神隠しとドッペルのお化け

浮きつ沈みつ

 次に目を覚ました時、私はベッドの上に寝ているらしいことを把握しました。しばらく呻いていると、誰かの声がするので目を開きます。

 第一に見えたのは、心配そうに私の顔を覗き込むハルちゃんでした。

「ほたる?大丈夫?」

「あ、ええ、平気です」

「よかったぁ。先生呼んでくるね」

 そう言って彼女は席を立ち、カーテンを押しのけて出て行きます。そのカーテンがベッドをぐるり取り囲んでいること、消毒液みたいな匂いがしていることで、ここが保健室であるらしいことを知りました。

「ええと、私は…」

 ひどくぼんやりしていて、頭が回りません。最後の記憶は、確か、下校しようとして──。

 あ。

 意図せず、世にも恐ろしい光景を思い出してしまいました。

「──っ!」

 手を口にあてがって、叫び出したい衝動を必死に堪えます。

 ムリ!ほんとムリ!

 ああいうのはダメなんですよそりゃあいくら私が完全完璧な優等生でも無茶ってものですだってあんなのズルいですよ不意打ちじゃないですかそもそも物理法則を度外視したヤツはダメですとにかくムリなんです!

 声にならない叫びは胸中で誰に向けるでもない言い訳になってドカドカと走り回ります。ここで悲鳴を上げるのは私のプライドが許さないのです。負けてたまるもんですか。

 ああ、ハルちゃん早く帰ってきてぇ!

 苦しい時間は長く感じるといいますが、あれは全く真理です。人生の不条理であります。冷汗三斗、私は恐怖と闘い続け、必死に自分を宥めます。幸いにもそんなことをしているうちに目はすっかり醒めて、平素の思考速度を取り戻すことに成功しました。

 ふぅふぅ息を吐いて、胸に手をあてます。

 よしよし落ち着いてきた、私は良い子、こんなことで泣かない。

 ようやっと現実を認められたところで、ドアが開く音と二人ぶんの足音が聞こえました。

 泣きたい気持ちで待っているとカーテンが開いて、ハルちゃんが顔を覗かせました。隣には先生も立っています。

「浮舟さん、平気?」

「あ、はい」

 先生はこちらへ歩み寄って椅子に腰掛け、私のおでこや手首に指を添わせました。それから青色のリングファイルで何かを調べたりしてから、優しく微笑みます。

「トイレで倒れてるところを、晴原はるはらさんが見つけてくれたのよ」

「そうだったんですね…今、何時ですか?」

「六時過ぎ」

 ということは、あれから二時間近く眠っていたことになります。我ながら情けなく、ちょっと赤面してしまいました。

「診たところ特に異常はなさそうだけど、何かあったらすぐに言って。体調が戻らないようなら、いちど病院へ行った方がいいわ」

「わかりました。気をつけます」

 ベッドを降りてみると、体は全く平気でした。むしろ調子が良いくらいです。

 私は先生にお礼を言ってから、ハルちゃんと一緒に保健室を出ました。外はすっかり暗くなっていて、東の空が藍色の夜を連れてこようとしています。

「ハルちゃん、ありがとう。待っててくれたんですよね」

 靴を履き替えながら、私はハルちゃんに言いました。

 彼女はローファーの爪先をトントンやると、にっこり笑って首を振ります。

「いいよいいよ。それより、ほんとに大丈夫ー?」

「もう何ともありません」

「そっかぁ。それにしても、びっくりしたぁ。いきなり倒れちゃうんだもん」

「うぅ…お見苦しいところを」

「ぜーんぜん。寝顔は可愛かったよ」

 彼女は優しいのです。いつもそうやって私を安心させるのです。

 私は改めて、彼女と友達でいられることを嬉しく思います。きわめて自然な速度で笑い返すと、彼女が微かに頷いたのが判りました。

「それよりもさ」

「はい?」

 ──ハルちゃんは唐突にいたずらっぽい表情を浮かべて、私の肩に腕を回しました。

「ほたる、ずいぶんうなされてたけど、いったいどんな夢を見てたのかなぁ?」

 んん?

