9 このいとしき子ら
それから数年。クレイオが押し通した方針は、今はしっかりと光明を捉えていた。
彼が仕立ててネコに渡した試作品は、確かに当初の目的に照らせば失敗作だった。しかし、それはそれで用途があるのである。ネコ――あの、ツンと澄ましていながら実は興味を抑えることが苦手な少年が好みそうなものは、クレイオには簡単に予測がついた。そうして提案されたのが二丁拳銃である。
彼がネコ向けに仕上げたそれを、ネコは「ありがと」とだけ言って受け取った。その後ネコがそれを箱から出しているところをクレイオは見ていない。それはネコが、一度出したそれを二度と箱にしまわなかったからだ。彼には彼の、大事なもの置き場がある。
そしてクレイオは数ヶ月後のある晩、ネコがアスタルテについていて留守のときを見計らい、その「大事なもの置き場」に忍び込むと、仕込んでおいたマイクロチップをこっそり抜き取った。蓄積されているのは、その回路に通った立派な(ネコではあるが、そう、立派な)ジオエレメンツの能力のデータである。クレイオが期待した倍は入っていた。
クレイオはそのデータを解析し、ひとつの理論をまとめあげた。後にバベル・フォーミュラと呼ばれたそれは、キャリアでないものがジオエレメンツの力の淵源に触れ、それを引き出す方法について、ひとつの重要な示唆を世界にもたらすものであった。
マイクロチップのことをクレイオから聞いたとき、ネコは渋い顔をした。自分が利用されているなどとは夢にも思っていなかったし、あのとき「利用されるのは嫌だ」と言った気もするし。けれども、ネコが漏らしたその不満にクレイオはにんまり笑って答えた。「だって僕はあの時『まだ仕事中だ』と言ったよ」と。
そうだった。ネコにあのコアモジュールを見せたとき、彼は確かに「仕事中」と言ったのだ。その直後帰宅したのだから、彼がその日残していた仕事といえばネコへの提案しかなかったはずなのである。それに気付かなかったのは自分だ。ネコはがっくりと項垂れると以後の協力を約束した。そして今に至っている。
そうして仕上がった第三試作品の実験段階で、アスタルテはとうとう実戦の敵役を演じることになった。
効果測定のための実験に非協力的な態度を貫くのは、組織の一員としてはそろそろ限界という頃合いであった。このため彼女は、今回の試作品の動力源が人間にとってもジオエレメンツにとっても特段「非人道的」とは言えないものであることを確かめ、ようやく首を縦に振った。
そうして彼女はその日テストルームに、研究員としてではなく、仮想敵として踏み込んだ。
テストルームは広い。天井は研究フロア二階層分をぶち抜いたくらいの高さにあり、壁の一面にだけは見上げた位置に、強化ガラスで仕切られた観察室があるが、それ以外は床も壁も分厚く丈夫な材質で囲まれている。建材が何かはよくわからないが、継ぎ目も見えなかった。多少の凹みや汚れはあるが、大きな補修をしたことはなさそうだ。その理由が、単にあまり使われていないだけなのか、それとも丈夫さがゆえなのかはアスタルテにはよくわからなかった。他の班の実験状況にはあまり関心がなかったからだ。
照明のついていないテストルームからは、観察室が少しだけ明るく見える。あの部屋そのものも室内灯は落とされていて、光を放っているのは設置されたデータ採取や分析のための機器類だけだ。しかし、それだけの光量があればアスタルテには十分である。
テストの相手がまだ沈黙を保っている状態でも、彼女は姿をはっきり捉えることができる。先に入室していた相手は、それが人間であるならば、まだアスタルテが近づいてきていることにしばらくは気がつけないはずだ。人間とキャリアの認識力の差は歴然としている。
アスタルテは相手まで三、四歩のところで立ち止まった。今日の目的は撃破ではなくデータの採取である。要するに、いわゆる「本気の戦い」ではないから、アスタルテはちょっと動きやすい程度のいつもとほとんど変わらない軽装で臨んだ。しかし、立ち止まったところから改めて相手を見てみれば、全身を覆った防護服のせいでその顔は見えなかった。今回の試作品、最初から数えると三つ目の試作品を右手に下げたまま、なんとなく落ち着きがない。体格は彼女より少ししっかりしている程度であり、おおかた同僚か、そうでなくても他の班から借りてきた人員だろうと思えた。ということは要するに素人なのだが、それなりの防御はしているから、アスタルテさえ気をつけてやれば変に怪我をさせることもないだろう。
