第14話 クサレた別の場所の説明のための閑話

 もう二百年以上前から闇狩りは詐欺師のように扱われていた。

 魔物という資源は現実のもので、悪魔や魔神はオカルトめいたものでしかないと人々に信じられている。

 この世界には悪魔がいて、実際に人々を苦しめ邪悪な行いを繰り返している。それを人知れず始末する役目を背負う者たちがいた。

 宗教組織に属する暗部と、悪魔に恨みを持つ者たち、通称『闇狩り』である。




 ショーン・マドレ侯爵は奥方に悟られないように闇狩りと接触した。

 それは、何年も何年もかけた恐るべき企みである。

 マドレ侯爵家を牛耳る魔神の眷属の目を欺き、彼らの息の根を止める。

 常に侯爵は道化を演じた。

 魔神の力を持つ奥方を恐れて、何もできない苛立ちを遊びや女色に耽ることで晴らそうとしている愚かな男であると、悪魔の眷属にすら信じさせたのだ。


 金の未払いで娼館への出入りを禁じられた時に、店主に土下座をした。

 娼婦に入れあげて伝来の宝刀を貢いだ。

 酔いが回り、皇帝陛下の御前で嘔吐し小便を漏らした。

 全ては、この時のためにあった。


 侯爵にとって、システィナとその母は唯一の家族だった。

 彼女たちを放逐した時、奥方に土下座をして、尻を差し出した。妻である悪魔の男根に尻を貫かれるのがどれほどの恥辱を伴ったか。

 妻は、仕方ないなあ、と子供のワガママをきくようにそんな条件を出した。お手伝いしたら、買ってあげる。と子供に諭すような物言いだったのをよく覚えている。

 何をしてでも、救いたかったのだ。

 そこまでした。だというのに、伝えられたのは残酷な真実である。

あの悪魔は、悪魔の娘に、愛娘を差し出せというのだ。

 侯爵は放蕩を繰り返しながら、娼館の店主や堕胎医を仲間として、闇狩りギルドを捜しだすことに成功した。

 奥方を説得して、悪魔の娘を帝都に追いやり、全ての手筈は整った。

 そのはずだったのだ。


「侯爵閣下、詰が甘うございますなぁ」

 寝室に立つ影は、そう言った。

 奇怪なローブに身を包んだ仮面の男。

 何者か。いや、聞くまでもなく悪魔か。

「ほほほ、私はあの程度の悪魔とは関わりはございませんよ。閣下の無謀な魔神殺し、三つのギルドの力を結集して助力しに参りました」

 馴染の娼館で詳しい話をすることになった。



 悪魔のような仮面の男はガラルと名乗った。

 出された条件は驚くべきものである。

 マドレ侯爵の支払う報酬は、毛生え薬の開発と販売に対しての後ろ盾となること。

 それは、帝都におわす皇帝陛下の取り巻きや他の有力貴族、そして関わり合いになりそうなギルドを含んだ政争に自ら参戦するというものだ。

 リスクが大きすぎる上に危険過ぎる。しかし、魔神殺しもまた同じだ。

 親族に紛れている悪魔たちを始末しにいった闇狩りたちは、帰るなりにその計画を了承した侯爵を責めた。

 その時にも、矢面に立ったのは仮面の男、黄泉歩きのガラルである。


「くひ、ひはははは。闇狩りはいつも同じことを仰る。確かに私は天に唾した身ですが、魔神などのために働くほど落ちぶれてはおりませんぞ」

 黄泉歩きのガラル。

 闇狩りの間では、敵の一人とされている。

 彼は悪魔ではないものの、人間をやめた存在だとされている。実際に、体を影のようにして走り回る姿は人とは思えない。

「信用ならぬ? そうでしょうな。私がどうして魔神殺しなどに加担するか疑問でしょうな。くふ、はははは、友を英雄とするための下準備でございますよ」

 ガラルは狂気じみた哄笑を上げた。

「なに、信じられぬというのなら、奥方殺しの際には先頭に立ちましょうぞ」

 闇狩りはその条件を呑んだ。

 命知らずの闇狩りが矜持を曲げるほどに、マドレ夫人の力は強い。

 魔神の加護は肉体と魂を蝕み、人を魔人に変える。




 生活安全、魔法、薬剤、三つのギルドから派遣された一流の人材たちは、ガラルの指示に従って何がしかの魔法術式を組んでいた。

 侯爵は彼らからも話をきいたが、このガラルという男は味方であるのは間違いないということだ。

 しかも、この話自体がガラルとその仲間である辺境伯爵であるドーレンの次男坊が持ち込んだものであるらしい。

 目的は分かる。しかし、違和感があった。

 ガラルに直接きくことになった。


 真意を問う。


「私には奇矯な友がいましてな。アラン坊ちゃんのことですが、アレはシスティナ様を助けるために英雄の道を歩むと仰った。しかも、この私に助力を乞うたのですよ」


 我が娘を助けるためか。


「もっと分かり易く言えば、坊ちゃんはシスティナ様に惚れてしまったのでしょうな。そのために、楽な生き方を捨ててしまわれた」


 お前もまた、絆されたのか。


「ほほほ、絆されたとは違いますなぁ。坊ちゃんは私と同じように、過去に絶望していらっしゃる。過去は未来を呪うのですよ。そうなったらもう、流されて生きる以外にないというのに、英雄になると……。私もまた、英雄を待ち続けた者の一人なのです」


 ガラルはそこで一度言葉を切った。

 狂気じみた歓喜が仮面の奥にある。


「私はアラン・ドーレンという奇矯な男を、英雄にすると約束したのです。待つだけで与えられるものなどない。私は、私の運命であるのですよ、アラン坊ちゃんは……。そして、友を私と同じにはさせられない」


