第52話
昨晩から何の用意もなく飛び込みで矢来さんの家に泊まっている私。
当然着替えなど持っているわけもないのだけど、矢来さんが知らぬ間に私が昨日着ていた服を洗濯乾燥してくれていた。
そんな私の手元には二着の服がある。
初めに、昨日家を出る時点で着ていたもの。
それから矢来さんとのデート中に買った、矢来さんの好みに合わせた可愛い系統のワンピース。ご丁寧におしゃれ着洗いをしてくれたらしい。
考えるまでもなく、私はワンピースを手に取り腕を通した。今日はこれから矢来さんと例のカフェでお昼ご飯だ。デートと言って差し支えないのだから、矢来さんに合わせて服を選ぶのは恋人としての責務と言っていい。
対して、私の前で衣装ケースを漁っている矢来さんもやはり、私の好みに対応してか黒のスラックスを手にしていた。今はそれに合う上着を探している。
「ねえ、矢来さん」
「なあにー?」
ゴソゴソと服を探しながら、振り返らずに矢来さんは返事をする。
「昨日私が着てきてた服、この家に置いておいていい? 今回みたいに急なお泊まりの時用の着替えとして」
「もちろんいいよ! それってつまり、また泊まりに来てくれるってことだもんね」
私の提案がよほど嬉しかったのか、矢来さんは服を探すのを止めて私の手を取る。
パジャマを脱いでから着るものを決めようとするものだから、上半身は下着だけだ。
矢来さんの胸は本物なので綺麗なⅠ字の谷間が身長の都合で目線あたりにくる。
「そしたら、下着とかも持ってきておいていいよ!」
「それもそうね」
「着替えを恋人の家に置いておくなんて、いよいよカップルみたいだね」
「ふふ、矢来さんのもうちに置いておく? なんて、うちに泊まることはそうないと思うけど。というか、矢来さんの家が気軽に泊まりやすいのよね」
うちなら調はともかく、両親は連日となるとあまりいい顔をしないだろう。
「何時でも来ていいからね。お母さんも海道さんなら文句ないはずだから」
「言われなくてもそのつもりよ」
なんなら毎週末来てやろうか。いや、いくらなんでもそれは矢来さんのお母さんに迷惑だからやめておこう。
「私の話は服のことだけ。さ、矢来さんも早く着替えなさい」
「はーい」
元気よく返事をして矢来さんは再度衣装ケースに向き直った。あらかた見当は付けていたのかすぐに上着を見繕う。
「よし、準備完了!」
「いや、あなたメイクは」
「そこら辺に行くだけだよね? なくても大丈夫だよ」
「……これだから顔がいい女は嫌いなのよ」
「大丈夫! 海道さんも可愛いから!」
「はいはい」
私の天邪鬼な言動も持ち前の前向き精神で受け止めた矢来さんは私を褒めるけれど、いくらなんでも私はスッピンで外に出たくない。
私だってそれなりに整った顔立ちをしている自覚はあるけれど、隣で歩くのが矢来さんとなると多少の武装をしないと居たたまれなくなってしまう。
「じゃあ、私はメイクするから。洗面所借りるわね」
「どうぞー」
どうやら本当にメイクをする気はないらしく、矢来さんは私を見送った。
一人洗面台の前に立った私は、いつも持ち歩いている化粧ポーチから道具を取り出してメイクに取り掛かる。
矢来さんも昨日は軽くだけどメイクをしていたはずだ。繫華街へのデートだからだろうか。
今日だって私と連れたって外出をするのだけど、矢来さんの基準はよくわからない。
しかしまあ、あの子は贔屓目なしにノーメイクでも問題ないだろう。
そう思うと、今もせこせこと手を動かしているのが虚しくなってきた。いくら好きな人であっても、女としてムカつくものはムカつく。それが持たざる者のひがみであってもだ。
「お待たせ」
とはいえ私だってそこまで完全武装をするつもりもないし、矢来さんほどじゃないにしろ素材で勝負はできるので軽めのメイクで済ませ矢来さんの部屋へ帰ってきた。
「メイクをした海道さん可愛い!」
「はいはい、ありがとう」
ぶっちゃけ矢来さんは私がどんな見た目をしていようが、可愛いと褒めてくれるだろう。
つまり矢来さんの可愛いは安い言葉だ。
だけど、そう頭では理解していても嬉しいものは嬉しい。思わず頬が緩んでしまう。
「じゃ、準備もできたことだし行きましょうか」
「おー!」
掛け声と共に矢来さんが腕を差し出してくる。
手を繋ぎたいのかな、と解釈した私はその手を取った。
「違うよ。海道さんは、こう」
だけど、矢来さんが想定していたのとは違ったようでぱっと手を離される。
そして、私は腕で輪っかを作らされそれを矢来さんの腕に通す形に。
どうやら矢来さんは腕を組みたかったらしい。それならそうと先に言ってくれればいいのに。しかし、私が腕を組む側なのか。まあ身長的には理にかなっているけど。
「これでよし! さ、行こっか」
「ええ。……なんで家の中から腕組んでるのかはわからないけど」
「鉄は熱いうちに打て、とか善は急げとか言うよね」
「う、うーん?」
わかるような、わからないような。
でも、今の段階から腕を組んでたら……。
私たちはそのまま玄関へ。そこで、何かに気づいた矢来さんが動きを止める。
「このままじゃ靴履けないよ!」
そうなると思ったわ。
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