第5話 番長がくわえている草に、俺はなりたい

 酒をたらふく飲んで横になる。

 色んなことが面倒になった時、こうやったら何も考えずに眠れる。

 明日の朝は気分が悪くて、朝から腹は痛くなるだろうし、うんこした後は牛丼屋の朝定食を食べたくなるだろう。そして、ここにそんなもんなかったなと思い出して、べったりした厭な気分になる。

 それが分かっているのに焼酎を浴びるように呑んだ。

 ああ、厭な夢を見る。

 だいたいこんな時は、悪夢を見る。

 俺が悪かったか。許してくれ。

 何が恐ろしいかって、実際にあれが追いついた時に何をされるか想像もつかないことだ。





 目が覚めたら、下宿の部屋のベッドだった。

 久しぶりによく眠れた気がする。

 起き上がると、頭の中に常にあった澱のような怠さが消えている。開け放たれた窓から差し込む陽射しに、酒臭い吐息を漏らす。

「なんだこれ」

 物が適当に積んであるはずの部屋が、驚くほど片付いていて、床が見える。さらに、窓には花柄のカーテン。

『おはよう、半分クソ野郎』

「おはよう、ゴンさん」

 俺の朝はクソ野郎というお決まりのフレーズから始まる。

 部屋に違和感。俺の部屋には間違いないが、どうにも片付いている。ハウスキーパーのバイトは頼んでいないというのに。

「おはよう。よく眠れた?」

 プライベートの姫騎士は素敵なお姉さんだ。

「あ、おはようございます」

 スープの入った寸胴鍋とパンを持ってきてくれたのは、姫騎士ことシスティナ様だ。

 あ、ヤバい。ちょっと素敵だと思った。男の朝は性欲が薄いなんてのは嘘だ。

 顔を洗ったら、食事をとることになって、いつものワカメスープがやけに美味い。二日酔いに丁度いい味加減。

『プライベートは普通じゃね?』

 普段から姫騎士のテンションは疲れるだろうよ。

『それもそうか』

 なんか変な感じだ。

 頭痛のしない朝は久しぶりで、なんかだか景色がはっきり見えるようだ。

 適当な世間話をして学校へいく準備をする。

「それじゃあ、いってきます」

 朝食の間、何を話してたか全く記憶に無い。

 調子でねえな。

『おい、俺を忘れるな』

「ゴンさん、もういいの?」

『飽きた』

 ひでえなこいつ。

「いってらっしゃい」

「あ、どうも」

 調子でねえなあ。

 優しい女に優しくされるのは、どうにも慣れない。

 階段を降りていくと、下宿先の大家、一階の喫茶店のママさんとばったり会う。

「アラン坊ちゃん、ありゃあいい子だよ。逃がしちゃだめだからね。あんたみたいなだらしない男には、ああいうのがいいんだ」

「おはようございます。朝からやめて下さいよ」

 ママさんは紫色に染めた髪をいじりながら、はあっとため息。五十絡みの婆の気取った仕草に、いつまでも女なんだなあ、と思う。このママさん目当てにモーニングを食いにくるジジイの多いこと多いこと。

「いい。あんたは、あんな子がいないとズルズル真っ逆さまな男だって肝に銘じとくんだよ」

 勘弁してくれよ。

 何もかも忘れて風俗いきてえ。

『ほんと最低だな、お前』

「そうかあ?」

 男はだいたいみんなこうだと思う。




 学校に行ったら、俺の席に行く。

 ああーどうしよっかなー。すっげえイヤ。

「おはよう、ミス・マドレ」

「……」

 ぷいっとそっぽを向くマリナ・マドレ様。

 なんとかして、この無愛想少女から姉やら父親のことを聞きだすというミッション。こんな状態でどうしろというのか。

 口も利いてくれねえ。

『タコか、或いはワカメだな』

 どこの漁村だよ。お近づきのしるしにとれたての海産物を渡す文化は帝都にないから。

『マジでっ』

 マジだ。

「口も利いてくれねえんだもんなあ」

 という独り言もスルーされた。

 このくらいの年ごろの女の子って苦手なんだよなあ。ああ、イヤだイヤだ。熟女怖い熟女怖い。

『あれか、ガレット怖いだな。知ってるぞ、古典の小噺っ』

 お笑いに詳しくなっているゴンさんにビビる。

 席でぼんやりとマリナ・マドレ様を眺めた。

 切れ長の瞳、つやっとした髪、小柄。顔かたちの小奇麗な小娘だ。

 金を渡したら話をしてくれないだろうか。

『お前、女相手だと卑屈になるのな』

 海産物で懐柔しようとしてたくせによく言うぜ。

 女は苦手なんだよなあ。ほら、ちょっとしたことでセクハラとかになるじゃないの。そんなことになって実家に強制送還されようものなら、親父とお兄ちゃんにぶっ殺されるか去勢させられるかもしれない。

 じろじろマリナ様を見たりしながら時を過ごした。

 ああー魔法の授業全く頭に入らないぜ。まあいいか。シオン教授からは適当に進級させるって言われてるし。

『マンドラゴラの小便なんか被ってたら死ぬぜ?』

 マジで?

『多分』

 ゴンさんはだいたい勢いでものを言う。

 マリナ・マドレを観察しても、可愛い子だなぁ、ということしか分からない。

 俺はそのままでもいいらしいけど、ガラル氏だけに任せてたらバイオレンスなことになるのは目に見えている。

 俺がなんにもしなかったら血の雨だ。それに、ガラル氏に頼りきりってのは情けない。

 オネエの手下のチンピラの時だって、俺は熱くなって殺しそうになったけど、ガラル氏は楽しんでたものなあ。あれはカッコイイシーンだった。

『どうかしてるぜ』

「ゴンさんも煽ってたのによく言うよ」

 声に出して言うと、俺の独り言だ。周りでビクッとする人がいて、俺はどうしてこんな目にあっているのかと声を大にして問いたい。

『やってみ?』

 ごめんなさい、嘘です。



 昼食は食堂でとる。

 学校の食堂は若者たちが群れて群れて群れて。

 俺は一人ぼっちでパスタを食う。ああ、昨日の酒のせいでこのチーズ味が辛い。

 こういう時はざるそばを食べて、その後で無理に牛丼を食べたい。それから、布団に飛び込んで昼から好きなだけ眠る。そんな休日が懐かしい。

 食べ終わったら、昼休みはだらだらと歩いたり、木陰のベンチで寝たり、図書室で本を読んだり、ぼっちらしく過ごすのだ。

「あー、かったる」

 涼しそうなベンチを見つけて進もうとしたところで、対面からやってくる人物に気付いた。シオン教授だ。

「捜したよ、アラン君」

「あ、どうも、お疲れっす」

「ギルドの人たちの話、長かったねえ。ボクは肩がこってしかたなかったよ」

「ははは、軌道に乗ったらもっとウザいですよ」

「今もウザいんだよ。ギルドから助手を押し付けられちゃってさあ。アランくんには毎日研究室に来てほしいなあ」

 姫騎士が片付いたらそれも悪くない。

「あ、その助手さんって多分、ギルドから派遣された護衛の人です。頼むから隙を見つけて逃げたりしないで下さいね」

「ええー、そうなの。そういうの困るんだけど」

「俺に言われてもなあ。って、うわっ、後ろっ後ろっ」

 シオン教授の背後には、いつの間にか白衣の女性が立っている。ひどく痩せていて、長身だ。髪が顔にかかっていて、大きな目でこっちを見ている。瞬きゼロで。

『ぎゃあああ、お化けぇっ』

 お前が言うな。

 俺の声に驚いて教授も振り向く。そうしたら、同じように悲鳴を上げた。

「うわあぁぁぁっ、サーリーくん、背後に忍び寄るのはやめたまえ」

「ごめんなさい、先生……。薬草の話、しましょう」

 うわっ、話し方コワっ。抑揚ないし、声の高さが一定だ。

「アラン君、頼むよ。研究室きてね。ボク一人だと怖いからっ」

「先生、女性に失礼です」

 そういうことは言ったらダメ。

「……なれてる。大丈夫」

 サーリー女史は抑揚の無い声で言う。

 やっぱ怖いわ。サーリーさんの名前は一発で覚えた。目立つ護衛を送ってきたものだ。いや、目立たせるために送ったのか。

「用事が一段落したら顔を出しますから、それじゃあまた後で」

「待ってるからねっ、頼むよ」

「さようなら、生活安全のアランくん」

 二人に背を向けて少し歩いた後で、こらえきれずに笑う。

 なんだあれ、サーリーさんってすげえキャラだな。濃いわ。

 なんとはなしに上機嫌になって、俺は最近お気に入りの裏庭へと足を運んだ。朽ちかけたベンチと、荒れた庭があって人が来ない。ぼっちには似合いの場所だ。

「よお、イカレ野郎。ご機嫌じゃねえか」

 突然に喧嘩腰に女の声。反応が遅れた。

 振り向いた瞬間に、腹に激痛。みぞおちをまともに殴られて、息が詰まって、その後でお馴染みのゲロがせり上がる感触。

「かっ、ごっ、うえぇぇぇ」

 膝をついたら、さっき食ったものが出る。

 あ、ゴンさんのワカメもある。ちっくしょう。

 立とうとする前に、脇腹に革靴で蹴りを入れられた。ヤバい音がした。またしても激痛だ。

「きったねえの」

 笑いを含む蔑みの声。

 咄嗟に亀になる。

 目だけを動かして見れば、女だ。知らない。誰だ。俺は女に悪さなんてしてねえぞ。

「なんだ、お前」

「汚ねえ口開くなよっっっっとおぉぉ」

 歯を食いしばったけど、耐えられない。

 顔面を蹴りあげられて、何本か歯が飛ぶ。

 この女この女この女。ぶっ殺してやる。

『立てぇ、立つんだ、アラァァァン』

 ゴンさん、笑いそうになるから、俺の教えたボクサー弁で言うのをやめろ。


※ボクサー弁

 ボクシング漫画だけで用いられる不思議な語り口。

 例トレーナーのおっちゃん

「今のたかしは、相手を叩きのめすことだけしか頭にない殺人マシーンよ」

 最後の「よ」など、普段では使わない言い回しが特徴。


 身を護るために亀の姿勢になって、耐えた。

 何回蹴られたか分からない。

「おい、こんどマリナに粉かけやがったら、マジでぶっ殺すからな」

 最後にケツを蹴り上げられる。足をがっちり固定してキンタマを守っておいてよかった。潰されたらたまらんぜ。

 女が立ち去ったのを確認してから、体の力を抜いて地面に大の字に転がる。

 空はやけに青くて、鼻に力を入れたらドロッとした血の塊が出た。

「ちっくしょ、むちゃくちゃしやがって」

 顔は覚えた。

 向こうから来てくれるのは有難い。これで取っ掛かりはできた。

「おーい、ギルドの人、見てたら、これは関係ないって伝えてくれ」

 適当に声を出してみる。

「承知仕った」

 と、どこからともなく返答がある。

 あ。この喋り方からして忍者だな。姿はなくとも声はあり。カッケェな。忍ばない最近の忍者とは違う。渋いタイプだ。

「顔はぁっ、見せてくれねぇのっ」

 痛い。声を出すのが痛い。

「いずれまた。さらば」

 忍者の人が言い終わると、近くで地を蹴る鋭い音がした。気配とかは全く分からない。

『すげえな忍者』

「すげえよ。カッコイイぜ」

 喋ると脇腹が痛む。

 あばらがちょっとマズい気がする。

『お前、いつもちょっとだな』

「口癖なんだよ。いった、いってぇ」

 そうそう、ここって高等学院なんだし、ビーバップなことがあっても仕方ない。

 あの女あの女あの女、ぶっ殺した後で犯すか、犯した後にぶっ殺されるか選ばせてやる。頭が軋むように痛んだ。

 愉快な気分になって、笑いが出る。

「は、はは、ははは」

『今のお前、ダセー上につまんねえぞ。いつもみたいに面白いことしろ』

 ……。

 ホントだ。ダサい。

 俺は頭の痛みに耐えて、なんとか体を起こす。

 暴力とか野蛮すぎてちょっとヒクわ。暴力ダメ絶対。

 保健室にいって手当したら、早退しよう。

 こんな時の言い訳は一つだけだ。

「階段でコケましたってね」

『そうこなくっちゃ』

 たまにはゴンさんもいいことを言う。

 そうそう、こんな時は飄々としてないとね。

 そうじゃなきゃカッコイイとは言えないじゃないか。




 ガラル氏とは、俺の下宿の一階にある喫茶店で合流した。

 テーブル席で対面に座った俺の惨状に、ガラル氏は殺気を滲ませて口を開く。

「誰にやられました?」

「大丈夫、同級生の女の子にちょっかいかけたら、ひっかかれただけだから。かっこ悪いんで、階段でコケたってことにしといて下さい」

『ボッコボコよ』

 ガラル氏は少しの間、黙り込んだ。

 そして、俺の横に立った。

「なるほど。……えい」

 脇腹を軽く突かれる。「えい」って可愛いなオイ。

「いだっ」

 でも激痛。すげえ腫れてるし痛い。保健室の先生には、ゴンさんの出したカマス三匹と引き換えに口止めをしている。

「ふむ、折れるかヒビは入ってますな」

 ガラル氏は言うと、懐から小ビンと白い粉の入った小さな包みを出してテーブルに並べた。

「なんスか、これ」

「ビンは軟膏です。これを塗ってから包帯できつく縛りなさい。包みは痛み止めです。鼻から吸って使うのですが、一日に一度だけにしなさい。二時間は痛みを忘れて動けます」

 カッコイイわ。そういう男らしいとこホント好き。

『いいね』

「ま、ゴン様が何も仰らないならよしとしましょう。幾つか、動きがありましたぞ」