 いやまさか、そんな。

「夢…覚えてませんね。何も見ていなかったような気がします」

「ホントかなぁ?」

 彼女は酔っ払いみたく絡みつき、私をゆさゆさ揺すります。彼女のボブカットが夕風に甘く香ったのが判りました。なんだか嫌な予感がしますし、それが外れている気もしません。

 たっぷりと勿体つけた後で、彼女はにんまり笑って私のほっぺを人差し指で突きました。

「ずーっと、青井くん、青井くんって言ってたけど」

「──!」

 顔から火を噴きました。や、噴くわけないですけど。

 なんたる不覚!

「や、それはですね…」

「やっぱりさ、ほたると青井くんってそういう…」

「ち、違います!」

 ありえません。私は彼を軽蔑しているのです。あんなデリカシーもモラルも知らないような男性に特別な気持ちを抱くなんてことは、断じてありえない話です。

「お昼に話したでしょう。あれを、ちょっと考えすぎてただけです!」

 彼女は表情を動かさずに「ふぅん」と言って、私から離れました。

「そういうことにしといてあげる」

「事実です!」

「でも、ほたる」

「はい?」

「私、応援してるから」

「だから違いますって!」

 いくら私が弁解しようとも、彼女はのらりくらりと躱してしまいます。まったく、年頃の乙女はすぐにこうなんだから──なんて、自分のことを棚に上げて思うのでした。


 いつもより遅い帰宅を心配されながら夕食を済ませました。

 お風呂から上がってベッドに寝そべると、もう何をする気にもなれないのでした。疲れたなぁ。天井を見上げると欠伸が漏れて、視界が優しく歪みます。今日くらいは、ちょっとサボってもいいでしょう。

 私はスマホを手に取ると、ドッペルゲンガーについて調べ始めました。便利なもので、ちょっと検索をかけるだけでそれらしい情報が手に入ります。程なくして、私はドッペルゲンガーのあらましについて知りました。しかしそれは、私の既存の知識を覆すものではありませんでした。

 鏡の中に現れた、もう一人の私。

 どうやっても説明がつかない。物理学的に、あんなものは許されるのでしょうか。私の頭がおかしくなった?それとも私は、ひょっとすると未知なる現象の第一発見者に選ばれてしまったのでは?

 ぶんぶん首を振ります。落ち着け、私。

 あの存在の発生メカニズムはまったく理解できませんが、彼女が私に与えうる影響については、少し、考えることができます。

 まず第一に、私は早死にするでしょう。

 だからムリなんですよ。何回見ても見慣れる気ぃしないですもん。自分にびっくりするなんて間抜けなことですけど、ムリなものはムリなんです。あんなものを頻繁に見せられたら私の生命線なんてカッターナイフ前の鉛筆です。

 それから二つ目。

 考えたくもないことですが、もしも彼女が実体を持っているとしたら、私を、どうするでしょうか。「別に二人いてもいいじゃん」と言ってくれる優しい幽霊さんだったら好いですが、なんだかそれは想像できません。昔、本で読んだのです。ドッペルゲンガーに会ったら死ぬだとか、存在を乗っ取られるだとか。少なくとも物理的な干渉が可能である場合、私に危害を加える可能性だって大いにあります。

 あーあ、ムリ。ほんとに。

 細長く息を吐いたとき、窓辺で微笑む青井くんの姿を思い出しました。いやに詳細に、窓ガラスにもたれかかった彼の息遣いとか、気だるげな瞳とか、そんなところまで。ハルちゃんの攻撃がまだ効いているのかもしれません。や、私はまったくそんなつもりじゃないですよ?ほんとに、そんなことはないんですけど、へんに意識しちゃうじゃないですか。

 実は、ハルちゃんに嘘をついたのです。

 倒れている間に見た夢を、私は覚えていました。だけどそれを黙っていたのは勘違いされたくないからというよりも、ひどく切なくて悲しくて、口に出せば正夢になってしまいそうな夢だったからです。

