第18話 いつもここを考えるのに一番時間をかけている
舞台の興奮も冷めやらぬまま、観客たちは感想を言い合いながら出口へと流れていく。
先ほど臨時で出た発表によれば、玉子サンド率いる上方勢とシスティナの帝都芸能はコンテストではないものの公演を延長するとのことだ。
大聖堂も寺銭が集まったのを良いことに、すぐに許可したようだ。
そういう金に正直なところ、嫌いじゃない。
俺とマリナちゃんは人が引けるのを待つため、大聖堂内にある貴族専用サロンでお茶を飲むことになった。
「お昼、なんか食べたいものあったか?」
「え、どこかに予約は」
「忘れてた。お茶飲んでから考えようよ」
いつもながら、俺は詰が甘い。
呆れたような顔を見せてくれたマリナちゃんは、ヌードで爆笑したあの夜に近い雰囲気があって、やっぱりよそ行きよりは素がいいな、思う。
だってほら、よそ行きなんてのは三日で飽きるじゃないの。
「仕方ないひと」
「よく言われるよ」
ゴンさんとかガラル氏とかサジャさんにな。
女の知り合いとか、マリナちゃんとリューリちゃんくらいしかいないよ。
大聖堂三階の貴族サロンは人で賑わっていたが、マドレ侯爵家の名前が効いて一番良い席に案内された。
「おー、いいね」
大聖堂のバルコニーに造られたオープンカフェ。
帝都の景色を一望というほどではないが、良い見晴しで見物できる。
帰っていく観客たちの群れと、大聖堂の外で芸をする辻芸人たちがここからも見えた。
みんな、笑顔だ。
笑った後は食事にするのだろうか、屋台も賑わっている。
「面白かったな、マリナちゃんは漫才派、それともショートコント派?」
どっちも好きだけど、俺はコント派だ。
ア××ホマン、とか●のオ●●ン、神●の遊×、忘れられないコントがたくさんある。いつも腹がよじれるくらい笑ってたな。
「……玉子サンドという人たちのは素晴らしかったわ。でも、姫騎士は笑いよりストーリーが印象的かな」
「お、いいトコ突くな」
よく出来てるんだけど、俺の感性というか日本感覚で言うと古いのだ。腹がよじれるくらいは笑えなかった。
ショートコントはまだ始まったばかりだ。前世で見た、『とか●●●ッサ●』とか説明しても理解してくれなかったものなあ。俺はあのコントの中盤エピソードが特に好きだ。
「これからだからね、コントは。俺が中年になるころにはすげえのが出てくるよ」
「気の長い話ね」
マリナちゃんが馬鹿にしたように笑う。
いいね、そういう性格の悪そうなところ。ちょっと好きだぜ。
「気が短くても時間の進みは一緒だよ。なあ、マリナちゃんは将来なんかしたいこととかあんのか?」
あー、中年ムーブが出ちゃったよ。
話題に困ると若者の夢を聞きだして、説教を垂れるのが悪い中年だ。俺がガキの時だって、年上の言うことなんて何の役にも立たなかったってのによ。
「今日は、アラン様にお任せするつもり」
「えー、俺は女の子の喜ぶことって知らないんだよなあ」
男が喜びそうなことは詳しいんだけれど。
釣りとか久しぶりに行きたいな。
こっちはリールが無いから、チヌとか俺の腕じゃ釣れないんだけどね。
「わたくしも、普通の女の子のこと、知らないのよ」
「そっか。じゃあ、俺の好きなとこ行っていいか?」
「え、ええ。それでいいですけど」
知らないなら仕方ないものな。
ウエイターの僧侶がマリナちゃんのレモネードと俺の頼んだ冷えた水を持ってくる。
冷却魔法で冷やすから水も特別料金。
ウエイターは美青年だった。坊主で美形ときたら、サジャさんの同類かと疑ってしまう。
「冷たい水、美味いな」
ちょっと塩気がある気がするけど、まあいいか。
「レモネードは普通かしら」
マリナちゃんの普通ってすげえってことじゃないの。
