8 アスタルテ

「アスタルテ」、シリアルナンバーとして「Wi-02083-f」を割り振られたキャリアは、戦線にほど近い某国郊外の製造工場で、完成体となった直後に廃棄が決定された個体だった。


 彼女の情動値は基準を上回っており、それはオーナーの操作性を悪くする品質上の悪事情である。しかし彼女の廃棄処分決定は、そんな値を調べるまでもなく下された。

 キャリアは兵器という商品であるから、作りそして売る側からすれば、きちんと損耗し、買い替えの要が発生してもらわなければならない。だからキャリアは一代限り、生殖機能はあってはならない。そしてこの縛りは別の意味でも、キャリアの流通を簡単にした。

 代を重ねればどんな変異が現れるかもわからないし、そんな変異種は人間オーナーがコントロールできるとも限らない。商品は人間がコントロールできるものでなければならない。だからキャリアに次世代を作る能力は要らない。そうして人間がコントロールできる以上、それを人間と認める必要はない。キャリアはあくまで、ヒトをベースに開発されたというだけの、ヒトではない別の種である。そういうことにされている。

 こうしてキャリアは、一代限りの人工物であることを条件に、公にも売買の対象とすることを許された。逆に言えば、生殖機能が先祖返りで現れた場合、それは公的にはキャリアには分類できない。かといって人間でもない。

 つまり、存在してはならないものだ。

 

 彼女はそうした意味で、市場に出せる商品ではなかった。そのため彼女は販売ラインには乗らず、かといってもちろん解放されることもなく、「最初から生まれなかったことにするための場所」に移送されることになった。

 しかし、その移送を待つ間、彼女を作った工場はどこかからの攻撃を受けた。その工場の製品はある国が開発に協力し、仕上がったものもその国がまるごと買い取っていたから、おおかたその国と敵対するどこか別の国の勢力である。

 こんなことはよくある話で、リスク回避のため生産ラインはダミーも含めて各地に散らばっていたから、製造者からしてみれば想定の範囲内、大した損害にもならなかった。

 最初の検品に合格後、情動値のチェックをクリアし、初期学習を終えて命令に従うことを学んだ商品たちは、燃え盛る工場から一歩も出なかった。これで機密は全て燃え尽きるはずだった。

 だが、検品に落ち廃棄待ちだったキャリアたちは逃げた。その中にアスタルテもいた。


 工場はもともとほぼ無人だったので、そのエリアには経済的な恩恵は何もなく、外の治安はよくなかった。奇しくも、逃亡者には暮らしやすい環境であった。

 しかし工場の責任者は周辺住民に懸賞金を出して、逃亡したキャリアを回収していった。生死は問われず、近隣は狩場となった。

 逃亡キャリアは簡単に捕獲された。彼らは人間よりもずっと優れた身体能力を持つが、なにせろくな教育も受けていないし、何より人間に紛れにくいのだ。目の色はそのために人間とは違うものに設定されたし、体にシリアルナンバーも刻まれていた。集団に囲まれてしまえばひとたまりもなかった。絶命した彼らからはシリアルナンバーの刻まれた部位だけが切除され、懸賞金と換えられた。

 単独行動を好み身軽だったアスタルテも幾度となく銃撃を受けた。もっとも、彼女も不良品とはいえキャリアである。体の損傷を早く回復する因子は備えている。回復が追いつかないほど多数の損傷を生じない限り、彼女は逃げ続けた。

 体に銃弾がいくつも残った。取り除く前に傷が閉じてしまったからだ。そうした銃弾から溶け出した成分は、彼女の気づかないところでじわじわと彼女の体を蝕んだ。


 ある日の夜も更けた頃、アスタルテは目抜き通りを少し奥へ逸れた道沿いで、隠れていた建物の隙間から顔を出して人通りがなくなったのを確認し、食べるものを探そうと踏み出した。その瞬間、彼女は背後から銃撃を受けた。

 いつもならまだ動ける。二、三人の追手なら撒けるくらいに。その程度の傷のはずだったのに、出血が止まらない。彼女は倒れた。うめきながら必死で振り向き、視界の端に自分を撃った男を捉えた。


 白髪の青年であった。彼は硝煙の立ち上る銃を震える手で構えたままだったが、アスタルテと目が合うと息を飲んだ。

 それから彼は深呼吸をし銃を投げ捨てると、薄れる意識の中怪訝な目で彼を見ているアスタルテを抱え上げ、周囲を見回してから、裏ぶれた医療施設へ向かった。


---



 薄汚れた天井をぼんやりと見上げ、アスタルテは部屋の隅で話をしている二人の男の声に耳を傾けた。内容は今ひとつ分からなかったが、争っている様子はない。

 自分を運び込んだ男もここの者も、最初に撃たれたのを除けば自分に危害を加えようとしたことはない。今は目さえ離している。懸賞金目当てなら危険なだけで、無駄な行為だ。ならばここは自分にとって、一応は安全なところなのだろう——彼女はそう判断し、声を拾うのをやめて目を閉じた。