 友のためか。

 それは分かる。


「坊ちゃんの絵図を完成させるために、私は来たのですよ。くふふふ、このような難しい仕事とは……ですが、大船にのったつもりでいて下さいませ、閣下」


 薄気味悪い男の語る奇妙な話だ。

 それでも、信じてみることにした。

 何より、娘に惚れたという男が寄越した男なのだ。





 マドレ侯爵の城に悲鳴が満ちた。

 家臣に紛れ込んでいる悪魔たちが、闇狩りによって葬られる悲鳴だ。


 侯爵はガラルの後を追う。

 妻を守る悪魔たちですら、鎧袖一触に切断されていく。いや、鎧もなく短剣だけでそれを為すのだから、鎧袖という表現は正しくないのかもれない。

 影袖一触といったところか。

 人では無い。

 魔神の加護から人をやめた者を妻とする侯爵には分かる。

 ガラルという男もまた、何かを成してああなったのだ。人でありながら、人でないものに至ったのであろう。


 侯爵の新婚初夜と、娘と側室を逃がす条件の履行に使った夫婦の寝室には獣臭が満ちていた。

 裸身の女と男たちが、阿片の香りに包まれて交合する色欲の部屋である。

 侯爵は袖で口元を隠した。

 何一つ変わっていない。

 我が妻は、そこで女を犯し尻を犯されて嬌声を上げている。

「ほほほ、お邪魔を致しますぞ。侯爵夫人」

 阿片窟さながらの男女たちの視線は、薬と快楽に淀んでいた。

 侯爵夫人はまるで少女のように、豊かな胸元とそそり立つ股座の怒張を手で覆い隠した。

「あなた、こんな所に人を連れてくるなんて」

 顔を赤らめて言う奥方に、侯爵は言葉を出せなかった。

 彼女はいつもこうだった。

 侯爵が見合いの席で出会ったころから、儚げな風貌は変わらない。そして、戯れに蟲を潰すような残酷さと、ただの女である優しさを併せ持つ。

「ほほほ、呪いとはこのようなものですか」

 ガラルは仮面の奥で夫人を見ていた。

 夫人の瞳にはサキュバスにも似た誘惑の力がある。そして、放つ体臭には男と女どちらにも効く催淫の魔力。どちらの力の気配も、魔神のものだ。

「まあ、呪いですか。わたくしの呪いを解いて下さいますの? ここ数か月、元気が出なくて……。閨にこもっても、腰に力が入らないのです」

 悪魔め。

 無邪気で清楚な色欲の悪魔である。

 侯爵にとって、夫人はそのような存在だった。閨や性に対して、価値観が違う別種の生物であるように思える。

 貴族の婚姻という前提で考えれば、夫人の愛は普通よりも遥かに大きく純粋である。

 それが、侯爵を苦しめた。

 周りの悪魔たちは、夫人の力の矛先を調整する役目を持つ。彼女が暴れてしまえば、この城が崩れ去ってもおかしくないがゆえに、魔神の授けた御者のようなものだ。

「キミは苦しくないのか」

 侯爵は妻に問いかける。

「体が優れなくて……」

「父親の同じ娘同士で子供を造らせることが、苦しくはないのか」

「何が?」

「悪魔たちは、キミの力を使って大地を豊にしている。だけど、キミは自分の子供を……」

 人惨果にんじんかという悪魔の果実は、大地に落ちて腐ることで地を豊かにする。

 人惨果を育てるには、魔神の加護を得た者の子供を木に喰わせる必要があった。

 かつて、この地に封ぜられた開祖のマドレ侯爵は、何をしてでもこの地を豊かにしようとして、魔神と取引をした。

 悪魔との取引で得たのは、豊かな領地と少しずつ人をやめていく自らの血である。

 魂は七代祟るというが、七代において夫人は出来上がった完成形である。

 生まれながらに無垢で、悪魔めいた人間だ。

「あなたが何を言っているか分からないわ。どうして泣いているの。何か悲しいことがあったの?」

『あの男です。アレが旦那様をいじめているのです』

 と、夫人に囁くも者がいた。

 夫人の豊かな髪の中に寄生している虫の悪魔だ。

