔を見せた頃合だ。普段であれば忙しなく騒ぎ立てる小鳥の鳴き声が聞こえるはずだが、今日はまだ聞こえない。雨の気配はないが、もしかしたら今日は降るのだろうか。


 畑の世話をして、ついでに今日の朝ごはんに使う分を収穫しなければならない。俺一人なら多少サボっても問題ないが、昨日から同居人が一人増えてしまったため、できるだけ収穫量を増やす必要がある。

 と言っても、今ある収穫物の成果は三ヶ月前の努力の結果であり、昨日今日とにわかに頑張ったところで収穫量が上がりはしないのだが、それもまぁ、ちょっとは気分の問題なので……。


 リビングに転がっているであろう同居人が起きないように、抜き足差し足で真っ暗なリビングを前にすすむ。外は明るくなり始めたとはいえ、家の中は真っ暗だ。ゆっくりと歩かなければロバートを踏んでしまう。


 起こして畑仕事を手伝わせてもいいのだが、昨日倒れた手前、今日はゆっくり寝た方がいいだろう。


 そうしてようやく玄関までたどり着いて扉を開けると、家の中に冷たくて肌寒い空気と朝日の欠片が入り込んだ。行って来ますの心を込めて、少しだけ明るくなった室内を振り返る。


 そこに、ロバートの姿はなかった。


「あれ?ロバート?」


 声をかけてみるが、返事はない。


 昨晩、彼にブランケットを貸し出して、ロバートはそのままリビングで寝たはずだった。というのも、俺自身はあの後、寝室に篭ったまま仕事の続きをしていて、そのまま寝落ちてしまったため、ロバートが寝たかどうかを確かめたわけではなく、彼はきっとあの後リビングで寝ただろうなという、推測でしかない。


 夜の間に出て行ってしまったのだろうか。


 昨晩の別れ方を思い返してみても、それは無理もないことだった。


「まあ、それはそれで悠々自適で孤高のスローライフが返って来るだけですけども。」


「おはよう、マルク。朝早いね。」


「うわぁ!」


 突然背後からかけられた声に驚いて振り向くと、きっちりと身なりを整えたロバートが家の前に立っていた。何を驚いているのか分からない、といった風に小首を傾げて、マルクが出て来るのを待っている。


「ロバート、なんで外にいんの?」


「日課の走り込みと、マルクの身辺警護だよ。ここに置いてもらうために、家事と身辺警護と魔獣狩りをするって、昨日言っただろ。魔獣が彷徨いていたら討伐しようと思って、朝から家の周りの見回りを済ませてきたんだ。」


「見回りってお前、俺の寝室に剣忘れてますけど!?」


「ん……、あれ?そうだっけ。」


 昨日彼を保護した時から、俺が彼の腰から外した剣は寝室の壁に立てかけたままだ。この男はそれに気づかず、手ぶらで魔獣退治に向かったらしい。のほほんと笑うロバートの姿を前にして、俺の脳裏に一抹の不安が掠める。


 ロバートが仕事でやらかした大失敗って、凄くしょうもない事なのではないだろうか。ボロボロになった服も、実はちょっと転んだだけ、みたいな顛末でもおかしくない気がしてきた。


「魔獣、出会わなくてよかったね。」


 心の底からそう言うと、それを聞いたロバートは心底嬉しそうに笑った。


「それで、マルクはどうしたの?」


「どうしたって……、野菜を採るんだよ。お前と俺の朝ご飯。」


「なるほど。じゃあ俺も手伝うよ。体もいい感じに温まってきたことだし。」


 そう言って、意気揚々と畑へと歩き出すロバートの後ろをついて行きながら、俺はじっと彼の背中を眺める。


 この人、畑仕事とかできるのだろうか。


 昨日は収穫を手伝ってもらったが、それはあくまで一番簡単な部分であって、真の畑仕事とはそれ以外のところにある。畑を耕し、畝を作り、種から苗を育てて、植えたら水を撒く。そうして毎日世話をして、雑草を抜いたり、育った野菜を間引いたり、付いた虫と戦いながら、食べられる部分を収穫するわけだが……。


