第6話 都立麗園学園

2026年 四月六日 月曜日




「それじゃあ母さん、行ってくるよ」




 朝七時半、誠は高校の制服を着て玄関で見送る母に挨拶をしていた。


 少し大き目の肩掛け鞄には勉強道具とアモンが入っている。




「大丈夫? 忘れ物は無い? お弁当は持った? 教科書とかハンカチとか財布とか──」




「だ、大丈夫だよ母さん、ちゃんと昨日も寝る前に確認したじゃないか」




「そうだけど……お母さん心配だわ」




「大丈夫、心配しないで母さん。 一人でもきちんとやれるよ」




 そう語る誠の目には、一瞬だが言葉を信じさせる覚悟の様なものが垣間見えた。


 実際今日からは母と離れて暮らすことになるので、一人で生きていけないと大変困る事になるのだが。




「分かったわ、なら……はいコレ」




「ん?」




 母は納得しつつも寂しそうな顔をしながら、ポケットからぽち袋を取り出して誠に手渡した。




「お母さんからの一人暮らし応援資金で~す♪」




「え、いや……そんな駄目だよ! 昨日も買い物で余ったお金をお小遣いにってくれたじゃないか」




「良いのよ、お父さんが遺してくれたお金だもの。 子供の教育に使うんなら納得してくれるわ」




「でも……」




「子供が遠慮なんてしないの、良く学んで良く遊んで良く休みなさい。 あなたが立派に成長してくれるのがお母さん何よりの楽しみなのよ」




 とてもいい笑顔で言う母に、誠は顔を笑顔を返した。




「ありがとう、母さん!」




「あと363日後に死ぬ体だがな」




「…………こいつ」




「あら、アーちゃんもお礼を言ってくれたのかしら? 賢いペットでちゅね~アーちゃんは」




「クックック……」




 鞄の中に入っている邪悪な顔をしたアモンの頭を撫でると、母は居間の時計を見た。




「さ、そろそろ行かないと遅刻するわよ! 行った行った!」




「あ、や、やばい! ギリギリになるかも!」




 ジト目でアモンを見ていた誠だったが、母の言葉に現実に引き戻されるとぽち袋を鞄にねじ込んだ。




「じゃあ母さん、行ってきます!」




「はい、行ってらっしゃい。 お母さんももう少し片づけたらあっちの家に帰るからね~」




「分かったよ! 母さんも気を付けて!」




 玄関から飛び出し、母へ手を振ると誠は学校へ向けて走り出した。


 それは今まで誠の母が見た事も無いような速さだった。




「あの子……あんなに足早かったかしら?」




 誠の通学速度は凄まじいものだった。


 敢えて人でごった返す表の道ではなく、狭い路地裏を選んで走っているのだが……。


 アモンの力を得た事によって障害物を認識した瞬間に、それを回避するルートを瞬時に導き出しながら最速の道を走る事が可能になっていた。


 また聴覚や視力も強化され、恐らくプロのアスリート並みのフィジカルに強化されている事が誠には感覚的に理解できた。




「本当に凄いな……昨日壁を蹴った時から思っていたけど、こっちの世界でも強くなるなんて」




「ククク、これでも我の力のほんの一部に過ぎん。 お前が体や頭脳を鍛えれば鍛えるほどに我の力がそれに補正を掛け、より強くなるのだ」




「でも一年後にその鍛えた体をお前が乗っ取るんだろう? なら鍛えない方が……」




「本当にそう思うか? よく考えてみろ、お前の力を高めれば我の力も高まる、それはつまり……」




「つまり?」




「ヒントはここまでだ、後は自分で考えるがいい契約者よ」




 アモンはそう言うと、鞄の中から飛び出した。




「うわっ!」




 急にアモンが飛び出したことで、誠は驚き体勢を崩してつんのめる。




「急に飛び出すなよ……びっくりするじゃないか」




「ククク……この程度で驚いていては今後が危ぶまれるな契約者」




「喋る梟に一年後に死ぬって言われる以上の危ないことは無いと思うけどな」




「クック……だと良いがな、では我は学び舎の外で待つ。 学業が終われば再び我とお前は同体だ……良いな」




「出来れば一生離れていて欲しい」




「契約の破棄をしたいのなら構わんぞ? 死期が一年後から今になるだけの話だ」




 学校まであと少しという場所で、アモンは鞄から飛び上がるとそのまま品川の街の中へ消えて行った。


 途端、誠の体にどっと疲れが押し寄せる。




「うっ……も、もしかしてアモンが居ないと力が消えちゃうのか……?」




