第54話
矢来家の食卓を見たのでわかっていたことではあるけれど、矢来さんの食べっぷりは本当にいい。それは量だけに限らずスピードもだ。食べ方は綺麗なのに、一口が大きいのか私の倍程の速度で食べ進めている。
「……美味しい? って聞くまでもなさそうね」
私に声をかけられた矢来さんは咀嚼を終え、ロイヤルミルクミルクティーで一息ついてから話始めた。行儀がよろしいことで。
「滅茶苦茶美味しいよ! なんなら、お変わり頼もうかなってぐらいには」
「定食屋じゃないんだから。だけど、よかった。気に入ってもらえて」
苦節数日、ついに矢来さんへとパンケーキをお届けできた。
「まさかうちの近くにこんなお店があるなんてね。持つべきは情報提供してくれる彼女……!」
「その情報、完全に横流しだけどね」
「また新しいお店を小波さんに教えてもらったら、わたしも連れて行ってね」
「もちろんよ。なんなら、唯を交えて三人で行ってもいいけど」
「おお! ……おお?」
唯の名前を出すと、矢来さんは嬉しそうに笑った……かと思えばすぐに笑みをどこかへ引っ込めて悩ましそうに眉をひそめた。
「どうかしたの? もしかして、唯と一緒は嫌だった?」
もっとも矢来さんが唯を嫌っている様子はない。おおかた、別の理由があるのだろう。
「そ、そんなことはないよ! 小波さんともお喋りしてみたいなって前から思ってたから」
「まあ、でしょうね。でも、だったら何を悩んでるの?」
「あのね、もちろん小波さんともお出かけはしたいんだけど、海道さんと二人じゃなくなるのもなーって……。でもそれを小波さんと仲良しな海道さんに言うのもあれかなって」
言いづらそうに、それでいて矢来さんは真っ直ぐ私の目を見て言った。
私と二人きりの時間が減るのが嫌だなんて、何とも可愛らしい理由だことで。
そんな風に言われたら、親友の唯であろうと放り出してしまいそうだ。
「別に毎回じゃないわよ。私だって、矢来さんと二人の方がいい時だってあるし」
「な、なら小波さんとも遊んでみたいかな」
「わかったわ。ま、唯がいいよって言ったらだけど」
「断られたらわたし泣いちゃうよ」
「唯から矢来さんのこと嫌いなんて話聞いたことないから大丈夫よ」
「小波さんとは本当に仲がいいんだね?」
「まあ、ね。中学も一緒だし、唯になら何でも話せる……」
と、そこまで口にしてから思い当たることが。
「ていうか、ごめん矢来さん。私、矢来さんとのこと唯に話しちゃった。まだ付き合う前だから、お互いに好き合ってるってところまでだけど」
「うん? それって謝るようなことなのかな」
「私が矢来さんを好きなことはともかく、矢来さんが私を好きなことまで勝手に教えちゃったから」
「わたしは隠してる訳じゃないから全然いいよ」
「なら、いいのだけど」
「むしろ、小波さんにちゃんと報告した方がいいと思うよ。わたしと付き合うことになったって」
「それもそうね」
矢来さんと付き合うことになったあの日のデートだって、唯が根回ししてくれていたからこそ、いつものグループでの約束を反故にできた。
それに、私が矢来さん好きだと聞いても唯は笑わなかった。ともすれば友達を辞められていた可能性だってあるのに、唯は何でもないような反応をしてくれた。
「小波さん、わたしと仲良くしてくれるかなあ」
「そんなに心配するようなこと?」
「海道さんを奪ちゃったからね」
「矢来さんが私を奪ったのは、翔也からだけど」
「はっ、そうだった。殺されないかな、わたし。その……あれ、わたしその翔也さんの名字知らないや」
同じクラスになったことがないとはいえ、カースト上位の翔也の名字すら知らないなんて、やっぱり矢来さんは浮世離れしている。
「相崎、よ。でも、あいつのこと名字で呼んでる人いないから知らなくても無理は……いや、無理があるわ」
「相崎君ね! 覚えた!」
矢来さんが翔也の名字を覚えたところで活用するタイミングはなさそうだけど。
まさか、貴方の彼女略奪しました! なんて煽るわけでもあるまいし。
というか、翔也のこと忘れていた訳ではないけど、なんというか今後どうやって別れるかとか全然考えてなかった。
だけど、翔也にはちゃんと理由を言った方がいいとは思っている。きちんと、矢来さんと付き合うことになったから別れたいと。
それが本意ではなかったにしろ、恋人であった人への敬意だろう。なんて、現在進行形で浮気している私が言ったところで滑稽だが。
まあ、とにかく翔也は私の問題であって矢来さんには関係ない。そりゃ、形式的には矢来さんが私を翔也から奪い取ったように見えるけれど、実際は私が移り気しただけだ。
「じゃ、唯に話し通しておくわね」
だから話題を唯のことに戻した。
「吉報を待ってるよ!」
「なら頑張って徳を積んでおくのね」
「徳かあ……。はい、海道さん、あーん」
矢来さんは切り分けた自身のパンケーキにクリームとマンゴーを乗せたものをフォークにぶっさして私に差し出してきた。
「それは徳に入るの……? もらうけど」
疑問に思うものの、断る理由もないので有難くいただくことに。
多分これは矢来さん基準の一口なんだろう。口がいっぱいいっぱいになる。
イチゴとは異なる若干タンパクなマンゴーの甘味とマカダミアナッツのカリカリとした食感が楽しい。
だけどやっぱり私の口には多すぎる。頑張って咀嚼して、最後はアイスコーヒーで流し込んだ。
「ふぅ……ありがとう、美味しかったわ」
「それは何よりだよ。……あっ、海道さん動かないで」
「ん、なに――」
私の言葉を待たずに矢来さんは机越しに身体を乗り出して接近してきた。そして指がこちらに伸びてくる。矢来さんの細い人差し指はそのまま、私の口元に触れて何かを拭っていく。
「ほら、生クリームが」
「そんなベタな……」
「ぺろっ」
指先に付着した生クリームを矢来さんがピンク色の舌を出して舐めとった。
「はしたないわよ」
と注意をしながらも、私は内心少しドキドキしていた。よく少女マンガでこういうシーンがあるけれど、いざ自分が直面すると結構くる。
あと、私はどうも矢来さんの舌に、なんというかこう、劣情を抱いてしまうらしい。
私と矢来さんの関係の始まりがキスだからだろうか。何か刷り込みめいたものを感じる。
「これで善行ポイント貯まったかな」
「海道ポイントなら貯まったんじゃない?」
「わたし的にはそっちのほうが重要だからなお嬉しいよ。ちなみに貯まったポイントは何と交換してもらえるの?」
「愛とか?」
「それは無償であってほしいな……」
しんみりと矢来さんはぼやいた。
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