第4話 アモン
広大なワイン部屋は、異様な雰囲気に包まれていた。
床に倒れる女性と、高さは三メートルを超えるであろう牛。
そして、その牛が伸ばした角が心臓に刺さる寸前で左手で受け止めながら笑みを浮かべる軍服を着た男。
「その姿は……!」
男の姿を見て、巨大な牛──ザガンは驚愕した。
自らの角が男の心臓を貫いていながらも、男が生きている事にではなく。
その姿にだ。
「ククク、久方ぶりの邂逅と言うべきかザガン」
軍服の男は心臓を刺し貫かれようとしている状況にも関わらず、笑いながらザガンへ話しかけた。
「──まさかそんな小僧と契約するとはな、落ちぶれたものだアモン」
ザガンは少しの間を置いて、自らがアモンと呼んだ男に対して憎悪の眼差しを向けながら答えた。
「何、下から這い上がるのも楽しみの一つ……まず手始めにお前から踏み台にしてやろう」
「小賢しい、幾ら余よりも序列が上だろうと封印で弱った貴様などに!」
「フンッ、やってみろ!」
怒声と共に、アモンが一足先に動く。
右腕の手刀でザガンの角を両断したのだ。
「さあ契約者よ、我のこの力はお前のもの! お前の体は望むように動き、望むことを為す!」
角をへし折られ、たじろいだザガンからアモンは一度後方へ飛ぶとそう叫んだ。
それは、アモンの中に居る誠に対して語りかけていた。
「やり方は任せる、自由に暴れてやれ!」
その言葉に、誠は強く頷くと拳を握った。
意識が、はっきりと誠の手に渡った。
視界は冴え、溢れんばかりの力が体の内側から湧き出る事を誠は感じていた。
その力は文字通りの意味で、今の彼は思う事の全てを為すことが出来ると感じさせるものだった。
「余の角を……許さんぞ! 貴様も今までの人間の様に搾り取って潰してくれるわ!」
右角を折られ、怒り心頭のザガンはその大きな巨体を用いて誠に対して突進を行う。
力強く地面を踏みしめ一歩を蹴り出すたびに、ワインセラーが揺らぎ椅子や食卓机が塵の様に蹴散らされていく。
「ブオオオオ!」
蒸気機関車の様な、重厚な叫びが室内に木霊する。
その次の瞬間、その叫びすら消し飛ばすような衝突音と振動が室内を襲った。
「ぬぅっ……!」
三メートルを超える巨体を、身長170センチ弱の男が両の拳を衝突させ止めていた。
「一体……」
誠の赤い瞳が、怒りが燃えていた。。
「一体、今まで何人の人間を殺してきた……」
語気が強くなるにつれ、その炎はより大きく燃え上がった。
「どれだけの人間の血を啜った」
「馬鹿馬鹿しい、そんなもの記憶に残してなどおらんわ!」
ザガンの返答に、誠は打撃で返答した。
額に左と右の拳を叩き付け、その反動を活かしたまま回し蹴りを叩き込む。
「あまつさえ、俺の母さんまで……!」
「ブモォォオオオッ、おのれぇ!」
「お前は絶対に許さない!」
「訳の分からん事を、ごちゃごちゃと!」
誠の攻撃で後方に大きく吹き飛ばされながらも、ザガンはその強靭な四本の脚で着地をすると直ぐに反撃に出た。
両目を再び赤く輝かせると、誠の周囲にある棚から猛烈な勢いでワインが噴き出し濁流となって誠を襲う。
「くっ……!」
ワインの濁流を認識すると誠は直ぐに倒れている母親を抱きかかえ後方の机の上に飛び退くが、紫色の液体はそれ自体が意思を持つ様に動きうねりながら追尾した。
回避を続ける間にも棚からは無数にワインが溢れ続け、部屋をどんどん覆い次第に机や椅子が浮かび上がる程にまで増加した。
「不味いな、どんどん量が増えていく……」
「早速難題か、契約者よ」
増え続けるワインの海の上で、弾丸の様に襲い来る波を避けながら誠はどう戦ったものかと思案していた。
その時己の内の中から先ほど契約した悪魔、アモンの声が響いた。
「さっきの……! いや、今はいい。 聞きたいことは山ほどあるが……今は生き残る方法を聞きたい!」
「ククク、良いだろう。 彼奴、ザガンはワインと油を自在に扱える能力を保有している……まずは地の利を奪え!」
「奪えって、どうやればいい!?」
「相手への憎しみ、怒りがお前を強くする。 その怒りを相手に向けて放ってみろ!」
「抽象的な指示を……!」
誠は意識をアモンとの会話から現実に引き戻した。
巨大な壁の様な波が、誠に迫っていた。
もし、自らがこの波を消せなければワインの海での窒息死か……あるいはあのザガンという牛が誠と母を踏みつぶすだろう。
そう考えた時、誠の中に再び沸々と怒りが湧き上がった。
右手を強く握りしめながら、左手で抱えていた母をゆっくりと机の上に降ろす。
「俺は……俺はもう、何かの理不尽は屈したりはしない!」
誠の中で、アモンが口角を上げた。
「いくぞ!」
そして、ゆっくりと立ち上がりながら左手を添えながら右腕を真っすぐに突き出した。
「さぁ、怒れ! 怒れ!! 怒れ!!! お前の怒りを放ってみろ!」
「うおおおおおおおおお!」
誠は怒り、アモンの力を呼び起こそうと叫んだ。
彼の右手前方に、彼の拳大程度の大きさの火球が生まれていた。
その火球を放つ前に誠を潰そうと、波は勢いを増して迫った。
「
驚いたことに、怒りはかの悪魔がもう再び見られないと思った恐るべき力で応えた。
その小さな火球は叫びと共に放たれた。
最初は拳大だった火球は徐々に巨大になっていき、最後には部屋全体程の大きさにまで成長した。
火球はワインを蒸発させながら高速で、ザガンに迫った。
「ば、馬鹿な……これは奴の……!