アスタルテは手を挙げた。準備ができた合図だ。クレイオが観察室のガラスの向こうで応じたのを確認し、彼女は無言でネコを呼んだ。「来い」ではなく、「力を貸せ」と。
ネコはクレイオの隣から動きはしなかった。しかし主の命令にはきちんと従っている。ふたりしかいない密閉された室内で、動いてもいないアスタルテの髪がふわりと揺れた。空気が彼女の周りで渦巻いている。彼女が契ったジオエレメンツの性質がそうであるから。
じわりと部屋が明るくなり、開始の合図が点滅した。相手は顔を上げ、その点滅した灯りを見、それから手元を見る。試作品が徐々に光を放ち始め、その持ち主の顔を覆い隠しているシールドにも映った。
アスタルテはわずかに後ずさった。なんとなく背中がざわついた。そんな本能的恐怖をキャリアである彼女が感じるのならば、第三の試作品は多分、最低のハードルはクリアしている。しかし実証しなければいけない本題はこの先である。
相手は動かない。手にある試作品は過去に開発の頓挫したものの予備パーツを流用していたから、その形は第一試作品によく似ている。古い映画に出てくる架空の剣。それを相手は少し俯いて見ている。途方に暮れているようにも見えた。
まあそうだろうな、とアスタルテは思った。いきなり武器を渡されて、さあ戦ってみろと言われてまともに動ける人間などそうそういない。相手がよく知る顔であれば尚更だ。
アスタルテは口を開いた。
「手加減無用でかかってきてもらったほうが早く終わるので。私のほうは大丈夫なので、お願いします」
「わかっているけど」
少年の声だ。アスタルテは怪訝な顔をし、尋ねた。
「あなた、誰?」
少年は黙っている。アスタルテはため息をついた。おおかた、このために雇った素人だ。自分たちは怪我など絶対にしたくないということなのだろう。それはまあ理解できるが、せっかく雇うのならそれなりの経験のある者にすればいいのに、給金をけちったのか——ああいや、「誰でも使える」ことを実証するならこちらのほうがいいのか。
少年は答えず、動こうともしなかった。アスタルテは腰に両手を置き、少し首を傾げてみせた。
「このままじっとしていても終わらないわよ」
「わかってる」
「人を傷つけるのはつらいかもしれないけど、それはあなたの雇い主が問題なのであって、あなた自身は何も気にしないでいいのよ。私はこういうの慣れていて、大丈夫だから。早く終わって、早く家に帰りましょ。私も帰りたいのよ」
アスタルテは苦笑まじりに言った。しかし少年の反応は彼女が促した打ち解けたものでは全くなかった。
「帰る?」
「そう。あなたはここで思い切り気楽にチャンバラをして、あそこの人たちが満足したらお金をもらって帰る。それだけのことよ。私はあなたの名前も知らない。あなたも私の名前を知らない。人を傷つけたって後腐れなんかないし、なんでもないこと」
観察室を指し示したアスタルテの前で、防護服に身を包んだ少年は総毛だった。
少年は戦災孤児であった。キャリアの投入された戦場で、彼は全てを失くした。
アスタルテの言葉は、彼にとってあらゆるキャリアの、あらゆる敵の、彼から全てを奪った者の、彼への
観察室のあらゆるセンサーが、突然針を跳ね上げた。
少年の手にある刃が脈打っている。アスタルテは目を見開いた。
--
緊急事態を報せるアラームが鳴り響き、観察室のガラスには防護シャッターが降りた。
クレイオが大声を上げ、走り出ようとして研究員に取り押さえられた。ネコはその彼を捨て置き部屋を走り出、アスタルテのいる区画へ向かった。
アスタルテは無事だ。自分がこうして生きているのだから。しかし間違いなく消耗している。はやく救出しなければならない。ネコはテストルームの分厚い扉を、あのマイクロチップの仕込まれていた銃でぶち抜き、踏み込んだ。
アスタルテは酷く負傷しているが、生きている。彼女は顎からぼたぼたと血を滴らせながら膝をつき、出血の比較的少ない右腕だけで、横たわった少年に蘇生措置を試みていた。防護服を切り裂かれた少年は、今は顔が見える。ネコはアスタルテの後ろに立った。
「アスタルテ。もう生きてない」
「そんなはずない。一瞬だけだったの。彼が激昂してびっくりして、私本当に油断していてただ身を守ろうと、でも本当にその……その一瞬だけだったから……」
措置を続けようとするアスタルテを、ネコは強引に少年の体から引き剥がした。
「その一瞬で死んだ。太い動脈が何箇所も切れてる」
アスタルテは信じられないという顔でネコを見、それからゆっくりと周りを見回した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます