第53話
「……どれにしよう」
まるで罰ゲームを選んでいるかのような苦悶の表情を浮かべている矢来さんが手にしているのは、もちろん刑罰一覧などではなくカフェのメニューだ。
眉間にしわを寄せ、うんうんと唸りながら矢来さんはパンケーキ選びに苦労していた。
私は前に頼んだ、イチゴがアホほど乗っているものをチョイスした。
新しいのを開拓するか、保守的に以前と同じものを選ぶかで性格が出るけど、私は後者だ。気に入ったら延々とリピートするタイプ。
「海道さんはもう決めた?」
「ええ。このイチゴのやつよ」
「なら、それはやめとくね。……うん、わたしも決めたよ」
混雑している店内にも良く通る声で矢来さんが店員さんを呼ぶ。
「わたしはこの、マンゴーとマカダミアナッツで……あとアイスロイヤルミルクティーもお願いします。こっちの子はストロベリーパンケーキで……あ、海道さんは飲み物どうするの?」
「アイスコーヒーで。ミルクはいらないです」
「かしこまりました」
オーダーを取った店員さんが下がっていく。
「海道さん、ミルク無しのコーヒー好きなの?」
「好きっていうか、甘いパンケーキ食べる時に飲み物まで甘いと胸焼けしない?」
「わたしは大丈夫かな。そもそもわたしブラックコーヒー飲めないんだ」
「へえ、意外ね」
「意外かな?」
「矢来さんって、好き嫌いなさそうに見えるから」
「食べ物に関してはあってるよ。あ、でも魚醬は苦手かな」
「……ぎょしょうって何」
「お魚で作った醬油みたいな? ナンプラーとか」
「ごめん、多分食べたことない」
そもそも聞いたこともないが。
「今度ナンプラーを使って何か作ってあげようか?」
「いやそれ矢来さん食べられないんでしょ。一緒に食べられないもの作ってもらうのは、なんだか申し訳ないわ」
「それもそうだね。そういう訳だから、ハネムーンにタイはなしでお願いするよ」
よくわからないけど、ナンプラーってタイの調味料なのか。
ていうか、ハネムーンって……。新婚旅行って意味よね?
「ハネムーン、行くの?」
「行かないの?」
さも行って当然と言わんばかりに矢来さんは首を傾げた。
「矢来さん、ハネムーンの意味わかって言ってるのよね」
「もちろんだよ。新婚旅行って意味だよね」
「理解した上での発言なのね……」
「そうだよ? あ、でも新婚ってわたしたち結婚は出来ないのかな」
「まあ、日本の法律上は無理なんじゃないの?」
渋谷区は何か同性婚に関する取り組みをしているとニュースで見た覚えはある。だけど、それもやはり戸籍上は婚姻関係になるわけじゃないらしい。
「わたし政治家になって法律捻じ曲げようかな」
「急にアナーキーね」
「待ってるだけじゃ変わらないからね!」
「その前向きさはたしかに矢来さんらしいけど」
美人だし頭はいいので、無難に当選しそうだ。私は、あまり遠い存在になられても嫌だから投票はしないだろう。なんて、例え話ごときに何を真剣に考えているんだろう。
「まあ別に結婚だけが全てじゃないよね。わたしは海道さんと一緒にいられればそれでいいし」
「そういう歯の浮くこと、よく簡単に言えるわね……」
「海道さんが望むなら、なんでも言うよ。リクエスト募集中」
「矢来さんに言ってもらいたいこと、ねえ」
なんだろう。愛は常日頃から囁かれている。囁くどころか、矢来さんは叫んでいるが。
感謝……も矢来さんは些細なことですら礼を言ってくるからなしだ。
「特には思いつかないわね。というか、そういうのって言わせるものじゃないでしょ」
「たしかに、不意打ちでこそ海道さんを落とせるってもんだよね」
「もう落ちてるけど?」
「なら、もっと泥沼に突き落としあげるね」
怖いんだか魅力的なんだかわからない脅し文句と共に矢来さんはウィンクをする。
……ビックリするぐらいウィンクが下手だ。瞼がプルプルと震えている。
てっきり矢来さんのことだから、顔の筋肉も自由自在に扱えると思っていたのだけどどうやら見当違いだったらしい。
「……わたし、ウィンク出来ないんだよね」
私の視線に気が付いたのか、矢来さんが自白する。
「見たらわかるわよ」
「せっかくの顔が台無しだよね」
「ウィンクが下手でも可愛くてムカつくけど?」
「わたしって罪な女だね」
「実際、数多の男があなたに惚れて散ってそうだけど」
