第49話
矢来さんの作ってくれた朝ごはんを食べた私たちは、再度矢来さんの部屋に戻ってきていた。敷いたままの布団に二人で並んで、ダラダラタイムだ。
隣で猫のように丸くなっている矢来さんの髪に指を通す。それに気づいた矢来さんは、甘えるように私へ身体を寄せてきた。
そのまま矢来さんは私に覆いかぶさるように近づき、唇に軽くキスをする。
肌寒い部屋にいる身体がポカポカと熱を帯び始める。
陽気の中で微睡むような、心地よい感覚。
そっと顔を離した矢来さんは、私と目を合わせてえへへと顔を綻ばせた。
これが現世に顕現した桃源郷かと思ってしまうような、幸せな時間だ。
「そういえば」
耳元で矢来さんが思い出したように切り出す。
「どうしたの?」
「いきなりなんだけど、思い出したことがあってね」
少し待ってみても、矢来さんは続きを語らない。
「何か言いにくいこと?」
「そういうわけじゃないんだけどね。ほら、前にわたしが中学時代は寮でルームメイトがいたって話したでしょ?」
「あ、ああ……。あれか……」
思い出したくない、わけではないけれど。
私は矢来さんから中学時代の話を聞いて、嫉妬して、矢来さんに当たってしまった。
「あの時はごめんなさい。急に怒って」
今更にもほどがあるけど、謝っておく。一応、昨日のデートが贖罪ということにはなっていたが、言葉にしておくのも大事だろう。
「ううん、大丈夫だよ。あれって、ようは海道さんがわたしのこと好きだからヤキモチ焼いちゃったんだよね」
「まあ、そういうことになるかしら。あの瞬間は、自分でも何で怒ってるのかわからなかったけど」
「だけど、嫌なものは嫌だもんね」
矢来さんが私の背中をそっと撫でる。理不尽な怒りを矢来さんにぶつけたのは私なのに、何故かあやされていた。
「あの時、すぐに追いかけてきてくれて嬉しかった」
「えへへ、まあ足の速さには自信があるからね」
珍しく矢来さんが照れたように、見当違いな返事をする。
「あのまま海道さんを行かせてたら、もうお話できない気がしてね。それは嫌だなーって思ったら、知らない間に家から飛び出してたよ」
「矢来さんのそういうところ、羨ましいわ」
考えるよりも先に行動をする。言葉にするなら簡単だけど、普通の人なら色んな思考が邪魔をしてすぐに足は動かない。
だけど、矢来さんは最速最短で私のもとへ駆けつけてきてくれた。
私にとっての白馬の王子様だ。なんて、恥ずかしくて矢来さんには言えないけど。
「それを言えば、昨日は海道さんもわたしを追いかけてきてくれたよね」
「私たち、追って追われてしてたのね」
「えへへ、だけどわたしはもう逃げないから」
「私もそのつもりよ」
矢来さんとギュッと手をつなぐ。指と指を絡めて互いの存在を確かめるように握りあう。
相変わらず矢来さんの手は私よりも少し冷たい。
だけど私の熱が伝播したのか、段々と温かくなって最後には私の手よりも熱くなっていた。
それもそのはずで、矢来さんはやたらと私の手を強く握っている。力んでいるから熱くなって当然だ。
「どうしたの? そんなに力入れて」
「え、あ、ごめんね。痛かった?」
「いいえ、それは大丈夫よ。ただ、どうしたのかと思って」
「……なんとなく、離したくないなって」
「心配しなくても、もう逃げないわよ」
「そうだよね」
言葉では納得してくれたものの、矢来さんはやはり手を離さない。
まあ、矢来さんがそうしていたいのなら私は文句を言うつもりはない。
「そういえば、話戻しちゃうんだけど」
「なあに?」
「私が矢来さんに当たっちゃた原因のことでね」
ここ数日は怒涛の展開すぎて失念していたことだ。
「そのルームメイトって、見崎優さんであってる?」
見崎優――先日矢来さんの家に訪れていたお嬢様然とした美少女。