 学校まであと数百メートルの位置の所で、誠は鉛の様に重くなった体を引きずりながら登校する事になった。




─────────────────────────────────────




「あー、それじゃあ新学期早々だがお前等にお仲間が増えることになった」




 ボサボサの髪に随分長く着ているのだろうジャージ姿をした女性教師が、出席簿を左の掌に打ち付けながらざわつく教室に言い放った。




「んじゃ、自己紹介」




「あ、はい」




 教師の隣に立っていた誠は、改めて教室の生徒たちへ向き直った。


 皆様々な反応を示していた。


 ある者は好奇心に満ちた目で、ある者は不安そうに周囲の生徒とヒソヒソと何事かを囁きあう。


 またある者は興味など無いと言わんばかりに机で突っ伏して寝ていた。




「閼伽井誠です、家庭の事情で今日から転校する事になりました。 よろしくお願いします」




「──閼伽井って、一昨日テレビでやってた……」




「前の学校で、人を殺して追い出されたとか──」




「私はヤクザと知り合いだって聞いた──」




 誠はそう言って会釈をするが、教室からの冷ややかな視線と囁き声だけが返ってくる。




「おら、拍手しろお前等」




 やる気のなさそうな教師の掛け声で、ようやく教室からまばらな拍手が行われた。




「んじゃ閼伽井、お前の席はあそこだ。 今空席になってる場所の隣だ」




 教師は出席簿で誠の席の場所を指し示した。


 そこは教室の右端で、一番後ろの席だった。




「ぱっぱと行け、座ったら出席取って始業式だ」




「わ、分かりました」




 誠は小走り気味に席まで行くと、着席した。




「それじゃ出席取るぞ~……っても玖珂以外は全員出席してんな?」




「…………玖珂?」




 聞き覚えのある名前が聞こえ、思わずその名を誠は呟いた。


 その呟きに対する反応は、隣の席からの一瞥のみだった。




「おーし、んじゃお前等廊下に並べー。 始業式出てぱっぱと帰るぞー」




 女教師は、出席の確認を手早く……殆ど手抜きで終わらせると教室の生徒たちへ号令を掛けた。


 その号令に続いて、生徒達がぞろぞろと廊下へ出ていく。


 誠もそれに従い、そのまま体育館まで行き始業式を受けたのだった。




─────────────────────────────────────




「んじゃ今日は終わりだ、日直」




「はい、起立、礼」




 日直の掛け声に合わせて、全員が立ち上がると一礼し生徒達は皆声を上げながら帰宅の準備を始める。 


 誠もそれに漏れず、帰宅の準備を始める。




「おい、閼伽井」




 そんな中で、誠は教師に声を掛けられた。




「はい、何ですか?」




「お前は今日来たばっかで学校の中もよくわからんだろ、他の先生には言ってあるから学校の中を見てから帰れよ」




「良いんですか?」




「私もそうだが他の先生も残ってるからな、揉め事起こさなきゃ問題ない。 明日以降学校の中で迷われても面倒だしな」




 女教師はおくびもなくそう言った。




「ありがとうございます! えーっと……」




「峰だ」




「す、すみません峰先生」




 誠が峰の名前を思い出せず困っているのを見抜き、教師は即座に自らの名を名乗った。




「初日だからな、今回は大目に見てやる」




 峰はそう言うと出席簿で軽く誠の頭を叩き、背を向けた。




「三時には学校閉めるからな、それまでには帰っておけよ」




「分かりました、峰先生」




 背中越しに挨拶をすると、峰は後ろ手を振りながら教室から出て行った。




「学校、見て回るって──」




「不良の人達と会うのかな──」




 峰が立ち去った後も、数人の女子がヒソヒソと誠に対する噂話をしていた。


 思わず、誠はそちらへ視線を向ける。




「やばっ、こっち見た──」




「こ、殺されちゃうかも──」




「犯罪者の子供だもんね──」




 女子たちはそう言いながら急いで荷物を纏めると、誠へ謝罪の言葉も無くそそくさと教室から出て行った。


 彼女たちが出ていくと、教室には誠一人だけとなっていた。


 彼も荷物を纏めると、教室を出て廊下を歩きだした。




「はぁ……新天地に行けば噂話も無くなるって母さんは言ってたけど、やっぱり何処に行ってもこういうのはあるんだな」




 大罪を犯した者の家族がテレビで報道をされると、市井の人間はそれをこぞって娯楽であるかのように叩く。