 ちょっとだけ不安である。


「じゃあロバートは、この辺の雑草抜いてくれ。雑草と、苗の区別はつくよな。」


 畑の隅っこに彼を連れてきて、仕事の概要を説明すると、彼は大きく頷いた。


「多分大丈夫。やったことあるよ。」


「へぇ、意外。冒険者と畑仕事って、正反対の物だろ。」


「実家にいた頃に、夏が来ると父の手伝いをしていたんだ。家の前に大きな農園があってね。俺の故郷は農村で、村人はみんな、大きくなるまでに農業のイロハを親から教え込まれたものだよ。」


 楽しそうにしながら、ロバートは畑へとしゃがみ込む。喋りながらも手を動かしているのを確認してから、俺も水撒き用のホースを手にとった。


「大変だっただろ。友達と遊ぶ時間なかったんじゃないか?」


「そうでもないよ。友達もみんな、自分ちの畑仕事を手伝ってたから、毎日顔を合わせるのが嬉しかった。あれが遊びみたいなものだったなぁ。休憩時間になったら俺の弟も、友達の弟も一緒にね、家に帰って冷やしたベシメロニの実を食べるんだ。」


「あー。美味いよなぁ、ベシメロニ。来年の夏は作ってみようかなぁ。」


「それは楽しみだ。夏が来るのが待ち遠しいな。」


「お前、普通に来年もここにいるつもりなのか。」


 だんだんと日が高くなり始めて、辺りはすっかりと明るくなっていた。ホースの先から飛び出た水が、日光を反射してキラキラと輝いている。


 ふと、ロバートが俺の方を見た。人差し指でこちらを指差して「それ。」と言う。


 どれだ。


 キョトンと首を傾げる俺に、ロバートは悩んだ素振りをしながらも、言葉を捻り出す。


「その、手に持ってて、水がでる。」


「魔動ホースのことか。いいだろ、これ。」


「すごく便利そうだけど、どうなってんの?」


「俺も詳しいことは何も分からないんだけど、ホースに魔術が施されてて、家の裏手にある小川から水を引っ張ってきてるらしい。めちゃくちゃ高価だったけど、今となってはいい買い物だったという確信がある。」


「へぇ、他所で見た事ないや。特注品?見たところ、相当腕のいい魔道士の仕事でしょ。」


「麓の村に一人だけ、魔道士のお爺さんがいてさ。その人にお願いしたら、これが出来上がってきた。あの時、魔動ホースを買ってなかったらと思うと、ゾッとするね。」


「確かに。小川から水を汲んで、この畑に撒くとなると……。」


 考えただけでも嫌になる作業だ。お爺さんには感謝しかない。畑に水を撒く、という作業は想像を絶する量の水が必要なのだ。早く雨が降らないかな。


 ホースから出る水を止めて、空を見上げる。時間とは無縁の生活を送っているせいで、正確なことは分からないが、そろそろ朝ご飯の時間になりそうな気がした。採れそうな野菜を収穫して、一旦休憩だ。


「野菜収穫して、朝ご飯にしよう。」


 そう声をかけると、ロバートがパッと顔をあげた。


「やった。丁度、お腹すいたなって思ってたんだよね。採れたて野菜のブレックファストだ。」


「って言っても、なんか採れるのあるかなぁ。」


 秋は端境期で、育った野菜がほとんど無い。床下に保存しているペルナトの数を思い出しながら、畑の様子を見て回る。


「やっぱりないなぁ。既に収穫期が過ぎて、ステータスを辛味に全振りしたシシトウとかしかない。これもそろそろ倒すか……。」


「シシトウ?食べたことないけど、美味しいのかな。」


「当たりとハズレがある罰ゲームだよ。食べたいなら、調理するけど。」


「食べよう。俺は案外ゲテモノもいける質でね!旅の間で食料に困った時は、トウテツの肉も食べたことがあるよ!」


「シシトウをゲテモノ扱いするのは良くないと思うよ、俺は。」


 トウテツとやらが何かは分からないが、ロバートの物言いからして普通に食べられるような獣ではないのだろう。俺の大事なシシトウと一緒にされるのは大変遺憾である。シシトウの辛味に泣き叫ぶ未来が見えるが、ロバート本人のお願いなので、俺は丁寧にシシトウを収穫する。


「次に村におりた時にお爺さんにお願いして、魔動で勝手に動く鍬的な何かを作ってもらわないとだな。」


 俺がそう言うと、ロバートは不思議そうに自分を指差した。


「俺がいるから必要ないと思うけど。」


「ロバートがいるから必要なんだろ。男二人が満足に食べられるだけの野菜を収穫しなきゃなんねぇなら、もっと畑の面積を増やさないと。男二人でもキツイぞー!」


 全く畑じゃないところに一から畑を作る苦労を、この男に教え込んでやろう。ひとりで生きるということは、結構大変なのだ。


 そう企んで思わず笑顔になってしまう俺の顔を、ロバートはじっと見ていた。ただ、目を丸くして、小さく口を開けている。それがどういう反応なのか全く分からなくて、じっとこちらを見つめる視線から逃げるように、俺は目を逸らした。


「えっと、俺、何か変なこと言った?」


「君は……、俺がここにいてもいいのかい。」


「えっ、来年の夏までは居るんだろ!?自分でさっきそう言ってたじゃん。ベシメロニ食べるって。」


「それは、そう、なのだけれど。」


 そう言ったまま、ロバートは黙り込んでしまった。彼の右手がそっと自分の胸元を握る。気まずげに視線を落としているロバートは、無意識でそれをしているようだった。


 もしロバートが出て行ってくれるなら、俺としてはそれに越したことはないのだが、何か理由があるみたいだし、行き倒れたほど切羽詰まっていたのは事実なので、どうせ居着かれるなら良好な関係を築きたい。故郷の話をする彼の様子を見ている限りでは、悪い人ではなさそうだし。


 何か思うところはあるが、それを俺に喋る気はない、といった風なロバートに何かを尋ねてみても、多分雰囲気が悪くなるだけでどうにもならないことは分かっているので、俺はさっさと話を切り上げることにする。いい加減、お腹も空いてきた。


「朝ご飯にしよう。俺はここの後片付けしてから行くから、ロバートは先に帰って、準備しといてよ。」


「うん。分かった。」


 ロバートは曖昧な笑顔でにこりと笑った。




 その日の夜のことだった。


 寝室に篭って仕事の続きをしていた俺の耳に、控えめなノックの音が飛び込んできた。筆を持つ手を置いて、ドアの向こうにいるであろうロバートに


「ちょっと待って、リビングに行く。」

 と声をかける。


「分かった。」

 と篭った声がして、足音がドアの前から遠ざかって行った。


 キャンバスと長時間向き合ったことで、凝り固まってしまった体を伸ばしながら腕を回すと、バキバキと音が聞こえてくるほどだった。何時間くらい、俺は部屋に篭っていたのだろうか。窓の外は、描き始めた時と全く同じ真っ黒で、何も分からない。


 席を立って寝室を出ようとした時に、ふと、壁に立てかけてある剣に気がついた。


 そういえば、昨日ロバートの腰から外して、そのままにしていたのを忘れていた。そのせいで、ロバートは今朝、剣を持たずに見回りに出かけてしまったのだ。もっとも、この山の中で魔獣に出くわすことはそうそうなくて、気をつけなければいけないのは猪とか、熊とか、そういう野生の獣であるし、奴らは領分というものを弁えていて、最近はこの家に近づいてくる頻度も減った。もっとも、来てすぐは大変だったが。今でも寝る前には、家の四方に置いてある野獣避けの魔術道具を起動している。


