6 URP //the ultima ratio project;

 その日の会議はずいぶん長引き、クレイオはぐったりした顔で研究室に戻ってきた。

 はじめネコが来たときにアスタルテしかいなかったのは、ちょうど昼時だったからだ。この部屋をあてがわれている部署には、クレイオやアスタルテを入れると両手の指でぎりぎり足りないくらいの人間が配属されている。その誰もが勤務している今は、部屋には煌々と明かりが灯され、研究員たちは壁に向かって配された各々のディスプレイを睨んだり何か打ち込んだりしていた。話し声はほとんどない。指先が硬いものを叩く音だけ。

 その中に不意に扉の開く音が混じると、ほとんどの者が手を止めて振り返った。この部屋の長の帰還である。


 クレイオは椅子を引いて腰掛け、天を仰いで目を閉じた。振り返った面々はそんな彼を見つめている。何かしらの報告なり指示なりがあるだろうと待っていた彼らの期待は十数秒で裏切られた。クレイオは大きなため息をついただけで、立ち上がると言った。

「詳しいことは明日話す。今日はもう僕は帰るから皆も上がれる人から上がって。お疲れ」

 アスタルテは眉を顰めた。いつもならどれだけ時間がなくても疲れていても、彼は周囲の者を消化不良にするようなことはしない。

「主任」

 アスタルテの声には少しだけ、見とがめるような気配があった。しかしクレイオはそれに肩をすくめるだけの返事をし、そそくさと部屋を出た。

 そうして彼は少し離れたところにある、別班の研究室に寄って小さな箱を受け取ってから、託児室のある階へ向かった。



 クレイオが入室したのを目ざとく見つけたケレトを脚にまとわりつかせ、その頭を撫でながら、クレイオは「ネコくんは?」と息子に尋ねた。

「いるよ。あっち」

「そう。お父さんは少し話があるからケレトはここで待っててくれる」

「わかった」

 素直に頷いた少年は壁際で腰を下ろし、それに微笑んでからクレイオは奥に向かった。


 暗い色のガラスの壁で仕切られた向こうには、手前とは違い絨毯はひかれていない。窓際にベンチが置かれ、それから広いテーブルと椅子。灯りは手前の部屋から壁越しに滲むものと、窓の外からのものだけで薄暗い。

 ベンチの横には、壊れた玩具がこんもりと積まれている。預けられている年少の子どもたちが遊ぶうちに壊してしまったもので、捨てられずに置いてあるのはネコや少し歳の行った子どもたちの暇潰しのためだ。パーツを選んで元のとおりに、あるいは全く新しい形に組み直したり。

 ベンチでそうした遊びをしているネコは、彼の頭に比べると少し大振りのヘッドホンをしている。どれだけの音量で聞いているのか疑いたくなるほどの音が漏れてきていたが、それでも彼は機敏に来客を察知し、そのヘッドホンを外した。

 クレイオはネコの前まで歩いて行くと、精が出るねと笑いながら向かいの床にあぐらをかいた。ネコは訝しげに首を傾げた。

「どうしたの。いつもより早くない?」

「まだ仕事中だよ。きみに話があってね」

「俺に」

 そう、と呟きながらクレイオは、取り出したアルミの箱を少年の前に置いた。角を黒いラバーで保護したその箱に目を落とし、ネコは眉を顰めた。

「何」

「URPの第一試作品」

「でも第一も第二も失敗だったでしょ」

「そう。だからもらえた」

 そして、と続けながらクレイオは箱を開けた。

 収まっていたのは精緻な機械だ。一見するだけで分かる。外箱よりふたまわり以上小さい、手のひらに乗ってしまうくらいの立方体の筐体。黒い金属質のそれは、ところどころから細いケーブルの束が出て、その先は裏側へと向かっていた。