 まるでその人間と家族だったことが罪であるかのように、彼等に人権が無いかのように面白がって嫌がらせを行う。


 そういった行為を誠は既に三年間も味わっていた。


 今の所母と誠に怪我はなかったが……一時期は母も精神を病みかけ大変な時期があった。


 そんなことがもう起こらないように、せめて誠だけはと東京に引っ越しを行ったのだが……結果はこの通りだった。


 深いため息が誠から漏れ出た。




「おまけに喋る梟に俺の寿命は残り一年って言われるし……物凄い力もあるんだろうけど、使い道も思いつかないし……そもそも悪魔ってなんなんだ?」




 更には安息の地と思われていた父が遺した家には悪魔が宿った指輪が転がっており、誠は何の因果か悪魔と契約を交わす事になってしまった。


 代償は寿命。


 未だに自分が一年後に死ぬという事を信じてはいないが……少なくとも彼が特別な力を持ったことだけは確かだった。




「参ったな……母さんに一年後に俺死にますとも言えないし……」




 廊下を歩きながら、様々な教室の前を通り過ぎていく。


 通路の端まで行くと、引き返して階段を昇って三階へ。


 そうやって悩みながら歩いている内に、誠は学校の中庭に出た。


 品川の中にあるにしては広めの庭はよく手入れされており、用務員の仕事の丁寧さが窺うことが出来た。




「へぇ……こんな場所まであるんだ」




 都立麗園学園とりつれいえんがくえん


 あらゆる事情の生徒を受け入れるという建前の通り、この学園にはあらゆる問題児が集められているとのことだった。


 その話を聞いた当初は、誠も行くのを渋ったものだったが……今はこの中庭の風景を見て少しだけ認識を改める事になった。




「おやぁ、こんな時間まで残ってる奴が居るぜ?」




 だが……同時に誠の不安が的中していたことも知ることになる。


 誠の背後から声がすると、次の瞬間彼の背中に鈍い痛みが走り地面に倒れこんだ。




「うわっ!」




 咄嗟に地面に手を突き、地面とキスをすることは免れたが……顔を上げると誠は三人の不良に囲まれていた。




「よお、転校生」




「…………な、何ですか?」




「なぁに、ちょっと面白い噂を聞いたからよ、確かめに来たんだ」




「てめ~あれなんだろぉ? 国家なんちゃら罪とかで日本最大の犯罪者とか言われた奴の息子なんだろぉ?」




 まず最初にガタイの良い男……恐らくリーダーだろう男が喋る。


 次に少しだけ身長の低い金髪の男と、鼻にピアスを付けた男が誠を囲みながら喋った。




「……人違いだと思いますけど」




「てめ~おれらの事馬鹿だと思ってんなぁ~!?」




 鼻にピアスを付けた不良が、誠の腹を蹴り上げた。




「うぐっ!」




「アカイなんて奇妙な苗字、他にあるわきゃねえだろ!」




 もう一発、今度は金髪の不良が蹴りを入れた。


 蹲る誠の髪をガタイの一番良い不良が掴み上げた。




「お前の親父、何でもどっかの街を一つ外国に売り渡して襲わせたんだってな?」




「うぅ……」




「4万人くらい死んだんだってぇ? おぉ、こええ、こええ」




「おまけに裏じゃ人身売買やらヤクザと組んで麻薬の密売までやってたんだって? すげぇワルだよな」




「お、俺は、知らない……」




 アモンが居ない為、通常の高校生通りの力しか出せない誠は不良たちの攻撃による痛みに顔を歪めていた




「まぁ知ってよーが知ってまいがどーでもいいんだよぉ」




「四万人も死んでりゃ、そうとー死んだ連中の家族から恨みを買ってるお前をよ」




「痛めつければその動画や写真、もしくはお前の居場所に関する情報を買いたいって奴は山ほど居るんだ」




「不運だったと思って、諦めてオレ等の金づるになってくれや?」




 金髪の不良がそう言うと、再び誠の腹に蹴りを入れた。




「あぐっ……!」




 ガタイの良い不良は誠の髪を離すと、携帯を取り出し不良二人が誠を暴行する場面を撮影し始めた。




「お前等、あんまりやりすぎて殺すなよ?」




「わぁーってるっすよぉー」




 やはりリーダー格であろう不良がそう言うと、二人はそちらへ顔を向けて頷いた。


 その一瞬を突いて、誠は鼻ピアスの不良の脚へタックルを行う。




「おわっ!?」




 バランスを崩し、倒れていく不良を横目に誠は素早く自分の荷物を回収しようとして……。




「待てごらぁ!」




 もう一人の不良に羽交い絞めにされた。