「一口ちょうだい」
「はしたないわ」
「誰も見てないよ」
テーブルのみんなは、それぞれに舞台の感想を述べたりしている。
マリナちゃんは視線を逸らして、グラスを俺の方に少しだけ動かした。
頼まれたら嫌とはいえないタイプか。いいね。男に都合よくて最高。
ゴンさんがいたら、『最低』って言われてるだろうなぁ。ゴンさんはたまに女性的な感性を見せるので侮れない。
「いただきます」
一口飲むと、すっぱ。
「す、すっぱ。俺、すっぱいの苦手なんだよ」
「じゃあ、どうして飲んだの」
「え、なんか青春っぽかったから、つい」
何を言ってるんだお前は、という顔をされた。
分かれよそこは。そういうとこも都合よくしてほしい。いや、無いか。女にそれは無理だ。
「苦いのは好きなんだけどなあ」
鮎とか美味いよな。あと、サンマのワタとか、すげえ好き。ゴンさんがいると、つい魚主体の食生活になってしまう。
「ほんとに、変なひと」
「よく言われるけど、そんなにヘンかなあ」
「うん、とっても」
ヘンじゃないし。ということを俺たちは話した。
とりとめもない会話は本当にデートのようで、目的を忘れそうになる。
さて、そろそろか。
「さ、そろそろ時間だし、行こうか」
「はい」
デートの費用は男が出す。昭和生まれの俺は、そこだけは譲らない。
でも、高すぎるし。ええー、金貨ですかぁ。それは無いぜ。
楽屋へは、関係者以外立ち入り禁止の道を進んだ先だ。
警備の僧侶に通行証を見せると、次の角を左に、それから真っ直ぐ進んで二つ目を右に、その後はさらに真っ直ぐと教えられる。
「ちょいとむさ苦しいけど、ガマンな」
裏方の関係者用通路のため、汚くなくはないが貴族様の通るような通路ではない。
大人が三人も横に並んだら壁にくっついてしまう通路に、窓は無い。前世のデパートでバイトした時に通ったスタッフ用の通路を思い出す。
「ええ、大丈夫よ」
大丈夫じゃなくなるんだけどな。
男にホイホイ付いていくマリナちゃんが悪い。
通路を進んでいると、どこからか遠く僧侶たちの読経の声が漏れ聞こえた。
異世界の読経は日本と随分違うけど、神に祈っている感覚と雰囲気だけは似ている。
俺たちは三つ目の曲がり角を過ぎて、長い一本道に出た。
「マリナちゃん」
「なに?」
「ごめんな」
俺は壁に取り付けられている燭台を引く。すると、背後の天井から壁が落ちてきて、退路を塞いだ。
マリナちゃんは少しだけ驚いた顔をした。
「何かするのは気づいてたけど、……その仕掛けカッコイイわ」
マリナちゃんはいいところに目をつける。半分は男なだけある。
「ああ、俺も思った。いいよな、これ」
変なこと言ってるな、と二人で顔を見合わせて声を出して笑った。
その笑い声は、つい数日前に笑った時とは比べ物ならないほど冷たく乾いていた。
「で、わたくしをどうするおつもりかしら? アラン様」
「様付は慣れないな。呼び捨てでいいよ。ここで魔神の契約を破棄してもらう。魔神よ、契約の違反がある。ここで契約は打ち切らせてもらう」
俺は叫んだ。
通路の奥に隠れて待機していたギルドメンバーたちが術式を解放。同時に聖堂に仕掛けられた対悪魔用の結界が起動する。
壁と床に青い光の魔法言語が浮かび上がった。
「……あなたは、本当にヘンだけどいい人ね。だから、もう諦めて」
マリナちゃんは平然としている。
「もしかして、効いてないか」
「効いてるわ。だから、お願い。逃げて」
マリナちゃんの顔が歪む。
おいおい、この状態だったら魔神でも会話しかできないんじゃないのか。
死ぬのはいいけど、痛いのはイヤだな。
