第18話 雪娘、学校に行く




 俺はいつもと同じ時間に目を覚ます。

 外はまだ日も昇っていないような暗い時間。

 けれど、俺の隣で寝ていたはずの、みこの姿は既になかった。



「……早すぎでしょ」



 俺でも多少の誤差こそあるものの、寝癖との戦いを控えているためにだいたい五時半ぐらいに起きる。

 それよりも早くに起きているとなると、きちんと寝ているのか心配になる。



「セイヤッ!」



 外からみこの声がする。

 一定のリズムで聴こえてくるみこの声は、何かを振るっているようだった。

 どうやら木刀を振っているみたいだ。俺の寝癖直しと同じように、早朝に木刀を振る習慣でもついているのだろう。



「さあ、今日こそ戦いに終止符を――!」



 俺は着物に着替えを済ませると、櫛を手に持って鏡の前に座る。

 頭巾を脱ぐと、そこにはいつものように力強く立っている毛髪の姿があった。

 まずはいつものように櫛で髪を梳かす。

 梳かさないと髪がボサボサになってしまい、ダラしない人に思われるからと、お母さんに強く言われるためにやるようになったのだ。



「……この寝癖、どうなってるんだろう?」

「由紀ちゃん、洗濯機回すから、洗うもの持ってきてくれる?」

「はーい」



 寝癖と大戦をしていると、優菜さんに呼ばれたので今日の戦いは終わりを迎えた。

 ――仕方ない。とりあえず今日は、引き分けってことにしておいてやる。



「惨敗でしょうに……」

「引き分けだもんっ!」



 むしろ何がどうなったら負け扱いになると言うんだ。あるのは『勝ち』か『引き分け』だけだ。

 この俺に、惨敗という二文字はない!



「まったく……同年代と比べて身体は小さい癖に、変な所で頑固なんだから。はい、これシーツね」



 お母さんからシーツを受け取ると、俺はそれを洗濯機が置いてある場所に居る優菜さんの元へと運んだ。



「じゃあ、洗濯機回してる間に朝食作っちゃいましょ」



 当然、いつものようにお母さんは朝食作りを手伝わない。みこさえ見ていなければ、どうでも良いとでも思っているのだろう。

 まあ、炊飯器にはお米も残っているし、鮭と味噌汁も昨日の残りがあるからおかずを一品作るだけだ。お母さんが手伝う必要は愚か、俺すらも手伝う必要はないだろう。




 ◆




 人間というのは忙しいもので、朝食を食べ終えると、すぐに学校へ行く準備をするのだ。

 学校指定のワイシャツと紺色の丈が長いサスペンダースカートは、いかにも田舎者ですと言っているようなデザインだ。

 この村の子供たちは、こんな田舎者感をアピールする制服を着る嵌めになっているとは……俺、人間じゃなくて良かった。



「いってきまーすっ!」

「いってらっしゃい。由紀ちゃん、みこちゃんのことお願いね」

「わかりました」



 俺は、みこと一緒に神社を出て、坂の方へと走って行く。みこの中には、歩いて登校するという思考がないようで、坂だろうと階段だろうと、関係なく走った。



「ぜぇぜぇ……」



 みこが走り続けている一方で、俺は体力が限界を迎えて、過呼吸になる。

 し、しぬっ……。ちょっと待って……。



「ゆきちゃん早く!」

「ちょっと待ってよ……」

「早くしないと遅刻しちゃうよ! これからは二倍の速度で行くよ!」



 お前は鬼か。

 下りならば兎も角、上りは進むのが遅いのだ。

 日頃から俺がダラダラとし過ぎている影響なのか。それともみこが体力馬鹿なだけなのか。

 どちらにせよ、俺の体力が向上しないことには、いずれ潰れてしまう。

 もし俺が人間だったら、不登校の原因になっていただろう。今世でもそこまで長時間走りたいとは思わない。そこそこの体力があれば十分なのだ。


 グータラな母とグータラな師匠を前にすれば、好き放題遊びたいと思うのが子供の心理である。

 まだ走り回ったりしていた分、体力がそこそこあったので、助かったのかもしれない。



「ここからは下り坂だから、頑張って」

「……うん」



 ここまで来てしまえば、こっちのものだ。下り坂……つまり、これが使える――!