「侯爵閣下、御下がりくださいませ」

「ガラル、いや、ガラル殿、妻に慈悲を」

 慈悲とは、死という救いである。

 救いとはいうものの、それは侯爵の心が救われるだけである。夫人は、善良そのものだ。ただ、人から見れば狂っているだけに過ぎない。

「アラン坊ちゃん、やはりあなたは運命でありました。私にとって、これは初めての『善』となるでしょう」

 夫人が、人間のものではない言葉で虚空に呼びかける。夫をいじめる者を滅ぼして、と。

 ガラルの纏う黒地に赤のラインが走るローブが生き物のように、蠢いた。

「な、なんだ」

「ほほほ、閣下、私を注視してはなりません。目が、潰れますぞ」

 ローブはゆったりと膨らむ。

 ガラルの身体が大きくなり、形を変えた。

 ローブは蜘蛛とも竜とも分からぬ奇怪な怪物のような形に膨らみ、いつしか黒い不定形の肉体となった。赤いラインは、まるで血管のように脈動している。

 仮面だけが胴体と思しき部分に張り付いている。胴体は横一文字に裂けて、巨大な口となった。

 その口にびっしりと生え揃う牙は、ガラルの獲物である短剣と寸分変わらぬものである。

「悪魔共よ、恐怖するがいい。これが、黄泉を歩く私の罪穢つみけがれ。お前らですら這い上がれぬ地獄の力」

 悪魔たちが恐怖の叫び声を上げた。

 ガラルであった怪物は恐るべき速さで逃げ惑う悪魔を食い散らかす。

 侯爵は、足も動かせずにそれを見ていた。

 システィナよ、愛する娘よ、お前はどんな者に好かれたのだ。あんなものを配下とするなど、英雄とはほど遠い。



 同じころ、三ギルドから派遣された者たちはそれを遠見の術で注意深く観察していた。

 彼らの仕事は、侯爵夫人に張り付く魔神の加護を引き剥がす魔法術式を完成させることである。

 魔法ギルドからは、結界のルゴシと邪術のティホン、薬剤ギルドからは、エリクサのシャミンを。金では動かせないとされる一流の術師が派遣されていた。

 全ては、アラン・ドーレンという男の配下と力を確かめるために。

 黄泉歩き、または不死人とも影魔人とも呼ばれた恐るべき存在がどれほどの脅威かを確かめるために、ここにいる。

「あれは、魔神などより遥かに恐ろしい相手ではないか」

 邪術のティホンは言葉とは裏腹に、実に楽しげに言った。

 あんなものが立てようとしている英雄がいる。実に恐ろしく、そして、ギルドの歓びそうな話である。




 ガラルは悪魔を食いちらし、ついには夫人を捕まえた。

「たすけてっ、あなたっ」

 夫人がいやいやをするように振る腕は、魔獣と化したガラルの身体をたやすく破壊して黒い粘液を飛び散らせる。しかし、その傷は、飛び散った粘液を吸収して瞬時に塞がる。

 悪魔の誤算はガラルの存在そのものだ。

 こんな者が襲いに来ると知っていれば、夫人に戦う術を持たせていただろう。

「そのお力、頂きますぞ」

 仮面が声を出す。

「いやっ。たすけて、あなたっあなたっ」

 巨大な口に夫人は取りこまれ、侯爵に手を伸ばすも届かない。体の半ばが飲み込まれた時に、侯爵はと走った。

 腰の剣を抜き、ガラルの身体に突き立てる。

「……」


 侯爵が夫人に罪悪感を持つが故に、魔神の加護である『魅了』は効果を発揮する。


「止めてくれ」

 愚かな男だ。いや、だからこそ魔神により産みだされた女に見初められたのか。

 夫人の魔性に魅入られたのか、それともガラルを夫人と悪魔以上の邪悪と見たのか。

「くふふふ、なれば、二人共にあの世へ行くがよい」

 蜘蛛のような足が侯爵をつかまえた。そして、口に放り込む。

「すまなかった。キミを一人で逝かせようとした俺を許してくれ」

「あなた、たすけにきてくれたのね。ずっと、あなたはわたくしのことが好きじゃないと思ってたのに……」

