第48話

 カーテン越しに薄っすらと差し込む陽の光を感じて目を覚ます。

 秋も中盤を過ぎ、早朝はもう寒い時期。それでもこのモコモコとした着ぐるみパジャマは暖かい。

 矢来さんはどうしてるかな。

 まだ寝ていたら申し訳ないのでゆっくりと身を起こす。

 しかし私の心遣いは無駄に終わった。

 隣の布団は、掛け布団がしっかりと畳まれた状態でとても人が寝ているとは思えない。

 どうやら矢来さんは私よりも早く起床してどこかへ行ったみたいだ。

 前は、私が目を覚ますと矢来さんに抱きつかれていたのに。

 なんだか、ちょっと寂しい。

 そんな感慨を覚えるように私はなってしまったらしい。人を好きになるというのは甚だ恐ろしいことだ。

 

「……ん?」


 トイレに行こうと立ち上がり、襖を開いたあたりで、ふと鼻腔をくすぐる匂い。

 日本人には馴染み深い味噌の香りだ。

 なるほど矢来さんが私よりも早起きしたのはそういう訳か、と一人合点しながら私はリビングへ。

 予想通りそこにはエプロン姿の矢来さん。


「あ、海道さんおはよう。ごめんね、起こしちゃったかな?」


 私の姿を認めた矢来さんがこちらに振り向く。長い髪は頭のてっぺんから一つ結びにされていて、さながら新妻だ。これが私の妻です。


「ううん、大丈夫。普通に目が覚めただけだから」

「そっか、それならよかったよ。ご飯、もうちょっとで出来るからね」

「なんか悪いわね……」

「お料理はわたしの数少ない取り柄だから!」

「そう? 他にもいい所あると思うけど」

「例えば?」

「……顔とか」

「たしかに! そういえば、わたし可愛いね」


 朝からなんて馬鹿な会話してるんだろう。

 こんな惚気話にもならないお粗末な話、他の人に聞かれてたら……。

 と、考えてから気付く。


「あれ、そういえば矢来さんのお母さんは?」

「休日出勤だって言ってたよ。わたしが起きたらいなかったから、朝ごはん抜きだねあれは」

「ああ……ご苦労様です」

「可哀想だから、今日の晩はお母さんのリクエスト聞いてあげようと思ってるんだ。あ、海道さんも食べていく?」

「いや、流石に帰るわよ。明日は学校だし」

「じゃあ一緒に住めばよくない?」

「なにがじゃあなの。接続詞の使い方おかしいわよ」

「そしたら、毎日一緒にご飯食べて毎日一緒に寝て毎日一緒に学校に行ける!」


 ……なるほど。と思いかけた自分を制する。

 矢来さんの語る理想は確かに魅惑的だ。というか、実現可能なら私だって迷わず頷く。

 だけど、現実はそうじゃない。

 私には私の家があるし、矢来さんだってそうだ。

 

「まあ、そのうち一緒に住めばいいでしょ」

「大学生になったらだね!」

「それは怪しいけど」

「どうして?」

「あなた、私の数倍成績いいじゃない」

「東京とか大阪なら狭い範囲に色んなレベルの大学あるから大丈夫だよ」


 あくまで私に成績を上げろと言わない矢来さん優しい。


「ていうか、もう受験のことも考えないといけない時期よね……」

「そういえば前に文系か理系、どっちにするか聞いた時は答えてくれなかったよね。今ならどう? 教えてくれる?」


 料理は作り終えたのか、火を止めこちらに振り向いて矢来さんが問うてくる。


「ああ、そんなこともあったわね」


 だけど、あの時は別に矢来さんに意地悪で黙秘したわけじゃない。

 私の答えによって矢来さんの選択が変わることを避けたかった。

 それは今も同じだ。

 だから、私は今回も答えあぐねてしまう。


「ちなみにわたしは理系のつもり……というか、もう決めてあるよ。だから海道さんについていくってことはないから、気軽に言って大丈夫だよ」


 そんな私を見かねてから、矢来さんが先んじて理系に進むと宣言をした。

 

「……私は文系よ。だから、まあ……」

「あちゃー、来年はクラス別々だね」

「うん……」


 矢来さんに進路を教えないと決めたのは私なのに、どうしてか自分でもびっくりするくらいに落胆していた。

 二年生は言っている間に終わってしまう。私と矢来さんが同じクラスで過ごせる時間は、もう僅かしか残されていないのだ。

 幸いなことに、修学旅行は二年生の二月にある。裏を返せば目ぼしい行事はそれくらいで、その後は別々のクラスになる。


「なら、一緒の学校生活楽しまないとだね」


 朝食を盛り付けた皿をダイニングテーブルに配膳しながら、矢来さんは私とは対照的に明るく言った。

 

「あ、でも学校じゃあ海道さんとお話できないか」


 それもそうだ。私は学校には学校の友達がいる。彼らをいきなり放って矢来さんとばかり過ごすというのは、言葉では簡単だけれど実際は難しい。

 型が決まったグループはすぐには抜け出せないのだ。

 

「なんとかする。なんとかするから」


 だけど、それで諦めるわけにはいかない。

 ただでさえ短い矢来さんと一緒の教室で過ごす時間を、遠目で見ているだけなんて嫌だ。


「別に無理はしなくてもいいんだよ?」

「無理……そうね、確かに無理はするかもしれない」

「なら」

「でも、私がそうしたいの。教室で矢来さんと話したいし、一緒にお昼ご飯……は唯もいるかもだけど」

「あはは。まあ小波さんとは仲いいもんね」

「とにかく、矢来さんと一緒にいられないのは嫌だから、なんとかする」

「そっか。えへへ、わたしはそう言ってもらえるだけで嬉しいよ」


 あくまで、矢来さんは私に無理強いをするつもりはないらしい。だけど、さっきも言ったようにこれは私の覚悟だ。

 今所属しているグループ――ひいては翔也とのこと。訣別なんて言い方は大袈裟かもしれないけれど、とにかく私は動かないといけない。

 矢来さんとのことを公表するかはさておき、私は変化しなければならない。

 

「とりあえず、ご飯食べちゃおっか」

「あ、そうね」


 既に配膳を終えた朝食を前に、少し話し込んでしまった。


「いただきます」

「はーい、召し上がれ」


 矢来さんお手製の朝食を口にしつつ、私は今後について考えるのだった。

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