 夢の中で、私は、青い花が見渡す限りの一面に群れ咲いた花畑にいました。どういうわけだか、花畑の真ん中にはベッドがポツネンと置いてあって、制服姿の私はそこに座り込んでいるのです。真っ白なシーツは清潔で、やはり花の甘い香りがしていました。柔らかな風が吹くたびに花々は小さく傾げて、桜が反対向きに散るような感じで、淡青色の花弁がひらりひらり空へ落ちます。

 夢の中だというのに眠たくて、私はぼんやりしていました。舞い上がる花びらを目で追いながら、うつらうつら、舟を漕ぎます。

 その時でした。遠くの丘に、青井くんの姿が見えたのです。ひどく遠いのに、それが青井くんだということはすぐに判りました。彼も制服を着ていて、ズボンのポケットに手を突っ込んで、どこか遠くを眺めていました。

 ──忘れられてしまう。

 彼を眺めて、なぜか私はそんな恐れに駆り立てられました。夢に合理性を求めるのも酷というものですが、まったく謎です。

 とにかく憔悴しきって裸足のままで駆け出しました。日頃なら決してしないことですが、幾つもの花を踏みつけにして必死に走ります。

 しかしながら走れども走れども、一向に近づけません。騙し絵の中にいるみたいで、いつまで経っても彼は遠くの空を仰いでいるばかりです。

 やがて目から涙が溢れてきて、私は立ち止まりました。

「青井くん…」

 でも彼は私に気づきません。

 私はとても悲しくなってしまって、その場にへたり込むとわんわん泣きました。この私が、恥も外聞もなく。

 夢はそこで終わりました。

 スマホを投げ出すと、私はでっかいマグロのぬいぐるみを抱きしめました。

「…ほんと、どうしようもない人ですね」

 彼があんなふうだから、私まで調子を狂わされているみたいです。


 翌日、私はいつもどおり一番に教室に着きました。朝の教室は静まり返っていて、なんだか不思議な匂いがします。自席の左側にある窓を開け放つと、爽やかな朝の微風が前髪を揺らしました。

 うん、今日は頑張れそう。

 私は気分を良くして、意気揚々と自習に取り掛かりました。

 そうして、五分ほどが経った頃。

「おはよ」

 教室後方の入り口から聞こえた声に、私は驚愕しました。

「あ、青井くん?どうしてここに」

「ひどいな」彼はこちらへ歩み寄りながら苦笑します。「僕らはクラスメイトじゃないか」

「いえ、まあそうですけど…どうしちゃったんです?」

 こんな朝早くに彼が来たことは、やはり不可思議なことでありましたが、それよりも、私は彼の吹っ切れたような清々しい表情に驚きを禁じ得ないのでした。いったい何があったのかしらん。

 彼は椅子に座りながら、意味ありげな深いため息を吐きました。通学鞄は机に置いたまま、じーっと私の目を覗き込んできます。柄にもなく恥ずかしくて視線を逸らしそうになります──が、ここで目を逸らすのはなんとなく悔しいです。私は痩せ我慢して無表情を貫きました。

 意地の悪い彼はたっぷり間をあけました。それから今度は彼の方が、ふいっと目を逸らします。

「僕はね、死んでしまうんだよ」

「えっ」

「どうしようもないんだ」

 そんな、まさか。

 訊ねる声が震えそうになるのが、自分でも判りました。

「病気なんですか?」

「いや、そうじゃない」

「じゃあ、なにかやむにやまれぬ事情が?」

「そうでもない」

「だったら──」

「生きとし生けるものは、みんな死ぬ。つまりそういうことだよ」

「何を当たり前の帰結で勿体ぶってるんですか、ぶん殴りますよ」

 まったく腹立たしい。そうやって、いつも私を困らせるのです。

 楽しんでいるのでしょうか、彼はくすくすと笑って、カバンを机に引っ掛けました。

「君は、この一年でずいぶんお口が悪くなったね」

「誰のせいですか、誰の」

「まあまあ。それでね、僕は気づいたんだよ。人生はいつか終わるものなんだって」

「はあ」

「だから、これからはもっと有意義な時間を過ごそうと思ってね」

 また世迷言を吐き散らかしているだけかとも思われましたが、彼の表情は至って自然、むしろ何かを悟ったかのような穏やかささえ感じさせます。

 私は露骨に訝しみました。

「…自己啓発本でも読んだんですか?」

「いいや」

「じゃあ、妙な映画でも観たんですね」

「それも違う。僕はね、昨日、科学者に会ったんだ」

「科学者?」

「ビーカーで湯を沸かしてコーヒーを淹れ、三角フラスコで酒を呷るような人だ。初めは僕も阿呆なんじゃないかと疑った。しかも彼の話は小難しくて、正直僕にはよく解らなかった。ただね、たった一つ、彼は僕の心に金言を投じた」