加えて、私の実妹である調にできた初めての恋人だ。
十七年しか生きていない私が言うと薄っぺらいが、人生とは数奇なものだと思う。
というか、登場人物が少なすぎる。世間は広いようで狭い。
「えっ、どうして海道さんが優の名前知ってるの!?」
「……言っておくけど、ストーカーとかじゃないからね」
「……そんな疑いは持ってないよ」
だったらどうして目が泳いでいるんだろう。
一応、矢来さんがルームメイトについて話してくれた時、名前だって出していたのけど。
「驚かないで聞いてほしいんだけど」
「そう前ぶりするってことは、驚いたほうがいいのかな」
いまいちシリアス感が足りない。いや別に重たい話でもないのだけど。
「その見崎優って子が、私の妹の恋人になったのよ」
「え、ええええええ!」
やたらオーバーなリアクションで矢来さんはビックリしていた。でも、これは矢来さんの素だ。この衝撃の事実を矢来さんが淡々と受け流していたら、そっちのほうが怖い。
「た、たしかに優は女の子の恋人ができたって言ってたけど……」
「それがうちの妹だったのよ。この前、挨拶されてね」
「そっかあ。じゃあ、ある意味わたしたちは姉妹そろって恋人どうしなんだね」
「ルームメイトの先輩後輩は姉妹って呼ばれてたんだっけ」
「そうそう。だから、わたしたち欧州情勢並みに複雑怪奇な関係だね」
「何を言っているのかわからないけど、まあごちゃついてるわね」
だけど、矢来さんが一年間一緒にいた相手ならあまり心配する必要はなさそうだ。
見崎さんと喋った際は、どうも遊びなれている雰囲気を感じたけれど。
よくよく考えたら、お嬢様学校に在籍している子がそんな爛れた人間関係を持ってきたとも思えない。
「でも、そっか。妹さんの恋人が優かあ……」
しかし、どうも矢来さんは何かひっかかるようで眉をひそめていた。
「何か問題があるの?」
「問題、っていうかね。優はもちろん良い子なんだよ? わたしのことはお姉様お姉様って慕ってくれてたし」
語られる内容とは裏腹に矢来さんの歯切れは悪い。何かを言えずにいるのがありありと伝わる。
「だけど、あの子、ちょっと……女癖が悪いっていうか」
「あ、ああ……」
安心したのも束の間、どうやら私の心配事はあながち間違いではなかったらしい。
私が見崎さんに度々覚えていた違和感の正体。
それは矢来さんの言葉で証明された。
「海道さんのその様子だと気付いてた感じかな?」
「まあ、ある程度は。慣れてるのかなって、雰囲気でね」
「ベテランもベテランだよ、優は。……優に泣かされた女の子は数知れないからね」
「え、ええ……」
「でもそっかあ。マリ女が駄目なら、外の子に手を出したかあ」
「マリ女が駄目ならって言うのは……?」
「マリ女で優は良くも悪くも有名になりすぎたんだろうね」
「近づくと取って食われるぞって?」
「そういうことだね」
しんみりと矢来さんは頷いた。
対する私は、いよいよもって調が心配になっていた。正直、今すぐにでもこの事実を教えてあげたい。
だけど、調にそれを伝えてどうしたいのか、という疑問もある。
私は調に見崎さんと別れてほしいわけじゃない。なら、わざわざ姉とはいえ外野が口を出す必要はないんじゃないか。
グルグルと思考が巡る。
「だけど、優がそうなちゃったのはわたしのせいでもあるんだよね」
眩暈を起こす脳に、矢来さんの声が割り込んでくる。
視線を矢来さんに向けると、沈痛な面持ちをしていた。
「それは、どういう……」
「話せば長く……は、ならないか」
矢来さんはそう前置きしてから語り始めた。
矢来さんと見崎さん、二人の間にマリ女の中学時代、何があったのかを。
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