 俺は、妖術でスノーボードのような物を作り、その上に乗る。



「一気に下りるよ」

「じゃあ、どっちが先に下りられるか、勝負だよ!」



 俺がスノーボードで滑り始めると、みこは坂を走って下り始めた。どう考えてもスノーボードで下る方が速いのだが、この小学二年生は俺に並行して走っている。

 氷でできたスノーボードは、非常に割れやすい。なのでスノーボードで滑る場所を凍らして、地面との摩擦を減らしつつ、速度上昇を狙う。



「いっちばーんっ!」



 それでも、みこには勝てなかったよ……。

 運動神経とか、一体どうなってるんだ?

 みこは、トップアスリートでも目指しているのだろうか?



「ゆきちゃん、アレが学校だよ」



 坂を下りれば、そこにはみこが指をさした三つの小屋がある。手前から順に、小学校、中学校、高校だったはずだ。前世のときは、小学生四人、中学生二人、高校生一人の合計七人の子供たちが通っていた。

 当然、俺は今学校に通っていない。なので人数は、前世の七人から一人引いた六人になる。



「おっはよーーーっ!!」



 みこは小屋の一つに近寄り、引き戸を開ける。それと同時に、みこは元気よく挨拶をした。

 だが、中からは誰一人として挨拶が返ってくることはなかった。

 ――なぜなら、中には誰も居なかったからだ。



「ありゃ?」



 ふと、黒板の上にある時計が目に入った。その時計の針は、七時半を指しており、俺たちがだいぶ早くに来てしまったことを告げていた。

 ――そういえば、みこの家は、俺が流された場所にあるんだったな。昨日の今日だし、いつもの時間に家を出ちゃったんだろうな。今日ぐらいは仕方ないか。

 ……でもお母さん、これぐらい先に言ってくれても良かったんじゃないか?



「あははっ……ちょっと早すぎたね。でも何かして遊んでれば、すぐに時間になるよ。ゆきちゃん、これで遊ぼ!」



 そう言ってみこが取り出したのは、二つの消しゴムだった。

 俺たちにとって、屋内での遊びと言えば、こういうものしかない。



「この消しゴムを弾いて、相手のを落とした方が勝ちね」



 最近ここで流行っているのか、消しピンブームが訪れているようだ。あのアウトドア代表みたいな性格をしているみこでさえ、やる気満々である。

 確かに小学二年生のときにこんなの流行っていた気がする。昔過ぎてあまり覚えてないがな。



 ◆



 消しピンで遊ぶこと三十分が経った。

 勝負は、八割がみこの自爆で決着が着き、何もしてないのに圧勝してしまったのだ。



「また負けたぁ! ぐぬぬぬっ……」

「いや、自爆じゃない?」



 ――そのとき、ガチャリと扉が開くような音が聴こえてきた。



「えっ? だれ?」

「あっ……」



 小学四年生の少女が俺のことを指さして訊いてきた。

 ヤバッ、姿見えないようにするの忘れてた。

 いや、今ならまだ間に合うはず――!



「ゆきちゃんだよ。あたしの友達なの」

「みこちゃんの?」

「うん! そうだよ!」



 あっ、ダメだ。みこがバラしやがった。

 普段から学校に行ってないんだから、変な目で見られてしまうし、お母さんが虐待でもしてるんじゃないかって疑われてしまう。

 くっ! 万事休すか――!



「みこちゃん。他の子入れちゃダメだよ。この子……ゆきちゃんだっけ? まだ小学生じゃないんだから、連れ出したら大人の人たちが心配しちゃうよ」



 ……あれ?



「えっー……いいじゃん別に」

「ダメよ。こんな小さな女の子に何かあったとき、怒られるの私なんだから」

「ケチっ」



 あれれぇー? おっかしぃーぞー?




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