もっとも、矢来さんは学校では浮いているから表立って矢来さんを好きだと公言している人を見たことはない。
だけど、この顔にこの乳だ。もてない訳がないはず。
「ああ、うん。告白はしょっちゅうされてるよ」
「その言い方だと、最近もあったの?」
「直近だと……あ、これってプライバシー的に言わない方がいいのかな」
「どうかしら。まあ、具体的な名前とか出さなきゃ大丈夫じゃない?」
こうやって、振った相手にも配慮が出来るのだから性格も悪くない。
きっと矢来さんのことだ。告白を断る時は滅茶苦茶申し訳なさそうにしてることだろう。
「最後に告白されたのは、二学期の始業式の日だね。学校から帰ろうと思ったら、下駄箱にお手紙が入っててね?」
「ラブレターってこと? 今時珍しいわね」
「うーん、お手紙の内容はわたしを呼び出してるだけだったから、ラブレターっていうのはちょっと違うかも?」
「にしても、書面っていうのは古風よね」
「それはお相手がわたしの連絡先知らなかったってだけだと思うよ」
「なに、矢来さん。あなたあまりよく知らない人からも告白されてるの?」
「うん。むしろそういう人の方が多いかな」
絶対一目惚れじゃない? それ。
「好きになってもらえるのは有り難いことなんだけどね? でも、毎回毎回断ってるといくら知らない人でも辛くなってきちゃうんだよね」
「……」
ちなみに、だけど一応私もそれなりに異性から告白されたことは経験はある。
だけど、私は矢来さんのように聖人ではないので毎度のごとく、一々告白してくるな脈ないのわかってるだろ! と心の中で悪態をついていた。
なので告白してきた相手にそんな思いやりが出来る矢来さんは本当にできた人だ。
「あ、これからは告白されたら海道さんに報告した方がいいのかな?」
「どうして?」
「だって、恋人だもん。報連相だよ」
「別に大丈夫よ。どうせ全員振るんでしょ」
そうじゃないと困るのだけど。
「それはもちろんだよ。だけど、可愛い私の綴に唾つけたのは誰だ! とはならないんだね」
「矢来さんの中の私はそんな輩なの? 相手が誰であれ、矢来さんへ告白するしないに私が口を挟む権利はないわよ」
もちろん、心が全く曇らないと言えば嘘になる。矢来さんが私を好きで好きで仕方ないのは重々承知しているけれど、もし矢来さんが他の人に心移りしてしまったらと思うと不安にもなる。
だけど、人は好きになる人を選ぶことはできない。ましてや矢来さんは、傍から見れば恋人のいないフリーの身だ。そんな彼女に惹かれ、想いを告げることは何も悪いことじゃない。
「そっか。てっきり、わたしに告白してくる人は恋敵認定するのかと思ってたよ」
「いやまあ、敵と言えば敵だけど」
もし矢来さんに告白をする人を断ちたいのなら、私たちの関係を公表する必要がある。
昨今、同性愛だジェンダーフリーだと騒がれているけれど、ぶっちゃけ当事者でもない限り深くそれらについて考えている人は少ないだろう。
私だってそうだ。女の子を――矢来さんを好きになってはじめて、真面目に考えるようになった。
周囲の理解が浅いままに矢来さんと付き合っている、なんて言って事態が好転すると予想するのはあまりにも楽観的だ。
最悪の場合、私も矢来さんも異物として排斥される可能性だってある。
もちろん信頼できる人なら話は別だ。唯は少なくとも私のことを奇異の目では見ていない。
ようは段階を踏まなければならないのだ。
「矢来さんが告白されるのは仕方がないこととして受け入れるわ。それに、それだけ自分の恋人は素敵な人なんだなと思うと、優越感がなくもないし」
「じゃあそんなわたしに見初められた海道さんはもっと素敵な人なんだね」
「……そりゃどうも」
ダメだ、素で照れてしまった。さっきまで丁度いい塩梅だった店内の温度が途端に暑くなった気がする。
「お待たせしましたー」
そんな私に助け舟。
パンケーキとドリンクを店員さんが持って現れた。私と矢来さん、それぞれの前に配膳がされていく。
店員さんが下がっていくのを確認してから、アイスコーヒーで渇いた喉を濡らす。
「……食べましょうか」
「うん! いただきます」
矢来さんが行儀よく挨拶をしてからフォークとナイフを持ったのを確認して、私もそれに倣って食べ始めた。
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