第19話 だいたい捨ててきたけど命はなかなか捨てられんものよ

 ご両親との挨拶はうまくいった。

 怖い顔してたんだけど、大きくなったお腹を見たらまあいいかという話になった。

 ああ、もちろん俺の腹じゃないよ。

 先にホテルのチェックインを済ませるということで、ご両親は病室を後にしている。

 ベッドに横たわるキミに、俺は何を言おうか迷った。

 いまさらロマンチックなことは言いたくないし、かといっていつも通りというのもおかしい。

 世の中の幸せな家庭を築いている俺と同年代のお父さんたちは、こんな時に何を言っていい感じにキメたのだろうか。

「なあ」

「あ、ほら、こっちじっと見てる」

 病室の窓際に置いた水槽を指差してキミは言う。

 俺もつられてそっちを見たら、目を離せないということで持ってきたペットのウーパールーパー、ゴンさんがいる。

 ゴンさんはつぶらな瞳でこっちをじっと見ていた。

「ゴンさんってどんなこと考えてんだろうな」

 いきなりなによ。

「なにって、実は俺たちの言葉とか分かってて『人間年齢に換算したらお前らより年上だから』とか言いそうじゃないか」

 キミは笑う。

 俺も笑う。

「なあ、変なタイミングたけどいいか」

 さっきからヘンよ。

「最近よくヘンって言われるな。そうじゃなくて、とにかくこれ」

 懐から取り出したのは、リングケースだ。

 宝石屋の若い女店員がグイグイ推すから買ったんだけど、ケースだけで値段するとかなんなんだ。会計する時に吐きそうになったぞ。

「ど、どう」

バッカじゃないの。お金ないのに、なんでこんなの買うのよ。

「そんな怒ると胎教によくない」

 無駄遣いしないでって言ったのに。

「スピーカーとかアンプとか、色々と俺のモンあっただろ。部屋も狭くなるし処分したんだ。古いもんだったから、いい値段になってな」

 ……。

「機嫌直して、受けとってくれよ、な。おねがい」

 キミは無言で受け取って、ケースを開けた。

 見た瞬間に嬉しそうな顔になって、すぐさま憮然とした顔に戻る。

「給料三か月分ってのは無理だったけどな」

 ほんとに、バカね。

「惚れた?」

 キザなのキモいし似合わないんだけど。

「昔の映画のヒーローみたいでいいじゃないの」

 これからは、この子のヒーローでいてあげて。

「まかしとき」

 俺たちは見つめあって、唇を重ねよという雰囲気になった。

「面会時間、終わりですよ」

 邪魔が入った。

 ニヤついた看護師のババアが、扉にもたれかかるようにして覗いていたのだ。白衣じゃなきゃスナックのママって雰囲気だ。

「また、来るよ。お義父さんとお義母さんを食事にも連れていくし」

 いってらっしゃい。



 酒が入ったお義父さんはタチが悪くて、俺は謝り通しだ。

 でも、最後には認めてくれた。



 日々は忙しく過ぎていく。

 出産予定日はもうすぐで、俺は自分の両親にいつ伝えるべきか今もまだ迷っている。

 ははは、嘘みたいだ。

 俺が結婚? しかも父親!?