「どうなりました?」

 ガラル氏が仮面の奥で口を開こうとした時に、ママさんが果実水と冷やし飴を持ってやって来た。

「男前になっちゃって、あの子を心配させるようなことするんじゃないよ」

「そんなんじゃないですって」

「どうだか。お天道様に恥じないようにするんだよ」

 言うだけ言って、ママさんはカウンターの奥へ消えていく。

「ガラルさん、あれ、ここの大家さんなんです。どうにも、こんなことで」

「ふうむ、誤解されていらっしゃるが、これも策の内。我慢しなさい」

「我慢はいっぱいしてますよ。風俗にも行ってないし」

『性欲の怪物だな』

 十代の男なんてこんなもんだよ。二度目だから間違いない。

 ガラル氏は機嫌を直したようだ。冷やし飴を美味そうにちびちび飲む。

 冷やし飴はちょっと苦手だ。

 人心地ついたガラル氏が口を開く。

「マドレ侯爵でしたか。どうやら、おいえに妙な連中が出入りしているご様子。占い師だとか死霊術師だとか胡散臭い類の連中ですな。親戚筋とやらですが、妙なことに、ここ最近になってバタバタと事故や病気でこの世を去ったとか」

「うわあ、怪しいなんてもんじゃないですよ」

「お家争いは複雑怪奇なもの。私ごときには想像もつきません。ここはひとつ、藪をつついてみました」

 嫌な予感がする。

「つついちゃった?」

「さきほど、あのサジャとかいうオカマと少し遊んできました。ほほほ、殺し屋が来たと勘違いして大慌てでした」

 この暴力人間め。

「それ、いいんですか」

「さて、多少はヒントも与えてやりましたので、アレもこの仕事ヤマの不透明さに気付いたことでしょう。あとは、黒幕が出てくるのを待てばよろしい」

「ゴリ押しじゃないですか」

「手っ取り早いでしょう? ああ、それからこれを」

 ガラル氏が差し出したのは、チラシだ。洒落て言うならフライヤー。

 そこには『玉子サンドと姫騎士オークの対決! 帝都のお笑い四天王と上方軍団が繰り広げる笑いのバトルロワイアル。審査員は女優、文化人のミセス・グローヤナッグ』と大きく記されている。

『一番いい席取れよ。近くだ、近く』

 でけえ話になっておる。

「会場は天道教の大聖堂を利用するようですな。姫騎士様の件、芸能ギルドにも伝わっているそうです。今頃、頭を抱えているでしょう」

 面白そうに言うけど、話が大きくなればなるほど危うい。

「そう難しく考える必要はございませんよ。目の前の敵を叩けばよろしい。そうしていけば、敵はいなくなります」

 何を言っているんだろうか、この人は。

「やめて、俺は死んじゃうから」

「なせば、なりますとも」

 それができたら、俺は今頃ハーレムの王様だ。

 さて、太陽もそろそろ疲れだしてきたいい時間になった。

 俺は、果実水を一気に飲み干した。

 テーブルに置いてある軟膏を取るとボロボロの服を脱いで軟膏を塗る。カウンターでママさんが中指を立てていた。ごめん、勘弁して。

「ふむ、手伝いましょう」

 ガラル氏が包帯を巻いてくれる。

「いたっ、もっと優しく」

「ちゃんと巻かないと治りが遅くなりますぞ」

 痛いってば。

 なんとか包帯の地獄を通り越して、次はどう考えても違法な白い粉薬である。

 鼻から吸ったら、頭がじんわりと熱くなる。

「ほんと、これ大丈夫なんでしょうね。法的に」

「もちろん違法です。気をつけて下さい」

 分かってたけど、もうちょっと悪びれてほしい。

「学校、早退したんですけど用事があるんで、学校に戻ります」

「……お気をつけて。今度はメス猫にじゃれつかれて恥を晒さないように」

「善処します」

 さて、行くか。

 明日になったら嫌になるし、今日のうちにやっちまおう。

 痛みも本当に消えた。

『骨は海にばら撒いてやる』

 拾えよ、そこは。

 女の子を口説くのはいつ以来だろうか。

 ちょっとドキドキする。

 

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