 そういうわけで、個人的にこの山で剣の必要性を感じないが、それでもこれはロバートの物である。返しておかねばなるまい。まあ、本人は忘れてたみたいだけど。


 剣を手に取ると、ずっしりとした重みが腕にかかる。赤地に金で縁取られた鞘は、薄汚れてさえいなければ、大層美しいだろう。やっぱり、ただの冒険者とは思えない。


 扉を開けると、ロバートは食卓机に座っていた。俺が寝室から出てきたことに気がついて、腰を浮かす。


「マルク、それは……。」


「ごめん、寝室に置いたままだった。返すよ。」


 剣を差し出すが、彼は一向に受け取る様子がない。躊躇うようにゆっくりと手をあげて、すぐに引っ込めてしまった。


「ごめんなさい。しばらく預かっていてもらえないかな。」


「え、いらないの?高いでしょ、これ。」


 驚いて問う俺に、彼は笑っているのか困っているのか分からない曖昧な表情で頷いた。


「うん。でも、ここでは必要ないと思うし、不審者の俺が刃物を持っていたら、マルクも心配だろ?だから、マルクが持っていて。」


「いや、心配とかは別に……、もうしてないけど……。」


 ロバートがそう言うならと、俺は剣を寝室に戻す。剣の扱いなんて知らないから、あまり長期間預けられても困るんだけど、と思いつつ。


「ごめんね。」


 ロバートがまた謝った。


「いいよ。で、何か俺に用があったんじゃないの。」


「ああ、そうだ。これなんだけど。」


 ロバートはテーブルの上に置かれていた、小さな「何か」を手にとって、こちらへ差し出した。手の中のそれを見て、俺は首を傾げる。


「ネックレス?」


「これを君に持っていてほしいと思って。」


 突然の申し出に、言葉を失う。口からは「え。」とか「は。」とか、なり損なった音が出てくるだけで、上手に言葉になってくれない。目を白黒させている俺の動揺はお構いなしで、ロバートは手の中にある装飾品を、無理やり俺の手に握らせた。


 それは、不思議な色彩の小さな石のようなものだった。だが、石ではない。風合いが違う。乳白色のそれは、光に翳すと照り返しに虹色が混ざる。まるで彗星を閉じ込めたような輝きは、目にする者全てを魅了するだろう。そんな、美しさがあった。


 クルクルと指の間で転がして、その輝きを楽しむ。そして、気がついた。


「もしかしてこれ、動物の角か……。でも、これ何の……?」


「これを担保に預けたい。」


 突拍子もない申し出に、俺はネックレスを弄ぶのをやめた。担保に預けるとは、どういうことなのか。彼の言っていることが分からない。


「身の上も満足に明かせない俺を家に置くのは、マルクに心労をかけると思うんだ。だからせめて、これを持っていてくれないかな。俺はこのネックレスに誓って、決してマルクを害することはない。そしてもし俺が何も言わずにいなくなった時は、ネックレスはマルクが自由にしてくれていい。つまり、担保だ。」


「そんなの、別にいらないよ。ほら、ロバートが持って。」


 ロバートが首を横に振る。小さな声で「持っていて。」と彼は呟いた。


「それに、俺はしばらくここで生活するつもりだから、ネックレスを手放すつもりは全然ないんだ。なら、マルクが仕舞って置いてくれた方がずっといい。失くさないからね!剣と一緒だよ。」


 頑としてネックスを受け取ろうとしないロバートの態度に白旗を上げた俺は、渋々とそのネックレスを引き取った。預かり物である以上、絶対に失くすわけにはいかないが、身に着けるというのも気が引ける。後で絶対に金庫に入れておこうと心に誓って、俺はそれをズボンのポケットへと入れた。


 それに満足したロバートは、にっこりと笑う。


「俺の用はそれだけ。仕事の邪魔をして悪かったね。」


「いや、いいよ別に。結構煮詰まってたし。」


 両手をあげて降参のポーズを見せると、ロバートは声をあげて笑った。そして何かを言おうと口を開いて、逡巡した後、何も言わずに口を閉じる。一息ついてから、もう一度口を開いた彼は、穏やかな声で


「おやすみ。」

 と言った。


「うん。おやすみ。」


 それに答えて、俺も彼に背を向ける。寝室の扉を閉める音が、やけに大きく響いた。

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