 全部、嘘みたいだ。

 周りの友達に聴いてみたら、みんな『そんなもん』といって取り合ってくれない。

 ようやくお前も人の親か。なんて言われるのは、ちょっとクるものがある。

 でもまあ、そんなに嫌って訳でもない。



 病院に見舞いにいくと、主治医の紫苑先生が回診を行っているところだった。

「やあ、順調だよ」

「そうですか、よかった」

「最初は死にそうな顔をしてたって言うのに、男親はみんなそうだね」

 周りの人たちが笑う。

 俺はなんとなく恥ずかしくなって、売店でアイスでも買ってくると背を向ける。

 背後から「ああいう子供みたいとこがあって」「男はそんなもんですよ」なんて会話が聞こえてきて、居辛いことこの上ない。

 売店のアイスは、やけに古い縦開きのアイスボックスで販売されていた。

 子供の時によくいった駄菓子屋にあったようなアイス売り場だ。カップのアイス、キミの好きな抹茶味を買って、自分用にはソーダ味を選んだ。

「300円です」

 大きなマスクで口と鼻を隠した店員さんともすっかり友達だ。

「あ、どうも」

「そろそろですか」

「はい」

「よかったですな」

 ちょっとしたことから話すようになり、この殻留さんとは、気安い友達になった。

「でも、緊張しますよ。不安もあるし」

「ほほほ、大丈夫でございますよ」

 時代がかった語り口の殻留さんは妙な人だが、俺とは気が合う。知り合ってそんなにたってないというのに、毎週のように遊びに行く仲だ。

 最近は変わった名前の人たちと会うことが多い。

「上手くいきすぎると、不安にならないですか」

「たまには、そんなことがあったっていいでしょうに」

 いつも上手くいかない。

 だから、そんなことがあってもいい。




 病室でアイスを食べる。

 俺はどうしてか自分でも分からないのだけど、アイスを食べる時だけとてつもなく急いで食べる癖がある。

 だから、キミの言う溶けかけたアイスの美味しさを知らない。

 思い出はたくさんある。

 それは、インスタントの袋ラーメンで作る焼きラーメンだったり、ダウニーという柔軟剤の匂いだったり、靴下の整理の仕方だったり、電気毛布の使い方だったり、俺の買い物が無茶苦茶すぎると気づかされた時だったり、そんなことばかり覚えている。

 このころの俺は煙草を吸っていて、いつも胸ポケットにハイライトとジッポーを入れていた。

 博打をやる男はハイライトじゃないとサマにならないと思って吸っていたんだっけか。

 アホだな。

 懐に手を入れると、ゴンさんがブレゼントしてくれた釣り針のアクセサリーの冷たい感触がある。

「なあ、もういいよ」

 なんのこと?

「キミの写真は全部処分した。不思議だよな。顔を一番最初に思い出せなくなった。手の大きさとか、指の形は覚えてるのに、顔だけが、はっきりしない」

 だからかな、目の前にいるキミには顔が無い。のっぺらぼうの有様だ。

 キミが幽霊になって俺を呪っているという妄想に憑りつかれたのは、いつからだろうか。きっと、キミは俺を恨んでいる。

「この病院に産婦人科は無いんだ。治療に苦しむキミを見るのが辛くて、俺は逃げた」

 理由をつけて、足を遠ざけたな。

 忘れるために博打や酒にのめりこんだ。

 キミはこの病室で、ずっと苦しんでいた。独りで。

「生きている最後に会った時に、キミは、お仕事がんばってと言ってくれたよな。それは、ずっと、俺の中に残っていて、地獄に引きずりこまれるのに相応しいことだと思ってる」

 それができないというのなら、誰か俺を殺しに来い。

 いや、来て下さい。

「骨になる前のキミは、死体の色をしてた。顔色が悪くて驚いたよ。眠ってるように綺麗な顔なんてしてなかった。なんていうんだろうな、あの職業のひと。死体をキレイにする人。あの人が化粧をしてくれたけど、隠しきれないくらいに顔色はなぁ。なんだかさ、見られたくないだろうなって思ったよ」

 火葬にした後に、キミは壺の中に納まった。

 焼き場のホールみたいなところに芸術っぽいオブジェがあったのを覚えている。

 天井に取り付けられた大きな玉だ。

 バラエティ番組みたいに、あの玉が割れてキミが飛び出してきて、俺をダメ男と罵る。そして、驚いて固まっている俺に、人気芸人がマイクを持ってやってきて「奥さんの辛さが分かりましたか?」なんて問いかけられて、俺は泣きだす。画面端にはスタジオの映像があって、女のタレントが目頭を押さえてたりする所が映っている。お客さんも感涙の涙さ。

 そんなテレビのドッキリだったらいいのになって、あの時ずっと考えてたんだ。

 不謹慎だろ?

 悲しまないといけないのに、そんなことばっかりが頭の中をぐるぐるしてた。

 墓にいって初めて会ったキミの両親は、俺とキミの両方を罵った。骨は返したくないけど、無縁さんにするのも忍びなくて、ご両親に渡した。

 それっきりだ。

『どうして、夢から出られる。お前の望む夢だというのに』

「色々やったんだ。霊媒師とか宗教にすがってみたりとか。でも、最後に分かったのは、キミはもういなくて、死んだらおしまいってだけ。ただ生きて死んでいく。それだけなんだよなぁ」

 神様の言うことは正しい。

「キミはもういない。癌で苦しんで、俺が苦しめて、死んだ。死んだもんは生き返らないし、もういない。何があっても」

 俺に残っているのは愛じゃない。

 罪悪感だ。

『この狂人めっ。自らの望むものをどうして撥ね除ける』

 いつの間にかキミは消えていて、そこには魔神とマリナちゃんがいて、俺の夢は終わってしまっていた。

 転生して始まった延長戦の人生。

 灰色の現実に戻っている。

「やり直しなんてきかないからだよ。でも楽しかったぜ。なあ、魔神さん、ありがとうな。悪夢、いや、いい夢だった」

 煙草はもうやめた。

 キミがいなくて格好をつける必要がなくなったから、吸う気になれなかったんだ。

 今、俺の手にはジッポーライターの代わりにゴンさんのくれた釣り針がある。

 大きな、武器になりそうな釣り針だ。

『ひっ、き、貴様、なんというものを、寄るな、妾に寄るな』

 理屈ではないが、どうしたらいいか分かった。

 魔神の術にかかったせいで、俺の感覚が引き上げられているからかもしれない。

 この釣り針は、神秘の塊だ。俺のショボい魔法の力でも分かる。きっと、魔神を滅ぼすことだってできるだろう。

 こんなもんをくれるゴンさんは何者なんだろう。友達だし、過去は詮索しないけどね。

「じゃあな」

 白蛇の魔神に釣り針を引っかけようと、俺の手は動く。

『い、いやじゃ。死にとうない。許してたもれ、許して』

 もう、そういう問題じゃないんだ。お前は、俺と同じように人を苦しめすぎた。

 海神より賜った神具が魔神を貫くその時。


 俺は無理やりに手を止めた。


 筋肉の変なとこに負担がかかって、あばらに激痛。

「いだっ、いったっあぁぁ。……なあ、魔神さん、反省したか?」

『えっ、な、なんで』

「俺が生きてて、お前が死ななきゃいけないってことはねえよ。それに、どうせ、お前殺したら殺したで、ロクでもないことになるんだろ? 勘だけどな、なんとなく、そう思うんだ」

 魔神殺しとか、そんな似合わない名前はつけられたくない。

 新生したドーレン侯爵家に三ギルドと毛生え薬、これだけでも俺は後悔してる。身に余りすぎて、逃げだしたいくらいにね。

『なんと優しいおのこじゃ。命を助けてくれた礼じゃ、加護をくれやる。契約などいらん、妾はお前の力となるぞ』

「いらねえよ。さっさと地獄だか魔界だかに帰りやがれ、このアバズレが」

『ひひひ、いつでも、いつでも妾を呼べ。お前となら、いつでも契約を結ぶからの。困った時には妾を呼べよ』

 呼んだらコイツのオモチャにされて終わりだ。生かすだけ危険なのは分かっている。だけど、どうしてかコイツを殺す気になれなかった。

 久しぶりにキミの声を聞いたせいかも知れない。たとえ、偽物だとしても、

「誰が呼ぶか」

 白蛇の魔神は空気に溶けるようにして消えた。

 あっさりと、そこに最初から何もなかったかのように消え失せた。

 マリナちゃんはその場にへたり込んで、その傍らには脱ぎ捨てられたパンツ。状況証拠だけで俺が捕まりそうだ。

「立てるか」

 俺は右手を差し出す。

 肩を貸してはやらない。

「……」

 マリナちゃんは無言で俺の手を取る。

 引き起こしてやったら、またあばらが痛む。こんなことしてるから治らないんだ。

「どうだ、なんとかなったろ」

 ちょいと皮肉げなキメ顔で言うと、マリナちゃんは潤んだ瞳で俺を見た。

 そして、俺のキメ顔に全力の平手打ち。

「ぐわっ」

 あまりの威力にスッ転ぶ。

「絶対っ、あなたとだけは結婚なんてしたくない。アランなんて大嫌いっ」

 走り去るマリナちゃん。

 おーい、パンツは忘れるな。それと、走るのも色んな意味で危ないぜ。

「若い女の子って分かんねえな」

 俺はそのまま床に寝転んだ。

 息をつくと、頭の横にはマリナちゃんのパンツ。

 ああ、ヒーローには程遠い。

「は、ははははは」

 なんだか可笑しくて、しばらく笑いが止まらなかった。

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