 しげしげと上から、横からと視点を変えて眺め見つめるネコの様子を見、クレイオは箱を一度引き取ると、中身をネコの前で取り上げ、裏返してみせた。

 そこにはガラスの半球がある。中は暗く、何も入っていない。だからそれを敢えてガラスで保護している理由は、ネコにはよくわからなかった。

 さわっていいよと言うクレイオの言葉に甘え、ネコは人差し指でそのドームをつついた。刹那、ぞわ、とケーブルがさざめき、薄い翡翠色の光が、波に乗った夜光虫のように伝って消えていった。

「なんなの、これ。虫?」

「いや、人工だよ」

「なのに『失敗』? 成功してるんじゃないの」

 彼の意図が掴めない。ネコはため息をついて肩をすくめた。

「ダメなんだ。なんというか、例えるならば適切な燃料がないんだよ。要するに僕らの使えるものにはならなかったから、きみにあげる」

「要らないよ、使うところないし」

「確かに必要はないかもね」

 クレイオは苦笑いしながら箱の中に手を差し入れると、小さく畳まれた紙切れを取り出した。かなり縮小印刷されているため細かなところは潰れてしまっているが、どうやら魔法陣のようだった。それは当代では、ネコをはじめとするジオエレメンツを呼び出すために使われている。正確にはその道具のうちのひとつ。


「これは第一試作品のコアモジュールなんだけどね。あのプロジェクトは、きみたちの力をお裾分けしてもらうという方針で開発されたんだ」

「お裾分け」

「そう。キャリアとやり合おうとするなら、まず彼らに近づくところからだからね。そこで、ジオエレメンツどうしが直接争いたがらない、っていうのを利用させてもらおうとしたわけ。僕らの認識では、そういう接触では力の相殺が起きる。その相殺をある種のシールドとして実装したかった」

「それは俺にはよくわからないけど……なんていうか。あんまり近寄りたくないなって思うだけで……」

「失礼ながらその辺の、きみらにとっての理由は、僕ら人間には大事ではないんだよ。ただその事象そのものを利用させてもらえたらよかったんだけど、失敗した」

「どうして」

「協力者がいなかったからさ」

 この国には協力できる存在はきみのほかにないしね、と。クレイオは笑った。

「そしてきみは協力したくはないだろ」

「……そりゃね。利用されるだけなら楽しくもないし。第一俺はもうアスタルテに協力してるし。これ以上誰かに使われたいとは思わない」

「きっと誰もがそうだよ。だからこのコアモジュールは今は用なし。君なら何かに使えるかもしれないから持っててもらおうと思っただけ」

「俺はこれだけもらってもどうしようもないんだけど」

「もちろん、ちゃんと何かの形に仕立てるさ。第一、第二の試作品はそういう、ちょっと生体臭い構造だったから、バランスを考えてオスメスのペアが作られてるんだよね。だからそれも実はもうひとつあって……そうだな。二丁拳銃とかどう? 好きそう」

「好き。でも」

「これは僕の単なる知的自己満足だよ。どうぞご遠慮なさらずに」

「……ありがとう」


 決まりだ、とクレイオは膝を叩いた。それから立ち上がったクレイオを見上げ、ネコはふと引っ掛かりを覚え、口を開いた。

「第二試作品は」

 不意に険しい表情になったクレイオを見て、彼はしまった、と思った。けれどもクレイオは答えた。視線は窓の外。

「あれは第一試作品のダメなところを、僕には到底受け入れられない方法でフォローしようとした。僕はどうしても嫌だったから開発には関わってなくて、詳しいことは知らないけど、押しつけられたアスタルテも研究室の引き出しに放り込んだままのはず」

「何がそんなに嫌だったの」

「非人道的に過ぎる。理解しがたい」

「どういうこと」

 あれは、と呟きクレイオは目を伏せた。

「あれは呼び出したジオエレメンツを永久機関として閉じ込め、それで初めて完結する。利用されたジオエレメンツは二度と自由にならない。それでこそUR、最後の手段ウルティマ=ラティオだと連中はニヤついてた。僕はあんなふうには、なれない」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る