 侯爵はこんな時になって不思議なことを考えた。

 もしも、恐れずに話し合っていたら、彼女とは今と違った関係を造れたのかもしれない。

 もういい。一人だけ幸せになどと虫のよい考えだ。

 最初から、戦う方法はあった。なのに、何もしなかった罰なのだろう。

 ガラルの変じた怪物に喰われながら、侯爵と夫人は手をとりあった。

 これでいい。

 命で支払うのなら、良い責任の取り方ではないか。

 侯爵はそう思った。



 魔神退散の魔法術式が展開された。




 雨が顔を打つ感触に、意識は呼び覚まされる。

 ああ、どこで寝たのだろうか。顔に雨がかかるなんて。

 この雨は、いやに暖かい。

 目を開けると、美しいまなじりから涙を流す姫。

 初めて会った見合いの時、美しいと思った。

「キミか。これは夢だな」

「夢じゃないわ」

 妻の顔と瞳から、男を狂わす輝きは失われていた。

 それはまるで、見合いの席で初めて出会った時のようで。

 これは夢だな、と侯爵は思う。

「義母様が亡くなって魔神の加護を継承したキミが怖かった。すまない」

 もしも、あの時に向かい合っていたら、こんなことにはならなかったかもしれない。

「いいのよ、もう。だって、助けにきてくれたでしょう」

 侯爵は、夫人の顔に手を伸ばした。

 あの時からまるで変わっていない彼女は柔らかく、その手は暖かかった。





「魔神の力は流石に食えませんでしたな」

 ガラルは一足先に帰る前に、ギルドの者たちと闇狩りにそう言った。

 展開された魔神退散の術法は、一流の魔術師複数をもってしても完全なものにはならなかった。

 それは、サジャという男を通して伝えられた対悪魔、対魔神の内容と一致している。

「で、あんたは他人の力を食えるのか?」と、結界のルゴシが問う。

「人間は食ったことがありませんが、悪魔ならある程度は我が物とできますよ。実際、あの身体は喰らった悪魔や何やらで作っておりますし」

 それのどこが真実なのか、一流の術師である彼らにも判断がつかなかった。

「さて、私は一足先に帝都に戻りましょう。夫人が死んだと判断して、加護はマリナ様に移っているでしょうからな」

 それは術師たちにも分かっている。あの時、結界を意に介さない何かが帝都へ飛んだ。 

 あれは、魔神の加護そのものだ。


 サジャは魔神や悪魔との契約を破るのに必要なことを教えてくれた。


 一つは契約の矛盾である。

 特に今回のように権力者が契約している場合、契約を交わした祖先が悪魔をハメるために契約書に幾つかの有利な条件を呑ませていることが多い。


 もう一つは、魔神の苦手なものを用意することだ。

 つまりは愛。無償の愛である。

 魅了によって侯爵は『夫人のためにできること』を行った。剣を突き立てたのも、ガラルに勝てると思ってやった行いではない。

 ただ、共に死ぬためにやったのだ。罪悪感を持つが故に。


 ガラルは愛がどれほどに変質しやすく、無垢であっても独善的であるかを知っていた。

 侯爵に術をかけて魅了への抵抗を弱めたのも、この結末のためだ。

 侯爵と話をすれば、彼が奥方をどのように見ているかは予想がついた。

「坊ちゃんの思い描いた結末までもう少しですぞ」

 アランは、できたら殺すなと言った。

 無茶を言ってくれる。だが、やり遂げた。

 ガラルは仮面の奥で満足げに笑む。

「賭けに勝つのは久方ぶりのこと」

 侯爵があのように動いたのは偶然だ。……いや、運命であろう。

 ガラルは歓喜した。

 運命が遂に廻り始めたのだと。



 限界に挑戦すれば、舞台までには帝都に帰れるはずだ。

 影が、街道を往く。


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