第16話 しみったれで恥の多い人生よ

 翌日から、マリナちゃんは学校を休んだ。

 薬剤ギルドに頼んでお値段のするお薬を贈っておいた。もちろん宅配業者を使ってだ。

 学校では再びボッチに戻った。

 バイオメンとケンカしたのが不味かったらしい。

 そんな訳で、俺は隣の席に誰もいなくて寂しい学生生活を送っている。

『オレがいるじゃないか』

 だいたいいつも一緒だよね。強制的に。ありがたいんだけどね。

『反抗期か?』

 ウザってえ。

「そういう訳じゃないよ。ただ、待つのは辛い」

『焦るな焦るな』

 早く日曜日になんねえかな。

 上手くやる自信は無いけど、待ち時間ってのは生殺しタイムだ。歯医者さんの待合室でリラックスできないのと同じである。

 昼休みになると、俺の机に誰かやって来た。

 特徴的なブーツで分かる。

「リューリちゃんか」

「ん、うん。あのな、マリナちゃんが薬ありがとうって」

「突き返されたらどうしようかと思ったよ」

 一番最悪なのはそれだったな。善意に対して悪意で応酬してくるヤツなんてゴマンといる。

「なあ」

「うん?」

 なぜかリューリちゃんはもじもじしている。

 俺をボコボコに蹴りつけた時はまんまサディストだったんだけど、どういう心境の変化だろう。

「メシ行こうよ」

「おし、行くか」

 カッ●寿司があったらなあ。昼に入って気持ちだけリッチになるのが好きだった。

『スシってなんぞ』

 あ、この世界に無いのか。

 生魚の切り身を酢飯の上にのせたもの。と、もやもやと想像してみた。伝われ、俺のイメージ。

『うっわ、冒涜的すぎるだろッ』

 伝わった。すげえな、そんなこともイケるのか。隠しごとできねえなコレ。別にいいけど。

『スシすげえな』

 米は異世界にはなかったから、無理だけどね。

「行かないの?」

 不安げにリューリちゃんに尋ねられる。

 ゴンさんとの雑談にいつも夢中になってしまう。

「ああ、考え事してた。ごめんな。学食でいいか?」

「できたら、静かなとこがいい」

「まかしとき」

 リューリちゃんを連れて学校を出た。

 途中で、リューリちゃんは午後からどうするんだと騒ぎ始めたけど「サボろうよ」と言ったら、ドン引きの顔になった。

 そういうとこ真面目なのに、なんで俺をあんなにボコボコにしたんだ。あばら折れるまでなんて、昭和生まれの俺だって数えるくらいしかないよ。

 いつもの小料理屋に行くと、店主は引き攣った顔で出迎えてくれた。そして、カタギの客たちは逃げ出す。

「……なんか、違うよな。俺が街のダニみたいになってるし」

「な、なんだ、お前嫌われてんのか」

 リューリちゃんの心無い発言。間違ってはないけどね。

 いつもの席に案内されて、昼の定食を頼んでみる。

「あと、焼酎を薄めの水割りで」

 いつも飲んでる訳じゃない。ただ、今のクサクサした気分を消したかった。

 ゴンさんも、そこは空気を読んでくれた。

「あ、わたしもそれで」

 リューリちゃんも飲むのか。

 水はタダじゃないけど、この世界では相当に安い。

 手を加えないと腹を壊す水だけど、魔法って便利なモンがあるおかげで、文化的な暮らしを送れるようになっている。

 リューリちゃんが口を開いた。

「なあ、ホントに結婚とか、するつもり?」

「本気だけど。ああー、そうだよな、リューリちゃんのこともあるもんな」

 マドレ家の多淫の侯爵。夫人の愛人のカモフラージュでもあったって訳か。

「う、うん。そうなんだけど」

 なんでそんなにモジモジしてるんだよ。調子狂うぜ。

『…………ニブチンめ』

 俺はすげえ空気読むよ。いつも上手くやってるじゃないの。

 あっ、そうか。公的には俺のお妾さんだもんな。

 そこで店主が定食を持ってきた。

 パンにスープとサラダ。それに、鶏肉の香草焼き。

 ラーメンライスとか食いたいよな。豚骨でね。はははは、この世界には無いけどさ。

「食べてからにしよう。熱い時が過ぎたら食べ物に失礼ってね」

「うん」

 不味くもないし、叫ぶほど美味い訳でもない。

 俺たちはなんとなく押し黙って食事をした。

 リューリちゃんは勝気なんだけど、食べる姿は女の子っぽい。

 あばら折りくさったけど、こいつも多分そんなに悪いヤツでもないんだろうな。

 デザートの杏仁豆腐の偽物がやってきて、リューリちゃんは嬉しそうに食べた。

 モクモグしてるとこが、小動物っぽい。

 あ、可愛いな。

『お、もう浮気か』

 違うってば。

 子供相手にそんなことするかよ。

『もう少し、楽に生きろよ』

 そうしてるつもりなんだけど、厭なこと思い出すこともあるんだ。だから、こんなに腹の中が重たい気分になる。

 ごめんな、ゴンさん。

『いいよ』

 ありがとうな。

 腹がくちくなって、俺は二杯目の水割りを頼んだ。一杯だけって決めたら、だいたい二杯目を頼んでしまう。

「なあ」

 と、リューリちゃんは遠慮がちに言った。

「なに?」

「マリナちゃんのこと、本気なんだよな。侯爵様から婚約の手紙が来たって」

 ガラル氏がやってくれたおかげだ。これで、俺は次期マドレ侯爵か。

「逆玉の輿ってヤツかな。マリナちゃんのことは、お姉さんのことで色々あってな。リューリちゃんも知ってるんだろ」

「うん。ある程度だけど知ってる。だから、お前」

「アランだ。アランでいい」

 あっ、と小さくリューリちゃんは声を漏らした。

「うん、その、アランはマリナちゃんのこと」

「嫌いじゃないよ。昨日あんだけ笑えたんだしな。金が目当てって訳じゃない。それに、ふたなり美少女ってよくないか」

「……そういう風に、露骨に言うなよ」

 頬を赤く染めてリューリちゃんは、うつむきながらも目だけで俺を見る。

 こんなカワイイのが奥さんの愛人なんだぜ。

 酒を飲むとあばらの治りが遅くなるのに、俺は酒で喉を湿らせる。

 リューリちゃんは表情を改めて、口を開いた。

 この時のリューリちゃんは、意を決して言ったんだと思う。

 俺は、その言葉を生涯忘れないだろう。


「ねえ、マリナちゃんのこと、本当に助けられる? マリナちゃんは、お母さんみたいになるのを怖がってるから、変な希望を持たせないであげて」


 俺は、額に手をやって歪んだ顔を隠す。

 ああぁ、もーそういうこと言うのやめてくれよ。

 ったくよぉ、酒に逃げたり、昔の、前世のこと言い訳にできなくなっちゃったよ。

 本当にさあ、そりゃ怖いよな。バケモノみたいな力で、自分がおかしくなるなんてさ。しかも、悪魔みたいになった母親を見てるんだしな。

 来世が前世の延長戦だった俺なんかよりも、ずっとずっと切実だよ。

「……怖いよなあ。不治の病みたいなもんだからなあ」

 そりゃ怖いわ。怖くて泣きそうになるよな。

 俺はよく知ってるんだ。

 乳癌は片方のおっぱいを取るんだ。ペタッてしてな、リアルアマゾネスだったよ。いつまたこのクソみたいな癌とかいう訳の分からないモンが来るか分かんなくてな、怖いくせに、いつ来てもいいって言うんだ。覚悟はできてるって言うんだぜ。

 そんな覚悟、誰ができるってんだよ。

 女ってやつはよぅ、いっつも嘘だらけだぜ。

「怖くないはずがないよな」

 俺はなんもできやしねえ。なあ、今から猛勉強して医大に合格したら間に合うのか。俺は天才外科医になれるのか。

 じゃあアレか、金を作って天才医師を連れてくるんだ。俺は、月給二五万の冴えない男で、資格は普通免許と乙四しか持ってない。なんにもできやしねえ。

 俺が、ちゃんと生きてこなかったせいだ。

 それを分かっているから、キミは、いつも、大丈夫って言う。

 本当は怖くて泣いてるのにな。知ってるよ。

 でも、そんな涙は見せられなくて、布団の中で声を殺して泣くしかない。

 俺は気付かないフリをする。

 そうだよな。そんな時にできることは知ってる。仕方ないってな、思うんだ。俺には何もできないからな。

『アラン、もういい』

 ゴンさん、無力は罪なんだ。

 俺がもっと、いい男だったら、なんとかなったかもしれない。

 どうにもならない時は、諦めてそれなりに楽しく過ごそうとするんだよな。どうにもならないからって、自分のできる範囲でな。

「分かるよ、うん」

 でも、ヒーローを待ってる。

 現れるだけで、なにもかも解決して、みんな笑顔の大団円に導いてくれる。そんなヒーローを待ってるんだ。現れないと知ってても。

 それでも、待っている。

 何もできなくて、待っているんだ。

『もう、よせ。お前はいい男さ』

 土壇場で逃げようとするのが、俺の悪い癖だ。

 生きてただ死ぬだけだと、転生の時に会った神様は言った。

「大丈夫だよ。俺がなんとかする。リューリちゃんは安心して、安心して、俺の側室になってくれ」

 神様、俺はそう思わない。

「なんで泣いてんだよ、アラン」

 俺は意味を持たせてみせる。

「泣いてねえし。俺がヒーローになって助けてみせるぜ」

 こんなことしても、キミは戻ってこないけどな。

「信じて、いいの」

 今度こそ、やってみせるよ。

「全部終わったら、美味いメシ食おうぜ。俺と、リューリちゃんと、マリナちゃん、それに、俺の友達とさ。紹介するよ、すげぇカッコイイヤツらなんだ」

 俺は一人じゃない。頼れる仲間がいるからな。

「うん、行く。たのしみ、たのしみにしてる」

 おいおい、なんでリューリちゃんも泣くんだよ。

 釣られて泣くタイプかよ。




 こうして、俺はようやく逃げるのをやめた。




 デートのために、服を新調した。

 姿見に映る俺は、なかなかカッコイイ。

 お気に入りのハンチングでキメて、香水を一振り。

 センスに自信はないから、全部サジャさんのコーディネートだけどな。

 サジャさんは親指をグッと立ててイイ顔してるから、きっと俺は相当にキマってるはずだ。

 ガラル氏が、そんな俺の胸にタイを入れてくれる。

「よっしゃ、行こう」

 仲間たちに見送られて、俺はデートにでかける。


 今日、俺はヒーローになる。

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