迫りくる火球を、ザガンは角を用いながら顔面で受け止める。
肉を焼き、骨を焦がす火球にザガンは苦悶と疑問の声を上げた。
「知りたいか、ザガン」
火球を抑えていたザガンに、更に前方から衝撃が伝わった。
まるで誰かが火球を蹴っているかのような。
それと同時に、アモンの声がザガンに聞こえた。
「ぐぅ、貴様……! こんなことをして、どうなるか分かっているのか!?」
「分かっているとも、彼奴が動くのだろう?」
「分かっているのなら、何故外に出ようとする、貴様が外に出れば災いしか齎さんのだぞ!」
「無論その為だ、我はその為に産まれたのだからな」
「おのれ……おのれおのれおのれ!」
ザガンの頭部が熱量で溶け、骨が露出していく。
火球の後ろでは、誠が空中で火球を何度も連続で蹴り、勢いを加速させている。
「これで、トドメだ!」
火球の進む速度が増したのを確認した誠は、一度地上に降りると渾身の力で火球を殴りつけた。
それは、ギリギリの所で踏みとどまっていたザガンへの文字通りの最後の一撃となった。
「
断末魔の叫びと共に、火球はゆっくりと進みながらザガンを焼き尽くし消えた。
「はぁ……はぁ…………お、終わったのか?」
深く息を吐きながら、誠はワインが未だ残る地面に膝をついた。
彼の眼前には、もう巨大な悪魔は居ない。
そう安堵した途端に、誠の視界が揺らいだ。
「くっ……」
「ふむ、限界か……初戦にしては健闘した方だな」
アモンの値踏みするような声を聞きながら、誠の意識は急速に遠ざかっていった。
「ここの異界化も解ける、また暫しのお別れだ」
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「はっ!」
眠っていた誠は、うつ伏せの体勢から顔を上げた。
そのまま状況を把握するために顔を左右に動かし、自らが居る場所を把握した。
「…………居間?」
「それでその閼伽井容疑者と言うのが犯罪行為を取り仕切って──」
「えぇ、全く許されない行為です──」
「彼の家族は一体今頃何を──」
居間にある椅子の上で、机に突っ伏しながら寝ていた誠はそんな声を耳にした。
音源を探すと、直ぐにそれはテレビから流れている音声だと気づいた。
「俺はさっき牛を倒して、それで……」
先ほどまで自身に起きていたことを思い出しながら、誠は自身の体を確認した。
「服装はさっきみたいなのじゃないし……腕も赤くない、仮面みたいなのも付いてない……」
そうして確認が終わると、より大事なことに気が付いた。
「そうだ、母さん!」
誠は椅子から立ち上がると扉を開け、母の名を叫んだ。
「母さん! 母さんどこ!?」
その叫びの返事は、直ぐに返ってきた。
「な~に~? 前の家に忘れ物でもしたの~?」
遠くで扉が開く音がし、軽快なリズムで母親が階段を降りてくる。
「母さん……だ、大丈夫!?」
「大丈夫って、何が?」
「いや、あの、二階がその、変な部屋になってて大きい喋る牛が──」
「大きい牛……? あぁ!」
誠の母は両手を打つと、笑みを浮かべながら答えた。
「えぇ見たわよ~、羽の生えた大きな牛さんでしょう?」
「やっぱり……! 体は大丈夫、何か変な事は……」
「……変な子ねぇ、確かに見たけどそれは夢の話よ? 体もほら、ピンピンしてるし」
「…………夢?」
「そうよ、私ちょっと疲れてたみたいで二階で寝ちゃってたんだけどその時に大きな牛に襲われる夢を見たのよ~」
母はそう言いながら、事情を説明してくれた。
二階で壁に寄りかかったまま寝ていた間に見た夢を。
それは奇しくも誠が先ほど経験し相対した牛と同じものであった。
「そっか、夢か……そうだよな、あんな変な事起きる訳……」
「ふふ、きっとお互い疲れてるのよ。 そんな時はご飯を食べて休みましょう?」
「……そうだね、きっと引っ越しで疲れただけだよね」
誠は母の言葉に頷くと、踵を返して二階の部屋から出て行った。
後からゆっくりとした歩調で母も付いてくる。
その後は二人で近くのスーパーまで出かけ、母が料理を作り二人で楽しんだ。
その最中……。
「ごちそうさまでした」
