枸櫞の君

山桜桃/ゆすら

枸櫞の君

 枸櫞くえんの君  


 この世に願いの果てる朝はなく、希望がついえる夜はなし


 かの大国の王子は十八を過ぎても妃を迎えずにいた。

 心にかなう乙女がいない、と王子は言った。

 父王は困り果て、国の外れに住む魔女をおとなった。

 魔女は王のおとないを知っていた。


 美しく着飾った魔女は父王に問いかけた。

「王子は真実、妻を迎える事を望んでいますか」

 魔女の問いに父王は答える事ができなかった。

「この望みは王子が願って初めて叶う物」

「もし王子に妻が必要なのであれば王子一人で、自らここにおいでを」

 そう告げると魔女は館に戻り、ぴたりとその扉と門扉を閉じてしまった。


 父王は城に戻り王子に魔女の言葉を伝えた。

「父上、私は妻を望んではいません」

 王子の言葉に落胆する父王を見て、王子は言葉を足した。

「私が望んでいるのは運命です」

「見た時から心震え、生涯共にありたいと願う相手」

「艱難辛苦を乗り越えても側に置きたい」

「そんな乙女が望みです」


 父王はその言葉に喜んで王子に馬と剣を与えた。

 王子は一人で魔女の住む館へ向かった。

 その途中、一頭の獅子が現れた。

 王子は獅子に肉を分け与えた。

 獅子は喜んで王子に託宣を与えた。

「やがて汝は王権を得よう」


 王子は山を越えた。


 次に王子の前に現れたのは羚羊だった。

 王子は羚羊にパンを分け与えた。

 羚羊は喜んで王子に託宣を与えた。

「やがて汝は子を得よう」


 王子は草原を越えた。


 最後に現れたのはからすだった。

 王子は烏にワインを分け与えた。

 烏はワインを飲まなかった。

 ワインを眺めた後、烏が告げた。

「汝は得る物のために血を流す」


 烏が飛び立った後、王子は魔女の住む森に入った。


「王子の望みを叶える物を差し上げましよう」

 魔女が取り出したのは三つの枸櫞の果実だった。

「これは誓約の島に実る枸櫞です」

 魔女は王に枸櫞を手渡した。

「これを泉の傍らで銀のナイフで切りなさい。そうすれば望みを得られるでしょう」

 王子は三つの枸櫞を受け取った。


 魔女は最後に告げた。

「泉の傍らに行くまで決して枸櫞を切らぬ事」

「そして、望みの物が出て来るまで、水を与えてはならない」


 王子は来た道を戻り始めた。

 城までの道程の中程にある泉で一休みをした王子は枸櫞の一つを手に取った。

 銀のナイフで枸櫞の一つを割くと中から美しい乙女が姿を現した。

 王子は水を与えようとしたが、乙女の顔を見て手が止まった。

 ――随分と幼い。

 枸櫞の乙女は十を過ぎたばかりの姿に見えた。

 ――まだ、子供だ。

 王子が迷っている間に枸櫞の乙女は砂が崩れるように消えた。


 王子は再び城に向かって進んだ。

 城の手前の泉で再び休んだ王子は今ひとたび枸櫞の果実を割いた。

 出てきたのは先ほどの乙女が成長した姿だった。

 年の頃は王子とおなじ程に見えた。

 王子は乙女に水を与えた。

 枸櫞の乙女は王子の妻となった。


 枸櫞の乙女が王子の妻となって数年が過ぎた時、城に客が訪れた。

「私は国の外れの魔女に縁の者。どうぞ一晩の宿を頼みます」

 客は若い男の魔術師だった。

 王子はその若い魔術師を城に招き入れた。

 その日の夕食に王子はワインをすすめたが魔術師は飲まなかった。


 翌朝、魔術師は泊まった部屋から姿を消した。

 代わりに王子の部屋に烏が現れた。

 烏は王子の部屋にあった、魔女の贈り物の、最後の枸櫞を足につかんだ。

「この枸櫞は本来私が受け取るべきはずだった物」

「魔女は私との約束を違えてこれを貴方に渡してしまった」

「故に、私はこの枸櫞を持ち帰る」

 そう告げると烏は枸櫞の実をつかんで飛び去ってしまった。

 烏が城から枸櫞を持ち去ると、王子の妻である乙女の姿も消えた。


 王子は再び国の外れの、魔女の元を訪れた。

 魔女は言った。

「貴方は戦う事で再びあの枸櫞を取り戻さなければならない」

「なぜ貴方は烏のための枸櫞を私に渡したのか」

「それが汝の願いであったからだ」

 魔女は告げた。

「艱難辛苦を乗り越えても側に置きたいと願う乙女。それが望みであっただろう」


 魔女の言葉に王子は自分の願いの浅はかさを呪った。

 しかし王子は枸櫞の乙女なしでは生きていられるとは思えなかった。

 王子は剣を手に魔術師を追いかけた。


 王子は傷だらけになりながら剣の山を越え、もがきながら毒の川を渡った。

 蛮族と戦い、時に獣と争いもした。

 この世の多くの痛みと苦しみを味わった後、王子は魔術師の元に辿り着いた。


 魔術師はまず炎に姿を変えた。

 王子はひるまずその熱に耐えた。


 次の魔術師は氷になった。

 王子は凍える寒さにも動じなかった。


 魔術師が姿を変える物全てと王子は対峙した。

 最後に魔術師は烏になった。

 そして枸櫞を持って去ろうとした。


 王子は弓をつがえ、烏を射落とした。

 最後の枸櫞が再び王子の手に戻った。


 王子は城に戻り、泉のほとりで最後の枸櫞を割いた。


「我が君」

 現れたのは王子の妻だった。

 王子は妻に水を与えた。


「我は永久とこしえに汝が物」

 乙女が王子に誓った。

「我は永久に汝が物」

 王子が乙女に誓った。


 やがて王子は妻との間に子供を得、そして父王の後を継いで王となった。

 美しい枸櫞の乙女は城の庭に枸櫞を植えた。

 それ以後、かの大国では夫と妻は二つに割った枸櫞を食べて永遠を誓う事となった。


 この世に願いの果てる朝はなく、希望がついえる夜はなし


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枸櫞の君 山桜桃/ゆすら @yusula

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