「いっててて……」




「はは、今の暴行の瞬間も売れるんじゃねえか? 凶悪犯罪者の息子、やはり凶悪だった! とかってよ!」




 リーダー格の不良は笑いながら撮影を続けていた。


 誠を羽交い絞めにしている不良も若干笑っていたが、起き上がった鼻ピアスの不良の顔は青筋が浮かび上がっていた。




「てめぇ……痛いだろうがぁ!」




 誠の顔面に、拳が叩きつけられた。


 一発顔面に貰い、普通なら怯えるところを誠は……強く不良を睨みつけていた。




「んだぁ、その目はぁ!」




 誠の目が不愉快だったのか不良がもう一発拳を見舞おうとした時、彼女は表れた。




「おうおう、止めとけよ弱い者イジメはよ」




「あ?」




「誰だ……?」




 声の主に、不良と誠は同時に目を向けた。




「げぇっ!」




 それは……つい昨日会ったばかりの少女だった。




「ま、でもアタシもこれから弱い者イジメするし別にいっか」




 玖珂晶、そう昨日誠に名乗った少女は荷物を鼻ピアスの不良の顔面へ投げつけた。




「んがぁっ!?」




 それはダンベルでも入っているのか、鈍い音を立てながら彼に直撃し昏倒させた。




「毒蛇様のお通りだ!」




 晶は誠を抑えている金髪の不良……ではなく携帯を構えている不良に走りかかった。


 不良は携帯を慌てて仕舞おうとするが。




「おせぇ!」




 晶の強烈な金的蹴りを食らってしまう。




「はぁぁぁんっ!」




 ガタイに似合わず、甲高い悲鳴を上げながら悶絶し不良は前のめりに倒れる。


 晶はそのまま不良の携帯を踏み砕くと、金髪の不良へ向き直り睨みつけた。




「テメーで最後だ、アタシにボコられっか今すぐコイツ等連れて逃げっか選びな」




「え、えっ……! ひいいい!」




 金髪の不良は、晶の凄みに怯え誠を離すと自分の荷物を持って一人で逃げ出していった。




「ケッ、アホどもが……オイ、大丈夫か?」




「あ、あぁ……ありがとう、助かったよ」




「ったく昨日の動きはどうしたんだよ、あの動きが出来りゃあんな奴等五秒で片付けられんだろ?」




「いやあ、はは……」




 流石に悪魔の力です、とは言い出せず誠は笑う事しかできなかった。




「玖珂さんこそ、どうしてここに?」




「センコーからの呼び出し、ったく面倒くせえったらありゃしないぜ」




「そっか、何にせよ本当に助かったよ、ありがとう……何かお礼出来ないかな?」




「ア? ナンパか?」




「え、いや、ち、違うよ! 本当にお礼をしたいだけで……!」




「ハッハッハ、冗談だよ、そんなに慌てるなよ」




 誠の狼狽え具合に晶は大笑いしながら、彼の肩を叩いた。




「気にすんな、アタシは気に入らない連中を殴り飛ばしただけでそこに偶々テメーが居ただけさ」




「いや、でも本当に何かお礼をしたいんだ」




「しつけえなテメェも……」




「お願いだから、何かさせてくれないか!」




「あー……」




 必死に頭を下げる誠に、最初は迷惑そうにしていた晶も考えを変えた。


 右目を瞑り、自慢の茶髪を掻きむしりながら何かを考え……晶は一つの答えを導き出した。




「そんなに言うなら、ちょっと調べものに付き合ってもらうか」




「調べもの?」




「あぁ、ちょっとな。 詳しくは明日話す、テメー何組だ?」




「B組」




「んだよ、同じクラスじゃねえか。 ちっ、しゃーねえ明日もアタシは出席すっか」




 面倒くさそうに言うと、晶は未だに不良の顔面を塞いでいた荷物を手に持った。


 持つ際に、やはり重たい何かが入っているのかガチャリと重厚な音がした。




「明日の放課後、詳しく話す。 テメェが自分で言ったんだ、付き合ってもらうぜ」




「大丈夫、逃げださないよ」




「へへっ、それでこそ男だな。 んじゃアタシは逃げっからよ、テメーも逃げた方がいいぜ」




「逃げる……? あっ」




 周囲の状況を確認し、改めて今自分はヤバイ現場に居ると再認識する誠。




「じゃーな! 怪我、しっかり治しておけよ!」




 荷物を持つと、晶は軽快に出口まで走り出した。


 誠も荷物を持ち上げると、倒れている不良達を苦渋の決断で無視し学校を出た。


 帰宅の途中、朝方母から貰ったお小遣いを早速使う事になり誠は心の中で泣いたのだった。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る