 私が首を傾げると、彼は気取った発音で「ボーイズ、ビィ、シィリアス」と言いました。

「ねえ、ところで、僕はこれを『少年よ、マジになれ』と訳しているんだけど、合ってる?」

「合ってますけど」

 それのどこが金言なんでしょう。週刊少年ジャンプの表紙とかスポーツドリンクのラベルに書いてありそうな、量産型爽やか系スローガンにしか聞こえないんですけど。

 疑問が顔に出ていたのかいなかったのか、私の顔を見て、彼はニヤリと意味ありげに笑ってみせます。

「そうか、よかった」

 それだけ呟くと、カバンへ手を伸ばして教科書を引っ張り出します。

 え、まさか。

 目を丸くしていると、彼は微笑みかけてきました。

「浮舟。よければ、僕に勉強を教えてくれないか」


 何も訊き出せないまま、私は彼に化学と英語を教えました。「有意義な時間を過ごそうと思う」という彼の言に偽りはないらしく、途中で投げ出すこともしませんでした。それが私には薄気味悪いことであって、昨日の恐怖体験を思い出したりもしました。

 しかしまあ、授業のやりがいはありました。彼は勉強をしないだけで、呑み込みは人一倍早いのです。日頃からやればいいのに。

 そのまま始業のチャイムが鳴って、午前の授業が過ぎていきます。

 そして迎えた昼休み、「浮舟、一緒に食べよう」と言ったのは青井くんでした。

 いつもどおりハルちゃんと一緒に食べようと思っていた私は面食らって、戸惑いました。

「あ、えっと」

「ダメ?」

「ダメじゃないですけど」

 らしくもなく、私は目を泳がせました。なんとなく面映ゆい感じがします。

 なんて答えればいいのか判んない。

 あれ、私ってこんな気弱でしたっけ?調子狂うなあ、もう。

 そこへやってきたのが伊藤くんでした。彼はトコトコと歩いてきて、「おう、凪、飯だぜ飯」と言いながら青井くんの隣を勝手に占拠し、コンビニのビニール袋をガサゴソやり始めました。私の視線に気づくと「あ、浮舟さんも居るんだ。やったね」と明るく言います。私は曖昧に笑って頷きました。

 いよいよ抜けるタイミングを見失いかけた時、背後から天使の声がします。

「あれぇ、ほたる、今日そっちなんだ」

「あ、ハルちゃん」

「ねえ、私もお邪魔していい?」

「大歓迎だよ」青井くんが答えます。

「ありがとー」

 ハルちゃんはニッコリ笑って、自分の椅子をガタガタと運んできました。

 あれぇ?

 いや、何もおかしいことはありません。私たちはクラスメイトですし、この四人は比較的懇ろな間柄にあると言えますから、一緒にご飯を食べることは、そんなに変なことじゃないんだけど。

 普段、青井くんは眠い目をしてカロリーメイトを貪り、ペットボトルの緑茶で流し込んでいます。その貧相な食事が済むと机に突っ伏して寝てしまうので、親しい伊藤くんもご飯に誘えないでいるのです。当然、私を誘うことだってありません。

 一人が変わるだけで、こんなに違ったことが起きるんだ。

 私がお弁当も出さずに感心していると、隣でハルちゃんが「食べないの?」と心配そうな顔をしました。

 いかんいかん。私としたことが、昨日のダメージが残っているのでしょうか。慌てて笑みを浮かべます。

 ハルちゃんがいるからか、青井くんは下品なことや奇想天外なことを口にせず、食事は穏やかに進みました。私たちは明後日に行われる数学の小テストを憂いたり、三年七組の美人に告白して玉砕したクラスメイトの話で盛り上がったりしました。

