第37話

「うーん、可愛い。はい、じゃあ次はこれ!」


 試着室から出た私を見定めた矢来さんは、次なる衣服を手渡してくる。おずおずとそれを受け取った私は、再度試着室へ。

 この服で何着目だろうか。途中から数えるのをやめていた。私が試着室から顔を出す度に、矢来さんは新しい服を持っている。

 完全に着せ替え人形だ。

 花柄があしらわれた、ガーリーな秋物のワンピースに袖を通す。

 その姿は、ハッキリと鏡に写っていた。

 やっぱり、我ながらこういうフェミニンな服は似合わない。目が笑っていないんだろうか。

 あまりマッチしていないこの格好を矢来さんに見せるのは躊躇われた。だけど、見せないと文句を言われること請け合いだ。


「……どうでしょうか」


 緩慢な手つきで私はカーテンを開く。私を待っていた矢来さんは、やはりまた別の服を手にしていた。


「……」


 試着室から出てきた私を、矢来さんは言葉なく頭のてっぺんから爪先までを何度も往復するように見回してくる。

 いくら矢来さんが相手でも居心地が悪い。


「……もういい? これ、あんまり似合ってないでしょ」

「ふぇ……? あ、ごめんね。見惚れてた」


 この子は、すぐそういう歯の浮くようなことをサラッと言いのける。そしてそれを満更でもないと思っている自分がいるのもまた事実。

 さっきまでは似合っていないと信じ切っていたのに、矢来さんがそう言うのならと納得してしまいそうだ。


「それ、すっごく可愛いよ。今日一番」

「今日一番って、あなた何回言った?」

「毎回言ってるね」

「褒めてくれるのは嬉しいけど、流石に優劣ぐらい付けた方がいいと思うわよ」

「でもでも、ホントに全部似合ってて」

「うん……。ありがとう」


 多分、矢来さんは本気でそう思っているんだろう。

 というか、ぶっちゃけ私が何を着ていようと、それこそ幼稚園のスモックとかでも絶賛されそうだ。


「あ、でも、今着てるのが本当の本当に一番かな。他のやつも、もちろん可愛いかったんだけど」

「へぇ、これが? 自分では、あんまり似合ってないと思うんだけど」


 ひらひらと裾をはためかせながら、ぐるっと一周してみる。その動きまでもが、私には不釣り合いな気がした。こんな可愛い動作をする人間ではない。


「うーん、なら海道さん的には自分でどれが合ってると思ったの?」

「そうねえ」


 試着室のハンガーに掛かっている今まで試した服たちを見定める。そして、私は一つの上下セットを手に取った。


「これとか?」


 パンツとジャケットがセットになったもの。オフィスカジュアルっぽいそれを、私は矢来さんに掲げる。


「あ、それか。うんうん、それもいいよね。海道さんのカッコよさが際立つというか」

「……まあ、カッコいいかどうかはさておき、私は普段ガーリーなのは着ないから」

「どうして?」

「そりゃ似合わないからよ」

「そうかな? わたしは、自分にどっちも似合うと思ってるけど。だから、どっちかしかダメってことはないと思う」


 そりゃ、あなたは顔が良いからでしょう……。どんな格好をしていても様になる人の意見なんて参考にしたら、恥をかくのは私だ。


「それにね、海道さんには可愛い系を着てもらわないと困るんですよ」

「困る?」

「そう、困っちゃう。だってわたしは海道さんと会う時は海道さんポイントを貯めるべく、今日みたいなパンツスタイルなわけですよ」


 やっぱり私ウケのためだったのか。その判断は正しい。百億ポイントぐらい進呈したい。


「統一感があっていいじゃない」

「それはそうなんだけど……。海道さんには、もっと女の子っぽい格好をして欲しいというか」

「むぅ……」


 今度は私が困る番だった。

 矢来さんにそんな風に言われたら、叶えてあげたくなる。

 私が矢来さんのカッコイイ服の方が好きなように、矢来さんは私の可愛らしい格好が好みなんだろう。

 そして矢来さんは私の好みに合わせた服を着てきてくれた。


「わかったわ。そこまで言うならこの服を買って、矢来さんとお出掛けする時は着てくる」


 言いながら私は値札を確認する。普段から利用している店だ、予想の範疇の数字が並んでいた。


「ホントに!? え、ならわたしがそれ買うよ! わたしのワガママなんだし」