「コエーけど、逃げるのはやめた。魔神よ、契約に反したのはお前だ。出てきて釈明してみせろ。夫人は生きているし、生理も上がってない。マリナちゃんに力を移したのは契約違反だ」
マリナちゃんは自分の身体を抱きしめて、何かに耐えている。
小さな身体から立ち昇る異常な何か。目にみえないけれど、そこにある恐ろしいなにか。これが瘴気というやつか。
「やめて」
やめないって。
でも、失敗したら死ぬな。
俺はいつ死んでもいい。怖くて足が震えてるけど、俺はいつ死んでもいい。
俺の毎日は神様のくれたおまけだ。俺はもう死んでいる。日本で死んだ時に、俺の命はなくなった。だから、怖いけど平気だ。平気じゃない訳がない。
「逃げてって言ったのに……。アランの、ばか」
歯の根が合わなくなりそうなのに耐えて、俺は笑ってみせる。
「は、ははは」
大丈夫だ。苦しみも恐怖も、俺の妄想でしかない。ゴンさんは病気だって言ってし、俺もたまに病気かと思うけど、それが一番生きやすい。だから、妄想だ。
「バカは言われ慣れてるよ」
最低ってのもよく言われてるけど、今は関係ないな。
マリナちゃんが顔を上げた。
「見ないで」
マリナちゃんはぎくしゃくとした動きで、ドレスのスカートを捲り上げて、パンツの紐に手をかけた。
なんだこれ。喜んでいいのか。
「マリナちゃん、情熱的だな」
秘所を守る布きれ、パンツは脱ぎ捨てられて、マリナちゃんは苦しげに自らの身体をくの字に曲げる。
粘液の音が響いて、スカートの裾が持ち上がった。
『妾が契約に違反したと言うたな、小僧』
ゴンさんのそれと同じように、頭の中に響く女の声。
スカートを持ち上げて顔を出したものは、マリナちゃんの大事な所から這い出した真っ白な蛇だった。
「うお、すげえグロいな」
『んんぅ? ぐろの意味は分からんが、無礼であるぞ』
白蛇はつるりとしたガラス玉のような瞳で俺を見る。
「加護を譲渡する条件に違反がある。さっき言っただろ」
『アレは死んでおらんかったか。しかし問題は無いのう。マドレ家の終わるその時まで、妾の加護は続くのじゃ。くふふふ、強欲じゃなあ、人間というヤツは』
「マジかよ……」
いけるいける。まだいける。吐きそうだけど。
『キヒヒヒ、こんなことで妾が出ていくと思うたか。マドレの命脈を継ぐためにマリナに変わるのは契約違反ではないのう』
魔神の加護とは、魔神がこの世に出てくる足掛かりなのだと、サジャさんは教えてくれた。しかし、そのためには契約が必要だ。
「いいや、契約違反だ。元を正せば、マドレ侯爵が加護の契約を引き継がせたことがな」
人惨果による豊穣には、魔神の加護を得た女の産んだ、または産ませた赤子が必要だった。
『それは契約には無いのう。だが、無いものを利用したのはマドレ家であろう』
「話になんねえな、クサレ魔神」
俺は白蛇とにらみ合う。
契約書っていうのはさ、嘘を書いたらダメなんだ。どれだけ無茶苦茶でも、きっちり書くべきことは書かなくちゃいけない。
汗がひどい。
なんでこの蛇がこんなに怖いのか。膝が震えすぎて、感覚がなくなってきた。
『くふふふふ、人が妾を求めたのじゃ。さて、無礼の罪を償ってもらおうかの』
きたか。
「おいおい、俺を殺すつもりか」
『男の味は久しぶりじゃ。妾がそなたの
怖すぎるぜ。息が詰まる。なんとか声を出さないと。
「これを見ろ」
懐から取り出したのは、魔法も何もかかってない契約書だ。急いで作るのには難儀したらしいぜ。主にギルドの偉い人が。
契約書を開いて白蛇の鼻先に突き付けた。
『……そんな馬鹿なことがあってたまるものか。貴様、貴様、貴様あぁぁぁ、妾をたばかるつもりかッ』
白蛇の周囲に鬼火が湧いた。魔神ヤバい。コワすぎる。
「魔神の契約には嘘が通じないんだろ。お前が一番分かってるはずだぜ」