「はい、お粗末様でした。 どう、美味しかった?」
「うん、美味しかったけど……それがどうかした?」
「いや、これから暫く誠に料理を作ってあげられないかと思うと少し寂しくてね」
「あっ……そうだね、でもたまには遊びに来るんでしょ?」
少し暗い顔をする母を誠は励まそうと声を掛ける。
そんな気遣いに気づいたのか、彼女は直ぐに表情を笑顔に戻した。
「そうねぇ、何か月かに一回はきちんと顔を出さないとね。 それまでに彼女作っておきなさいよ~?」
「まぁ……それについての答えは保留で……」
「ふふ、まぁいいわ。 それにしても不思議ねぇ」
「何が?」
「いえ、さっきあなた羽の生えた牛の話をしたでしょ? 二人揃って同じ夢を見るなんて不思議だなって」
そう言われて、誠はハッとした表情を浮かべた。
「言われてみれば、確かに……」
「まぁそういう事もあるのかもしれないじゃない? 親子だし」
「親子だしで解決する事かなぁ……」
誠は不満そうな顔をしながら、食べ終わった食器を洗い場へ運んでいく。
「洗い物、俺しようか?」
という提案に母は首を振った。
「子供はそんな気遣いしない、お母さんに任せなさい」
「……分かったよ、なら何か手伝えることは無い?」
「う~ん……そうねぇ、あっ、そうだ」
誠の提案に両手を組んで少し唸った母だったが、直ぐに問いに対する答えを発見した。
「アーちゃんにごはん持って行ってあげてくれない?」
「…………アーちゃん?」
「えぇ、アーちゃん」
「誰?」
「誰って……やぁねぇ、昔から飼ってて今日も一緒に連れてきたでしょ?」
聞き覚えのない名前だった。
ましてやそんな存在を昔から飼っていて、今日も一緒に連れてきている?
誠の頭の中は一気に疑問符でいっぱいになった。
心臓が早鐘を打っていた。
「…………」
「兎に角お願いね、アーちゃん用の野菜脇に置いてあるでしょ? 二階に居るから持って行ってあげて誠」
「あ、あぁ……分かったよ」
母に言われた通り、洗い場には籠に入った野菜があった。
それを持ち、手を振る母の脇をすり抜けながら彼は部屋を出て二階に向けて階段を登っていた。
誠の理性が、警鐘を鳴らしていた。
部屋の扉の前に立った時、彼の頭の中では先ほど見ていた出来事が思い起こされていた。
羽の生えた巨大な牛を、自らが撃退する……そんな夢の様な出来事。
「…………」
ごくり、と唾を飲み込む音が響いた。
先ほどまで階下から聞こえていたテレビの音も、母が洗い物をする音もこの扉の前に立った瞬間に消し飛んだ。
この先に何が居るのか、全く分からなかった。
だが……まるで悪魔にでも魅入られたかのように右手はゆっくりとドアノブを握り、回した。
ガチャリと音を立て、軋んだ音を立てながら慎重に扉を押していく。
「なんだ、さっきと同じじゃないか……」
扉を開けた先の光景は、先ほど起きて母と合流した時と同じだった。
たった一点、部屋の奥にある窓に居るそれを除いて。
月光が差し込む事など有り得ない場所にある窓の淵にそれは居た。
真っ赤に燃えるような羽と金色の瞳を携えた、見るものを魅了、あるいは畏怖させる梟が。
「お…………お前、は……」
「我か? 我が名は既にお前の脳髄に刻まれているものと思っていたが……我が名を知りたくば答えよう」
右の翼を大仰に振るい、火の粉をまき散らすように赤い羽根で梟は顔を覆った。
「我は地獄の40の軍団を率いる、果てしなきもの。 全ての強欲と熱望を司る、序列7位の悪魔!」
「ア…………」
「アモンである!」
これが、これから始まる長くて短い一年間の……最初の一日目だった。
この悪魔との出会いが、今後の彼の人生を大きく変える事になる。
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閼伽井 誠 人間性ステータス
教養 ★スマホ頼り
男気 ★臆病者
慈愛 ★心が狭い
魅力 ★格好悪い
諧謔 ★会話が続かない
cooperation
???
???
???
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