「──んで、あいつ今ストーカー化してるらしい」

「へぇ、見上げた根性だな」

「だろ。まあ俺も人から聞いたんだけど、量子論的には彼女が振り向く確率はゼロじゃないとかワケの解らんことを言ってるらしい。ほぼうわごとだ」

「あ、それ知ってる。この前、数学的にはゼロだって反論した三組の友達を川に突き落としたとか言ってたよ」

「バカなんですか?」

「ああ。恐ろしいレベルの阿呆だ」

「友達はどうなったん?」

「和解したらしいんだけど、なんか気まずい感じになってる」

「まじかあ。とても正気とは思えんよなぁ。あいつに言わせれば、彼女の観測が間違っているんだとか」

「どういう理屈?」

「詳しくは俺も知らんが、人間は複素数みたいなものの足し合わせで出来てるんだと。それでいうところの虚部はこの世に不都合な人格の側面で、人間はそいつらの総和が実数になるように、つまり虚部が無くなるようにバランスとってるらしい」

「ははあ、重症だね」

「そーだよなぁ。ちなみに、虚部をもった人格の一部はドッペルゲンガーになって出現するそうな」

「ドッペル…」

 思わず呟いて、箸を止めます。それに気づいたハルちゃんが、私の顔を覗き込みました。

「どしたの?」

「あ、いえ…」

 カフェオレをパックから啜っていた青井くんは私をじっと見つめます。日頃は見せない真剣な眼差しに私はたじろいでしまって、ついつい前髪を弄りました。

「何か怖いことでもあった?」

 彼は私のホラー嫌いを知っているのです。こういう時だけ察しがいいのですから、私はどんな顔をすればいいのか判らなくなります。

 ええい、白状してしまおう。

「わ、笑わないでくださいね?」

「もちろん」

 思い出すのも苦痛でしたが、ポツリポツリと、私は昨日のことを語りました。時間にすればあっという間の出来事だったのですから、話すのにも大して時間を要しませんでした。

 私の心配はまったくの杞憂だったらしく、誰も笑わず、真剣な表情で話を聞いてくれました。心労は誰かに吐露すると軽減されると聞きますが、あれは本当のようです。話しながら、私は胸が空くような、明け方の布団みたいな安心感を覚えました。

 話し終えると、真っ先に口を開いたのはハルちゃんでした。

「どうして昨日言ってくれなかったの、もー」

「ごめんなさい…あの、私も混乱してて」

 保健室の先生にも、とても言えませんでした。信じてくれるとも思えませんし、ともなれば、鏡像にびっくりして卒倒した間抜けな子だと思われてしまいます。それは私のプライドが許さないのです。

 青井くんは腕を組み、首を傾げます。

「しかし不思議だな。鏡の中に現れたもう一人の自分、か」

「学校の七不思議にそんなのあったっけ?」と伊藤くん。

「聞いたことない。ずっと付きまとってくる足音っていうやつなら知ってるが、あれは精神病だとする説が有力らしいし」

「なんじゃそりゃ」

「死ぬ気で勉強した割に赤点まみれで、将来に絶望した生徒が気を違えたのが始まりなんだとか。大昔の話さ」

 隣を見遣るとハルちゃんも口をへの字にして、真剣に悩んでくれているみたいでした。私は申し訳ないような情けないような、なんだか複雑な気分になってしまいました。

「ほたる、その後は何もなかったの?」

「はい。体も平気ですし」

「そっか。しかし、なんか心配だねぇ」

「あ、あの、こんなの解決のしようもないですし、私がちょっと疲れてただけかもしれないです。だからみんな、あんまり気にしないでください」

 逃げるように言うと、三人は了承しながらも口々に私を励ましてくれました。日頃の勢いはどこへやら、私は青井くんにすら感謝の念を抱きながら、やっぱり調子が狂っていることを自覚します。

 そのまま話題は転じ、伊藤くんが女子から受けた愛の告白に関するものになりました。その話に興じているうちに、私の憂いや弱気は意識の外へ流されていきました。






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