第2話 よごれちまった姫騎士に

 木彫りの半魚人人形のことはゴンさんと名付けた。

 最初はキボギョンという名前にしたのだが、そう呼んだら返事をしてくれなかったのでゴンさんと呼ぶことになった。

 学校でも容赦なく話しかけてくるので、適当に返事をしていたら益々ぼっちに磨きがかかった。

 三か月ほどそうやっていつもの日常を過ごした。

 ミス・マドレは目を合わさないどころか、挨拶しても返事すらしてくれねえし。

『言い忘れてたけど、オレの声はお前とガラルにしか聞こえてないから』

「えっ」

 そういうこともあり、肥溜にぶち込んでやろうとしたこともある。その度にゴンさんはワカメを大量に噴出して誤魔化そうとするのだ。


 頭がイカレたという評判も相まってか、シオン教授はより一層熱心に勧誘をしてくる。

 マンドラゴラ水栽培は順調で、水の中で頭を切ることで叫ばせず安心して収穫できることや、独特のえぐみがなくなりブランド野菜としても展開できるなど、全く新しいビジネスとして注目を集めつつある。

 ここは一発のって、金儲けをした方がいいのか。

 迷いつつも、資金援助してくれるという魔法ギルドと薬剤ギルドが胡散臭すぎて二の足を踏んでいる。

 困ったことになったぜ。




 休日にはだいたいガラル氏と遊ぶか日銭稼ぎをしている。

 雨なので飲もうということになった。

 帝都の飲み屋街を歩いていると、何やら小さな芝居小屋がオープンしていた。

 西方都市群からやってきたという芝居の一座で、爆笑に次ぐ爆笑の嵐と呼びこみが語っていたので見に行くことになった。

 ガラル氏はお笑いにハマりつつあるようで、変なダジャレを言ってドヤ顔、仮面のせいで見えないがそんな気配を出してくる。のってあげないと、傷ついた感じになるのでとってもウザい。

「行きましょう」

 鼻息荒く、仮面のおかげで分からないがそんな気配を出してくるので、意気揚々と芝居小屋へ乗り込む。

 銅貨七枚という微妙な見料である。

 蒸し暑い芝居小屋は、寄席に似ていた。

 手品などの演目の後で、黒子が芸人の名前を書いた『めくり』をまくると、お待ちかねの登場だ。


 姫騎士サバイバル


 そのように太くコンビ名が描かれている。

 舞台袖から小走りにやってきたのは、煌びやかな白銀の鎧を着た女騎士と、額に角を持つ鬼人の大男だ。

「こんにちは、姫騎士です」

「どうも、オークです」

 古いタイプのしゃべくり漫才だった。しかも、エロネタが多い。

 捕まった姫騎士が、とんちを使って犯されずに逃げ切る展開の漫才だ。

 下品すぎて聞く気になれないネタのオンパレード。

 ちょっと辛いな。と、思って見ていたら、周りでは好評だ。みなさん大笑いである。

 ガラル氏も笑い声を漏らしている。

「え、それってわたしのパンツじゃない。もうあなたとはやってられないわ」

「ありがとうございました」

 なんだよ、その安直なオチは。

 客たちには受け入れられているようだ。パンツネタは定番のスベリ芸的な終わり方のようである。みんな安心して笑っている。

 俺は死んだ魚のような目をしていたが、ゴンさんにも大うけだ。

『おもしれー。ふひゃひゃひゃひゃ』

 なんだその笑い方、気持ち悪い。

「いやあ、面白いですね」

「うーん、ちょっと安直だし下品すぎないですか。メジャーにはなれないでしょ」

「ううむ、アラン坊ちゃんは難しいお方だ」

 いやいや、前世じゃ深夜番組でもアウトなレベルですよ。

 あ、そうか、ここにはオー×阪××人もダウ×××ンもいないのか。漫才の文化はこのファンタジー世界では始まったばかりなのだ。きっと。

 さあ、終わったし飲みにいこうかという時に、客たちが「ひーめっきしっ」とアンコールらしきものを唱え出す。

 ここで席を立つのは勇気がいる。

「なんでしょうか、これは」

「もうワンステージをおねだりする呪文ですよ、多分」

 一座のリュート弾きが軽快なメロディを奏でる。

 でよった、姫騎士が。

 うんざりする気持ちで見ていると、さらに下品なネタが目の前で展開される。××ンタ×ンのお二人がここで異世界トリップしてくれたら、ぶちギレるんじゃなかろうか。そして、チートじみた漫才やショートコントで世界を塗り替えてくれるはずだ。

『ひゃぁぁぁ、キター』

 テンション鰻登りのゴンさんが大きめのサバを出した。

 震えるサバを絞めて、足元に置く。生臭い香りが漂うというのに、客たちは熱狂の中にいる。

 俺は、身の置き場がなくて、消えたくなった。




 ガラル氏は上機嫌で、ゴンさんは『ひーめっきし』と上がったテンションのまま叫び続けている。

 なんばグランド花月に行きたい。

 良いサバが手に入ったので、ガラル氏おすすめのお店で塩焼きにしてもらった。今日はわりと普通の小料理屋だ。

 毎度のことで、下らないことをダラダラ話しながら食ったり飲んだり。

「学校でね、友達がいないんですよ」

「いいんじゃないですか。坊ちゃんは群れる性質ではございませんでしょう」

「あのノリで来られたらしんどいのは確かなんですけどね。もうちょっと、ほら、若いエキスみたいなの吸いたいじゃないですか」

「吸うのはカサンドラだけにしておきなさい」

「姫騎士に毒されてますよ」

『ひーめっきし』

 ぬるい焼酎は喉を焼くようだ。この異世界のいいところは、焼酎があるところだ。醤油は無いが、もう慣れた。

「ゴン様もお気に入りではありませんか」

「捨てても帰ってくるんだよなあ、ゴンさん」

 あまりのウザさに何度か捨ててきたのだが、翌朝には枕元で『おはようクソ野郎』と囁いてくれる。死ねばいいのに。

『ひーめっ……、アランっ、ガラル』

 突然ゴンさんがシリアスな声を出した。

 すわ、もしや神聖なタイプの僧侶が呪いを嗅ぎつけてやってきたのか、と救いを求めて捜したが、一人客の女が入ってきただけだ。

「え、なに。ゴンさん、ワカメタイム?」

『姫騎士の気配がする』

 何を言っているんだお前は。

「……ほほう、あの女性。鎧歩きの癖がありますな。それに、髪の色も同じ。町娘風に結っていますが、手の剣ダコに骨格も。ふむ、なるほど」

 ひとりごちるとこ、すげえカッコイイ。

 流石はガラル氏である。

「えっと、何が起きてるんスか」

「あれは件の姫騎士様でございますよ」

「うそー」

『姫騎士だっ。おいっ、オレを連れていけ』

「いやだけど」

『オレの身体に名前を彫る名誉と加護をくれてやる。連れていけ』

 毎朝ワカメが届けられる加護だろうか。

「芸能人のプライベートに突っ込むのはダメでしょ。ゴンさん、ウザいのはいいけど痛いファンは嫌われるぜ。それやったらファンじゃないし、ニワカ丸出しじゃね」

 テレビの無いファンタジー世界では、これも通じないかもしれない。

『ぬう』

 通じた。

 ゴンさんの苦渋の唸り。

「ゴン様を御諫めするとは。坊ちゃんは流石ですな」

「それほどでもない」

 評価してくれるのはガラル氏だけだ。

 そんなこんなで、ちら見しつつ酒を飲む。

 姫騎士は言葉もなく少ない肴で焼酎を飲み干していく。さすが芸人。酒は体を壊すほどやる、というのも古いタイプの漫才師みたいで良い。

 ネタはアレだが、そういうロックな生き方は見ている分には羨ましいものだ。

 そんなことを思っていると、ドアを乱暴に開く音が響いた。

 なんじゃろな、と店内の視線が集中する。

「御嬢さぁん、お迎えにきましたわよ」

 よく通るオネエ口調で言ったのは、髑髏や花の刺繍がふんだんに入ったスカヨ様式の服で着飾った長身の伊達男だ。

 前髪をぱらりと一房垂らしていて、紅を塗った唇は妙にセクシー。顔立ち自体は渋い男前なのだが、そこに色気と凄絶な暴力の気配を漂わせた傾奇者だ。

 腰には、彼の背丈でも大きすぎるであろう騎士剣を佩いている。それだけは、飾りの無い無骨なものだった。


 ビビっと背筋が釣れたてのサバのように震えた。

 カッケェ。なんだこの人、マジカッコイイ。


「なんですか、あなたは」

 姫騎士が震える声で言う。

「うふふ、あなたのお父様に頼まれたのよ。マリナ様、おとなしくお家に帰りましょ」

 唇を舐めて言うオネエの傾奇者は、マリナ様の抵抗を望んでいるようだ。

 よく見れば、傾奇者の背後には絵に描いたようなチンピラが段平だんびらをかついでニヤニヤ笑っている。一山いくらの悪党だ。

 ケンシロウがいたら三秒で破裂させられるタイプである。個性が薄すぎて目に入らなかった。

『おい、どうする?』

 なんでリーダー的な立ち位置でゴンさんが言うのだろうか。

「ふうむ、気持ちよく呑んでいたというのに、些か気分を害されましたなあ」

