輪っかが見える

佐々木実桜

輝きに勝るものはない。

私は彼を陰で、天使と呼んだ。


大柄な男子高校生には似つかわしくない呼び方。


しかしそれでも彼は、使だったのだ。



いまや片手でかけることもできるようになったボタンを、今日はわざわざ両手でかけた。


中に入り込んだ長い髪を引き出し、背中へと流す。


姿鏡の中には制服を纏った、いつも通り、いや、いつもよりも少し強張った顔の私がいた。


日焼け止めを塗って、まつげを上げて、パウダーを軽くのせる。


最後に色の薄い、血色がよく見える程度のリップをひと塗りして笑う。


そして背筋を伸ばして、鏡の前でくるっと一周まわってみせた。


これは高校生になって始めた習慣。


くるっと一周まわった後の私は、家でゴロゴロしてる私とは違うのだと自分自身に錯覚させる。


いわゆる願掛けとかおまじないとかその類だ。


軽めの乙女心で化けたついでのスパイスみたいなもの。


人に見られたら、少し恥ずかしいけど。



身嗜みを整えた私は家を出てゆっくりと駅へと向かう。


今日は文化祭の準備のためだけに充てられた日だ。


持ち物は特に言われていないのでいつもより軽い鞄には大したものは入っていなく、特筆すべきものは何もない。


電車に揺られながら、明後日の文化祭に想いを馳せる。


特別思い入れがあるのかと聞かれるとそうでもない。


ステージに上がるわけでもないし、クラスメイトを仲間と呼んでわいわいはしゃぐのを好むタイプでもないから。


ただ、流石に女子高生なもんだから、どうしたってという言葉には敵わない。


最後と言われると、なにか起きるんじゃないかという期待と、なにかしなくていいのかという焦りで胸が張り裂けそうになる。


そんな年頃なのだ。


今日だって、何か、私にできることを探してしまっている。


そんなこと、あるわけないのに。



駅に着くと友達が待ってくれていて、最近はどうだとか、あの先生がどうで、あの女子が誰々と付き合っていて、そんな話をして坂道を上る。


その時だって私はつい天使を探してしまう。


「あいつはもう一本くらい後の電車じゃね」


口に出したわけでもないのに友達には分かってしまうようでそんなことを言われる。


この子は知っている、彼を天使と呼ぶ私の話をずっと聞いてきてくれたから。


「せやった、ごめんごめん、てかさ、」


はっとして、つい笑って、話を戻して、首元を滑る汗を感じながら今日も、通いなれた学校に着くのだ。


教室にはもうクラスの半分くらいは揃っていて、それぞれ楽しそうに話していた。


汗を拭って、手持ちの扇風機を持って、グダグダと愚痴をこぼす。


「ぐっもーにん」


「ういー、さわこはいつも通り代謝ええなあ」


「やかまし、てかそろそろ暑すぎて溶けるんだが」


「それな、てかさわこに突っ込めや」


「たかし」


「たかしってなんやねん」


「たしかにってこと、それなは古いって」


流石女子高生、言葉の流行の移り変わりが早い。


そして謎だ、と言いかけたがこの子が変なだけかもしれない。


たかしなんて他の子からきいたことないし。


私の周りは変な子ばかりだ、類友といわれたらそれまでだが。


集合時間が近づくとぞろぞろ人も揃ってきて、そしてみんな揃った。


もちろん、天使も。


リュックサックを下ろして見えた背中。


汗で色が変わった部分が肩甲骨だったものだから、一瞬翼でも生えたのかと見間違えた。


暑さでやられているのは目なのか、それとも頭か。


「見すぎやて」


友達が笑いながらそう言う。


「天使が降臨なさったんやで、見てまうやん。」


「はいはい、通常運転やめろ」


担任が入ってきて、指示を受けて各々担当場所へ移動する。


今日も彼の頭上に、輪っかが見える。



私が彼を天使と呼んでいる理由、それはだいぶ単純なものだ。


特別優しいから? 違う。


俳優のように顔が綺麗? 違うわけではない、彼は整った顔をしているから。


でもそれが理由じゃない。


顔でも性格でもない、ただ初めて見た時に、ひどく輝いてみえただけ。


共学で、可愛い子もかっこいい子もたくさんいるこの学校で、彼だけが一等眩しかっただけだ。


最初に友達に言った時は分かってもらえなかったが、二年近く言い続けていると受け入れられるものだ。


特別な理由があったならまだよかった、正当な理由が。


だが残念ながらそんなものはない。


どんな表情もどんな挙動も眩しく見えて仕方がないだけなのだ。


色んな表情を見るためだけに、眩しさなんてないように話しかけたりして、少し、いやだいぶ馬鹿だとは思う。


けれど、青春なんてそんなものだ。


眩しく見えたら負け、とかそれっぽいことを言っておく。


しょうもない理由で、しょうもない青春だが、それでも私はその眩しさに引っ張られて二年近く、学校を辞めずに来られたのだから、面白いものである。


どうあっても彼は、私の天使だった。



「ね、野田」


最後と言われると、なにか起きるんじゃないかという期待と、なにかしなくていいのかという焦りで胸が張り裂けそうになる。


そんなことを私は考えた。


しかし心の奥で、きっと何もないまま終わるのだと、そう思っていた。


期待も焦りも置いていって、なんだかんだで終わるのだと。


「な、なに? 」


いつの間にか近くで作業していた子たちはいなくなっていた。


集中しすぎるのは私の悪い癖だった。


いるのは私と、違う場所で作業していたはずの天使だけ。


「絵の具、ついてる」


少し笑って、彼はそう言った。尊いとはこの感情のことを言うんだろうな。


「あ、あぁ、まあ服じゃないだけマシか」


なんだ、やっぱり何も起きないのだ。


期待なんてするものじゃない。


けど、いつの間にか二人きりになってたら期待するじゃないか。


少し、熱くなった耳を隠すように汗を拭った。


「野田さ、」


「んー? 」


作業する手を進めながら聞く。


変に期待してしまったことが、どうかバレないように。


「明後日、誰と回るか決まってる? 」


教室の外から聞こえていた喧騒は、音量を下げたようにどんどん小さくなっていく。


「決まっ、てない、けど」


期待をするのはやめろと脳が叫んでいる。


「じゃあ一緒に回らん?」 


いよいよ下がり切った音量は、ミュート機能を使ったようだった。


「ええやん、あと誰がおるん。田中とか? 」


田中は天使の友達だ。これまた変な奴。


変だけど、良い奴だったりする。彼女は出来ないけど。


だんだん音量が戻ってくる。


そうだ、そんな上手くはいかないのだ。


きっと、期待した通りにはいかないのが人生なんだ。


「俺と二人でじゃ、ダメ? 」


あざとい。


語彙力はとっくのとうに裸足で逃げてった。


「、わたくしでよければ」


「なんだそれ、野田を誘ってるんだけど」


天使はいたずらっ子のような顔で、コロコロと笑う。


最後と言われると、なにか起きるんじゃないかという期待と、なにかしなくていいのかという焦りで胸が張り裂けそうになる。


期待は間違っちゃいなかった。


あとは、焦りに背中を押されるまま、私がなにか、起こせるか。



太陽の光が反射してまた、彼の頭上に輪っかが見えた。








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