指切りげんまん

 美しいものは、じっと眺めているよりも壊した方が好い。完全だと思われるものに手落ちを発見することはそれ自体が快感であり、美しいものは例外なく壊れる瞬間に最高の輝きを放つのである。だから人は、クライマックスなどという言葉を作ったのだと思う。物語だって息絶えるその瞬間こそが、まさに息を呑むほど美しいのだから。

 あの日以来、彼女は僕と仲良くしてくれるようになった。しかし他人に対しては頭が逆さ向きになるほど斜に構えてしまう僕は、もちろん、彼女にだって素直になれないでいた。意地悪をして彼女を避けたこともあったし、校門で待ってくれる彼女を見て見ない振りをしたり、嫌われたって仕方ないようなことを繰り返してばかりいた。

 それでも彼女は僕についてきてくれた。

 無垢というのか無邪気というのか、彼女は僕の妄言やつまらない説法を鵜呑みにしてしまうらしかった。その年頃の子供には稀有なことに、彼女はよりにもよって僕の戯言を進んで聞きたがった。理由は未だに解らないけれど、とにかくそれは本当らしかった。

 だから僕も、進んで戯言を吐き散らかした。

 そうやって彼女を自分色に染め上げていくのが楽しくて嬉しくて、恥ずかしいくらい幸福であったのである。

 やがて僕らは週末、学校が休みの日にも会うようになった。彼女の家と僕の家は、そう離れてなかったのだ。周りの子供達がするような交友を僕はやっとこさ彼女に与えてもらったのである。それは他の子供達が僕に示す畏敬の念だとか、どこか距離を置いた付き合い方とは根本的に性質を異にしていた。

 彼女はたぶん、本気で僕を友達として好いてくれていた。

 そんなある日、彼女は唐突に別れを切り出した。その日は彼女の部屋に上がり込んでいて、午後四時をまわった晩秋の陽が彼女の影を引き伸ばしていた。

「転校するんです」

 寝耳に硫酸を食らった気持ちで僕は、どうやら表情を取り繕えたようだった。彼女は残念そうな表情を浮かべて、僕の顔をじっと見つめていた。それが意味するところを把握しておきながら、僕はなおも強がりを捨てられなかった。

「そっか。残念だね」

「はい、とても」

 ただ、子供ゆえの未熟さからか、その強がりには綻びが消え残る。そうして、僕の口から余計な一言を引きずり出すのであった。

「…君は、僕を忘れるかい?」

「え?」

「転校して、そっちで友達が沢山できたら、僕のことを忘れる?」

 呆気にとられたように僕を眺めていた彼女は、この言葉に目を細めた。見ているのが怖くなって、僕は目を逸らす。

「…そんなわけ」

「うん?」

「そんなわけ、ないじゃないですか」

 震えた声に驚いて見遣れば、彼女はほろほろと涙を零している。

「え、なんで──」

「あなたが意地悪言うからです!バカ!」

「バカって…」

 そんな罵倒とは無縁の生活を送っていた僕は面食らった。彼女は誰の目にも判るくらい怒りを顕にしていたが、どこか寂しそうでもあった。

「…いいですか」

「な、なに?」

「私は絶対、あなたを忘れたりなんかしません。必ずまた、この町に戻ってきます。だからあなたも、私を憶えていてください」

 日頃の僕ならのらりくらりと躱していたかもしれないが、この時ばかりは彼女の気迫に負けてしまった。壊れた操り人形みたいに、コクコクと首肯する。

「約束するよ」

「じゃあ指切りですね」

 いままで見たことのないアグレッシブさで、彼女は小指を絡めてきた。あれやこれやと恐ろしい呪文を彼女が唱えた後、二人の指がそっと離れる。

「指切った!」

 半泣きの彼女は、けれども楽しげで。

 意気地の無い僕は、行かないでと、ただその一言が言えないままで。






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