 その後、何日眠っていたか分からない。目を覚まし、起き上がろうとすると身体中が痛んだ。しかし不思議と不快ではない。枕に頭を預け直し、腕を上げる。包帯が巻かれている。たしか、近くで破裂した散弾を取り除けないままになっていたところだ。

 そうして身体中の治療の跡を確かめていると、ベッドサイドの窓から光が差し込んだ。隣の建物は薄汚れたコンクリートで、ここの窓からは手を伸ばせば届いてしまう距離だ。雲の晴れ間から、そんな僅かな隙間を縫って入ってきた光はほとんど垂直で、彼女の顔にまでは届かない。

 それでも彼女は身をよじった。明るいところにはいたくない。ここは安全だとは思っていたが、やはり光からは隠れたかった。

 彼女は薄い布団を頭まで引き上げるとその中で膝を抱えて丸まったが、ドアの開く音に布団の端をそっと持ち上げると外の様子を窺った。


 かたん、と音がした。ベッドサイドの台に、傷やへこみだらけでもはや光沢もなにもない銀色の器が置かれていた。中にも金属でできたものがいくつか入っているようで、それらはでこぼこした器の底に当たり、落ち着くまで小さな音を立てていた。

 彼女は布団をそろりと目の高さまで下ろし、部屋の中を見、それからゆっくり起き上がった。

 器の中を覗き込む。これは多分、自分の体から取り出されたものだ。これで全部ではないはずだが、そう思いながら彼女は顔を上げた。それを持ってきた男が立っている。彼女を撃った男だ。

 工場で見た、廃棄待ちの男性キャリアを思い出す。一致する顔はない。目も紫ではない。この人間は、自分を助けた。アスタルテは怪訝な顔で彼を見つめた。彼はアスタルテの視線が自分を捉えたのを確認し、すぐに深々と頭を下げた。

「今回は大変なことをしてしまって。お詫びにもならないと思うけど、僕の分の治療と合わせて、取れる限りの弾は取ってもらっています」

「あなたは誰ですか」

 青年は顔を上げ、ちょっと待って、と言いながら壁にたてかけられていたパイプ椅子を持って来て広げた。錆び付いたような音がした。その座面を示す。

「見下ろしながらしゃべりたくないから座っていい?」

「構いません」

「ありがとう」


 青年が腰を下ろす。金属が軋む音。

「僕はクレイオ。先週きみを後ろから撃った」

 そう言ってクレイオは右手を差し出した。アスタルテはそれを見下ろし、眉を顰めた。

「覚えています。この手は?」

「やっぱり、自分を撃った人間とそう簡単に握手なんかしたくないか」

「この手は私に何か要求するものですか」

 クレイオは一瞬呆れた顔をしたが、すぐ得心して椅子をベッドに寄せ、掛け直した。そして彼は説明した。これは握手を求める手、そして握手とはどういうものか。

 

 アスタルテは真面目に聞いてはいたが、今ひとつ理解は進まなかった。単独行動であったがためにここまで生き延びたアスタルテは、他人との円滑なコミュニケーションをほとんどと言っていいほど学んでいない。

 回復を待ちながら、クレイオは毎日ベッドサイドに座って彼女と話をした。自分はどこからきた難民で、この医療施設で助手のような仕事をしている、最近医薬品の盗難が多かったので警戒していたが銃は威嚇にしか使うつもりはなかった、あまりの自分の腕の悪さに空恐ろしくなったのでもう銃は持ちたくない。

 そんな善良なことばかり彼はつらつらと話した。アスタルテが彼に好意を寄せるのに十分なくらいには。

 彼女はこの世に生を受けて初めて、自分を破壊するつもりのない人間に出会った。彼の話の内容は、彼女の役に立つような話はほとんどなかったけれども、彼女はそれを聞くのが毎日の楽しみだった。

 傷が治るまでの数日に、彼女は笑うことを覚えた。喜ぶことも、怒ることも、悲しむことも。仕事がひと段落して彼が部屋に来るのを待ち侘びるようになった。いつもの時間に来ないと、なんとも説明できない嫌な感覚に陥った。それを「寂しさ」と言うのだとも教えてもらった。


 

 数日後、彼女はベッドを出た。解いた包帯の下にはもう傷跡もなかった。

 ここを出るとまた、逃げ続ける日々だ。でも残ることはできない。自分を探しに人が来る。それはここの人々の迷惑になる。

 なのに、クレイオは何の躊躇もせずに「自分と一緒に来たらいい」と申し出た。アスタルテは面食らったが、この施設が解散となりクレイオも移住するつもりであることを聞いて納得した。アスタルテが住民登録されていないのは当然だが、クレイオたちもまた不法移民であった。

 それからまもなく、彼らは夫婦の契りを結んだ。


 ふたりがその居心地の悪い国を捨て、移民の集まる国——今の場所へやってきたのは、アスタルテの妊娠が判明して二ヶ月後、今からおよそ五年前のことだった。

 彼女がネコと契約をしたのもその頃である。そうして自分と、子どもと、そしてネコとの三つの命を抱えた彼女は、バベルの医療施設でそのひとつを産み落とし、母になった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る