『こんなものは認めん。マリナは、マリナは知らぬではないかっ』
契約は暴力で無効にできない。
だから、魔神は紙切れ一枚に狼狽えている。ファンタジーなのに世知辛いこった。
「皇帝陛下の印と天道教大司教のお墨付きだぜ、魔神さんよ。マドレ家は、俺とマリナちゃんの婚姻で滅亡したのさ」
『嘘じゃっ、人間が手にした力を、財をっ、手放せるものかっ』
怒り狂う魔神はさらに迫力を増した。
もう俺は限界で失神寸前だぞ。
「侯爵は、元侯爵閣下は全部、爵位と領地と、何もかもを俺に譲るってよ。マドレ家は、当主自らによってドーレン家に吸収された。これで俺は、ドーレン侯爵。マリナちゃんはマリナ・ドーレン、俺の奥さんだ」
元侯爵は、貴族である前に一流の男だった。
家族のために命をかけ、全てを捨てられる最高の男ってヤツさ。
『マリナの知らぬ婚姻など、認められんわっ』
「貴族の結婚なんてな、知らない間に家で決まるもんさ」
俺は汗みずくで、ニヤリと笑ってやった。
練習の甲斐あって、きっと俺はいかにもふてぶてしい笑みを浮かべていることだろう。ビビって多少は引き攣ってるが、そいつは御愛嬌だ。
『貴様貴様貴様、あと三代もあれば
「あんたの負けだ。薄暗い住処に戻れ」
白蛇と俺は睨み合う。
『おのれええぇぇっ。……とでも言うと思ったかっ』
ぎらりと白蛇の瞳が輝く。
「なっ」
え、もしかして失敗したか。
『お前が自ら婚姻をなかったことにすればよい。蛇淫の性で溶かしてくれようぞ。永遠の淫夢に溺れよっ』
白蛇が俺の首に絡み付く。
「ふざけんな、暴力ダメ絶対」
この時点で契約違反だろうが。
『お前に良き夢を見せてやるのじゃ。ひひひひひひ、気づいておったぞ、貴様の内に宿る情念にのう。証拠に、まだ契約は崩れておらん。貴様が望んでいるからじゃっ』
「てめっ、悪あがきを」
『アラン・ドーレン、いやa%p;:eДΞ@,よ。貴様の望む世界に連れていってやる』
魔神の発した音は、俺の、前世の名前だった。
魔神の白蛇に、首筋を甘噛みされる。ちょっと気持ちいいのが逆に悍ましい。
ああ、目の前が霞んで。
おい、待てよ。ヒーローになるって約束したのに、こんなんで、俺は……。
◆◆◆◆◆
誰かが耳元で何か言っている。
「――――ですよ」
うるさい。少し眠らせてくれ。
「お客さん、つきましたよ」
はっ、と目を覚ます。
辺りを見回して、ここがタクシーの車内だと気づいた。
「お客さん、よく眠ってましたね。もう着いてますよ」
「ああ、悪いな。いくらだい」
「二五〇〇円です。お見舞いかしら?」
タクシーの運転手は、前髪を一房垂らした男前でどうしてかオネエ口調だ。変なタクシーに当たっちまったな。
「ああ、妻の、っていっても内縁なんだけど」
「あらら、藪をつついちゃった」
財布から金を取り出した時に、腕時計の盤面が目に入った。
祈るような気持ちでスマホで時間を確認したけど、ヤバい。遅刻だ。
「内縁じゃなくなるんだ。帰りにまた呼ぶよ」
「ご指名ありがとうございまァす」
運転手から名刺を貰ってタクシーを降りた。
名刺には砂座とある。変わった名前だ。
そんなことより病院に急がないと。
遅れるとうるせえんだよな。女ってやつはよぅ。
お土産に買った山野井屋の羊羹よし、スーツよし、無精髭も無いツルツルで清潔感もよし。
「子供出来てからって、どんな挨拶すりゃいいんだよ」
ぼやいた俺はネクタイを締め直して、無駄にでかい病院の門をくぐった。
さ、気合入れていこうか。
第一印象は何より大切だ。
なにしろ、キミの御両親に会うんだからさ。
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