 オモチャを買ってもらえることになった子供みたいな顔で矢来さんが近づいてくる。


「いやいや、私の服だし……」


 それにあれだ。私の家の方が裕福だ。流石にこれは言えないけど。


「な、なら他の服! 他の可愛い服を海道さんにプレゼントって形で」

「矢来さんからプレゼントを貰う理由がないわよ」

「誕生日!」

「十二月だからまだ先」

「お友達になった記念!」

「それはなんか虚しい」


 友達料じゃないんだから。


「どうしたら受け取ってくれるのさー」

「……まあ、矢来さんが焦る必要はないと思う」


 どうせ、これからは矢来さんのためにガーリーな服を集めることになるだろう。

 あれ程までに避けていたジャンルを着るようになるなんて、恋は人を随分と変えるらしい。魔改造もいいところだ。


「ん、どういうこと?」

「そのうちわかるわよ」


 言って、私はカーテンを閉めて元着ていた服に戻る。

 そうしてワンピースを脱ぎ捨てたあたりだった。

 唐突にカーテンがほんの少しだけ開き、試着室に侵入してくる不審者が。


「……なに? いくら私のこと好きでも、覗きはちょっと」


 もちろん矢来さんである。違ったら絶叫していた。


「一緒にお風呂入ったことあるのに、今更覗きなんてしない!」


 それはそれで、下着姿の私に失礼じゃない?


「そうじゃなくて、そのワンピース、そのまま着ていかないの?」

「え? あー、どうだろ。多分、今日の靴には合わないと思う」


 このワンピースにはパンプスかスニーカな気がする。


「そっかあ。それは仕方ないね、ってことでこちらの靴をプレゼント!」


 恐らく、私の回答をを予見していたのだろう。矢来さんは背後に隠していた、Vカットのパンプスを差し出してきた。


「ちなみにこちら精算済み!」

「もう……。プレゼントはいいって言ったのに」

「だって……。次、いつデートできるかわからないし。だったら、今日でやりたいことはやっておきたいっていうか」

「デートくらい、いつでもしてあげるのに」

「そうなの!?」


 私の言葉で途端に目を輝かせ始めた矢来さんから、パンプスを受取る。まあたしかに、これならワンピースにも合うだろう。


「なら、私は着替えるから」

「うん」


 矢来さんは鷹揚に堂々と頷く。


「いや、うんじゃなくて。出ていってって意味なんだけど?」


 なぜか矢来さんは試着室から出ていこうとしない。狭い箱の中に、私たちは詰められていた。


「大丈夫だよ。海道さんの身体は見られて困るものじゃない」

「私は困るんだけど」


 そうだ。よく考えたら、私は今、矢来さんの前で下着姿になっている。

 それを自覚すると、途端に羞恥が生まれた。たしかに、一緒にお風呂に入ったことはある。だけど、あれは風呂だ。裸の付き合いをして当然の場。

 しかし今は違う。ここはアパレルショップの試着室。そんな場所で、下着姿のまま対面しているのはどう考えたっておかしい。


「……とにかく! 出てって!」


 このままでは、羞恥やら情欲やらが綯い交ぜになって煮詰まりそうだったので矢来さんを無理やり試着室から追い出した。

 なんか文句を言っていたような気がするけど、私は悪くない。覗きとかいう変態行為に及んだ矢来さんが悪い。

 私は一つ嘆息を挟んでから、再度ワンピースを手にした。

 そして鏡を見る。やはり、あまり似合っている気はしない。

 それでも。

 ギュッと裾を握って、外に出る決心をした。

 矢来さんが可愛いと言ってくれるのなら、それでいい、というかそれに勝ものはない。

 やっぱり、私はおかしくなってしまった。

 誰のせいか。なんて言うまでもない。

 試着室を出た私は、足元に履きやすいように置かれていた、矢来さんが買ってくれたパンプスに足を入れる。

 お目当ての格好になった私を、矢来さんは顔を赤くしながら見入っていた。そこまでガン見されるとむずがゆいけど、悪い気はしない。

 口を開いて呆けた顔をする矢来さんに、私は言う。


「ちゃんと責任取ってちょうだいね」


 私をこんな風にしてしまったのだから。


「せ、責任? なんのこと?」


 曖昧な言葉を投げられた矢来さんは、私から目をそらすことなく首を傾げた。

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