第63話

「……ふぅ、ちゃんと歌うのは久しぶりだから緊張したよ」


 胸をなでおろして矢来さんが息をつく。

 そんな姿を私と唯は言葉もなく呆然と見つめていた。

 唯と目が合う。お互いに目を瞬かせ困惑を共有する。


「はい、次は海道さんだよね」


 デンモクとマイクを手渡してくる。

 私は一瞬の間を空けて、それを受け取った。


「……あ、ああ。うん、ありがとう」

「……? どうかしたの?」


 私の反応が鈍いことに気づいた矢来さんが首を傾げる。

 

「いや、矢来さんあなた……」

「うん」

「歌、上手ね?」


 私と唯が衝撃をうけて思わず閉口してしまっていた理由。それは矢来さんの歌が、それはもう上手なことこの上なかったからだ。

 いつもは大きいだけの声も、抑揚がついてメリハリがあるし、音もキッチリ外さない。

 

「えへへ、ありがとう。わたし、お母さんにお前は顔と乳と歌だけの女だって昔から言われてるんだ」

「そんなお母さんいるの?」


 矢来さんの言葉に唯が顔を引き攣らせていた。

 まあ……あの人なら本当に言ってそうだが。


「なんか、矢来さんの後に歌うのは気が引けるんだけど」

「ええー、わたし、海道さんの歌聴きたいな。それに、歌は上手い下手じゃないよ。楽しいのが一番」


 まさに歌が上手い人の言い分だった。それじゃあ、何の励ましにもならないのだけど。


「え、律が歌わないならあたし歌うけど」


 と思ったが、唯も楽しければいいと思っている種族だった。唯の歌は、お世辞にも上手いわけじゃない。というか、唯の可愛らしい声では無理のあるジャンルを歌っているのが一番の原因なのだけど。

 それでも、唯は好きだからの一点張りでメタルしか歌わない。

 かくいう私はどうだろう。そもそも歌うこと自体、好きってわけではない。唯と二人でカラオケに来た際は、唯の三分の一ほどしか歌っていないほどだ。


「一人が嫌なら、わたしと一緒に歌う?」


 尻込みする私に矢来さんが手を差し伸べてくる。


「いや、それだと余計に私の下手さが際立つというか」

「と、思うでしょ? わたしを信じてほしいな」

「どういう意味?」

「まあまあ、とりあえず曲選んでみて? あ、もちろんわたしも知ってそうなのでよろしくね」

「は、はぁ……」


 半ば押し切られる形で私はデンモクでそれらしい曲を探し始める。

 デュエットジャンルのランキングがあったので開いた。しかし、イマイチピンと来るものがない。というか、知らない曲の方が多くて選びようがなかった。


「あ、別にデュエット曲じゃなくてもいいよ」


 選曲に難航する私に矢来さんが助言をいれてくれる。


「そうなの?」

「うんうん。例えば、これとかどう?」


 矢来さんが手慣れた手付きでデンモクを操作し、とある曲を表示させる。

 私たちが小学生の頃に流行っていたドラマの主題歌だ。


「あ、この曲小学校の運動会で踊らされたわよ」

「海道さんも? どこの学校も同じようなものなんだね」


 今にして思えば、中々に恥ずかしいことをさせられていたものだ。小学生の私はそこまで擦れていなかったので気にしてはなかったけど。


「なら、この曲にしましょうか」


 長らく聞いていないけれど、大丈夫だろう。子供の頃のヒットチャートって、何故か頭に残ってるものだし。


「お、カップルデュエット? ひゅーひゅー」


 私と矢来さんが揃ってマイクを持つと唯が冷やかしてきた。

 もう送信してしまったから後悔は遅いけれど、私と矢来さんのデュエットを唯はどんな気持ちで聞くんだろう。何だか見せつける形になってしまって申し訳ない。

 などと考えているうちに曲は歌いだしに差し掛かっていた。歌詞はうろ覚えなので、画面にしっかりと目線を向ける。

 懐かしさを感じながら私は歌う。イントロを聞いてもすぐには思い出せなかったけれど、ガイドボーカルに沿っているうちに口が勝手に動き始めた。

 しかし、Bメロに入っても矢来さんが歌い出す気配はない。私の隣でリズムに合わせて揺れているだけだ。

 まさか、騙された?

 と思ったのも束の間。

 サビに入ると矢来さんの口が開き旋律を奏でる。だけどそれは、私と同じメロディーではない。音感なんてものを持ち合わせていない私でもわかる。これは所謂ハモリってやつだ。

 時に私の声を彩るウワモノのように、時に私の声を支える土台のように。矢来さんの鳴らす音はどこまでも私の声に付き従う。

 まるで矢来さんに引っ張られるよう。それでいてあくまで主役は私と引き立てられる。

 あれ、私ってこんなに歌上手だっけ? と思わず錯覚してしまいそうになる。

 そのまま、気づけばボーカルのパートは終わりアウトロに入っていた。

 オケがフェードアウトしていく。

 隣の矢来さんに目を向ける。視線が交わると、矢来さんは優しく微笑んだ。


「ね、言ったでしょ?」

「ど、どういう魔法? なんか、めっちゃ歌いやすかったというか……。もしかして、私歌上手いのでは? ってなったんだけど」

「ふっふっふ、音痴のお母さんを介護してきたからね」


 矢来さんは誇らしいのを隠さずに胸を張る。理由がちょっと悲しいけど。


「えーーー! 律、羨ましい! あたしも、あたしもハモって!」

「……小波さんの歌う曲、わからないよ?」

「失念!」


 

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