第58話

 明くる日、ただの平日である。もちろん学校があって、基本的にサボるということを知らない私は律儀に朝から起きていた。

 高校生活も既に折り返しを迎えており、この制服に腕を通すのもそれっきりなのかと謎の感慨を覚えながら着替える。いや、恐らくこの感傷は制服に向けられたものではない。矢来さんとと過ごせる高校生活の短さに対してのものだ。

 加えて、私と矢来さんは来年にはクラスが別々になることが、文理分けの都合で確定している。センチメンタルな気分になるのも無理はないというものだ。

 つまるところ、私と矢来さんに残された時間はもう僅かしかない。こう言うとどっちかが余命宣告されたみたいだけど、心情としては強ち間違いとも言い切れない。

 余命宣告なんてされたら、人は一分一秒でも長生きしようと抗う。御多分に漏れず私もそう考えていた。

 私たちは高校生という身分である以上、日中の大半を学舎で過ごす。にもかかわらず、私と矢来さんは学校内で話せる状況ではない。もちろんそれは物理的な問題ではなく、言ってしまえばクラス内における政治的な障害だ。

 矢来さんは、はっきり言って浮いている。触れること自体がタブーのような存在だ。別に話しかけたからといって村八分にされるわけではない。だけど、形容しがたい緊張感が教室に走ることは目に見えている。

 朝食をモソモソと食べながら考えていると、スマホがメッセージの受信を知らせる。

 片手で操作しラインを開くと、矢来さんからおはよーとスタンプがきていた。

 もし、矢来さんと学校でも話せたらわざわざラインでこんなのも送ってくる必要はなく、直接声を交わせばいい。というか、以前の矢来さんならそうしていた。私のことなど気にせず、本能の赴くままに話しかけてきていただろう。

 だけど、矢来さんは私のことを好きになってしまった。すると矢来さんも、自分が声をかけてしまうと私が学校でやりづらくなってしまうことを理解し、距離を取るようになった。

 ふと、そこで思い当たる。

 私は何も矢来さんを今私がいるグループに入れよう、なんて微塵も考えていない。ただアンタッチャブルな現状を改善して、普通に会話をできる程度になりたいのだ。

 矢来さんを無理にクラスへ溶け込ませる必要はなく、吹き出物扱いを変えるだけでいい。

 そこでだ。とりあえず、矢来さんには私に対して行ったような配慮を、他のクラスメイトにもしてもらおう。矢来さんと一緒にいられるように何とかすると言った手前、他人任せな気もするけれど、これは私と矢来さんの問題だ。矢来さんの手を借りて悪いことはない。

 次に私がすべきことだけど……。

 これはもう決まっていた。そして、恐らくそれが私にとっての最初で最後のハードルになる。

 矢来さんへスタンプではなく文字で朝の挨拶を返した私は、次に別の人とのトーク画面を開いた。

 ――相崎翔也。公表上は私と付き合っている彼氏だ。だけど矢来さんが私にキスをしてきたあの日以来、私が矢来さんにお熱ということもあって碌な会話すらなかった。

 その彼に、私は矢来さんを好きになったこと、そして付き合うことになった旨を伝える。

 本音を言えば隠しておきたかった。ただでさえ、別れるに別れられない関係だったのだ。

 さらに理由が、まさか女の子を好きになったから――なんて、もし言いふらされたどうなってしまうのか。

 だけど、曲がりなりにも翔也とは付き合っていたわけで、ましてや別の人へ目移りして不義理を働いたのは私だ。

 誹りを受けても仕方がない。それが嫌なら、矢来さんと付き合う前に別れておけという話だ。

 もし学校に居場所がなくなったら……。その時は変わり者同士、矢来さんと堂々といちゃついておこう。あれ、思ったよりそれ悪くはない?

 緊張からか、滲み出てしまった詮無い妄想を振り払ってスマホに文字を打ち込んでいく。


『今日の放課後、時間ある? 大事な話があるんだけど』


 文面で詳細を語っても問題はない。でも、文字通り大事な話だから直接顔を突き合わせてするべきだと思いそう送り付けた。


『わかった』


 すぐに、たった一言だけ返ってくる。まあ、翔也の文面が素っ気ないのは元々なのでこれだけじゃあ翔也の考えは読み取れない。

 ともかく、私は今をもって退路を断った。背水の陣……いや私の背後には矢来さんがついている。四面楚歌ではない。

 そう思うと、少しは心も軽くなる。最悪、愛の逃避行でもすればいい。矢来さんなら、二言なくついてきてくれるだろう。

 決戦は放課後。今日は長い一日になる予感がした。

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