 大声で言うガラル氏は、喧嘩を売る気マンマンだ。

 のっちゃうのかぁ。でもカッコイイ。並の男にできることではない。

「俺ら部外者だし、やめようよ」

 つまんねえ小市民の俺は、ついついそんなことを言ってしまう。暴力は嫌いだ。

 俺の弱気を嗅ぎ取ったのか、取り巻きのチンピラがやって来た。

「んんぅ、よく聞こえねえなあ」

 よくもまあ、ガラル氏に喧嘩売るつもりになったな。見た目で分かるだろう、普通。マジヤベーぞお前。

「なあ、兄ちゃん、このヘンテコな野郎はなんて言ってた?」

 なんでそこで俺にくるんだ。

 顔を限界まで近づけてくる。歯が臭い。

「んんぅ、怖くて声もでませんかぁ。情けない臆病者のガキだなぁ。ほら、金おいてったら逃げていいぞ。いつも逃げてんだろ」

 臆病者?

 俺は臆病者だ。

 見たくないもの。聞きたくないもの。思い出したくないものから、ずっと逃げている。

 神様もそれを知ってるから、異世界にまで逃げださせてくれたのだろう。

 逃げるヤツはみんな、捕まりたがっている。死は、俺を捕まえてくれると思っていた。そうしてようやく罪を消せると思っていたのに、神様はそれを許してくれなかった。

「なあ、お前が俺を殺してくれんのか? 酸、手に宿る」

 軽く顔を撫でてやる。

「あ、ぎゃあああ」

 あ、やっちゃった。

 つい放ってしまった『酸の手』という魔法で、手から塩酸のようなものを出して、顔面にぶち込んでしまった。

 顔を焼かれたチンピラは、焼け爛れる痛みにのたうち回った。

『ひゃひゃひゃ、やれ、ぶっ殺せ』

「ほほほ、坊ちゃんもなかなか面白い顔をされる。その顔の方が、素敵ですよ」

 今、俺はどんなひどい顔をしているのだろうか。

 あの日、逃げ出した時と同じ顔をしているのだとしたら、それはとても、情けないことだ。

 ちっくしょう、イライラしてきた。

「なんだ手前らは」

「黄泉歩きのガラルと申します。では、おさらば」

 ガラル氏はいつの間にか席を立っていて、両手に持った短剣でチンピラの両手を斬り落としていた。

 俺もなんとなく立ち上がっていて、近くのチンピラの頭にゴンさんを振り下ろす。

『バイオレンスじゃのう』

 まあな。不本意だけど。やっちまったもんはしょうがない。

「ちょっとちょっと、やめなさいよ。アンタ、ガラルでしょ? ヤメヤメ、報酬に合わないわ。おとなしく引くから、もう勘弁して」

 おや、傾奇者のオネエは意外と冷静で知性派だ。

「私たちが楽しく呑んでいるのを邪魔したのに、ですか?」

 ガラル氏は温厚だが、暴力人間だ。

「アタシは、暴力ギルドにゲソつけてるサジャってもんよ。明日、生活安全に詫びを入れるわ。ここはなかったことにしましょ。おとなしく帰るから」

 オカマの傾奇者サジャは、苦笑いでそんな提案をする。看板を出したということは、個人ではなくギルド絡みの仕事であるということだ。しかも、悪名高い暴力ギルドである。

「……」

 仮面で隠されていて顔の見えないガラル氏が、ちらりと姫騎士を見たように思えた。それは気のせいなのか、俺がそう思いたいだけなのか。

「御婦人の手前、納めよう。おい、分かっていような」

 サジャはあからさまに、ほっと胸を撫で下ろす仕草をした。嘘つきめ。

「あいあい、分かってるわよ。みなさぁん、お騒がせしました。店主さん、この金貨で皆さんとガラルさんたちに大盤振る舞いしておいてね」

 金貨を何枚かカウンターにおいて、サジャとチンピラたちは店を出ていく。血まみれの床と、人を焼く匂いが無言の店内には残った。

 姫騎士は席に突っ伏してすすり泣き。

 他の客たちは関わるのはゴメンと席をたっていく。つまみに箸をつけているのは俺たちだけだ。

「坊ちゃん、どうします?」

「どうって言われてもなあ」

『今ならいってもウザくないよね?』

 乗りかかった舟という言葉もある。

 それに、友達っぽい一人と一つは、関わりたくて仕方ないらしい。

「御嬢さん、タダ酒だし楽しもうよ」

 血生臭い店で、飲み直すことになった。

 もっと、こう、お姫様を魔王から助けるような、そんな冒険は無いものか。

『現実にはなかなか無いなあ』

 ゴンさん、心を読むのはやめて下さい。マジでやめろ。


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