第36話

 パスタを胃袋に収めた私たちは、店内が混み合い始めたのを確認したので雑談もそこそこに店を出ることにした。

 昼食前まではまばらだった店先の人通りも目に見えて増えている。子供なら、本当に迷子になってしまいそうだ。

 そんなことを思っていると、私の左手が矢来さんの手に取られる。

 一度許可を出したからか、今度は何も言わず手を繋いできた。ちらりと目線をやると、矢来さんは想像通りニコニコと顔に花を咲かせている。


「さ、次はどこ行こっか。海道さんはどこか希望ある? 場所じゃなくても、歩きたくないとかでもいいんだけど」

「遊びにきてるのに、歩きたくないなんて言う訳ないでしょ……」

「そう? 結構気合い入ってるブーツ履いてるみたいだから、歩くのしんどいかなって」


 ……目ざといな。たしかに、今日は普段は履かないような踵の高いブーツを選んだ。

 いたく気に入って買ったはいいものの、足への負担が大きいから滅多に靴箱から出すことはなかったもの。

 それこそ、翔也とのデートでこれを履いのは初回の一度きりだ。

 だけど、その時矢来さんのように気を遣われた覚えはない。

 矢来さんは彼氏より彼氏力があるらしい。

 まあでも、ブーツがしんどいなんて女じゃないと知らないだろうから、翔也を責めるつもりもない。

 それでも、こうやって気を回してくれるのはやっぱり嬉しい。ちゃんと、私のことを見てくれているんだなと実感する。


「まあ、しんどくないと言えばウソになるわね」

「だったら、どうしよう。映画とか?」

「でも、私だって今日は歩き回る可能性があるとわかっててこの靴を選んだから。そういう遠慮は大丈夫よ、ありがと」

「そっか。海道さんがそう言うなら、気にしないけど。でもでも、辛くなったらすぐ行ってね? 休憩挟むし」

「ええ。今更あなたに遠慮するつもりもないから」


 なんてのはとんだ出まかせだ。

 たしかに、これまでの私なら矢来さんに遠慮なんてするつもりもなかっただろう。

 でも、今の私は矢来さんに見栄を張る気満々だ。

 でないと、そもそも矢来さんと会うだけのためにこのブーツを履いてこない。

 だけど、今の私にはその理由がある。ほんの一瞬でもいい、僅かでもいい、可愛いと思ってくれたら。そんな些細な願いが靴箱の奥へ私の手を誘った。


「でも、矢来さんがそんな風に気を回してくれるなんてね」

「そこ、驚くところ?」

「驚天動地もいいところよ」

「……わたしだって、そのくらいの分別はあるよ」


 矢来さんはむすっとした表情になる。

 だがそう言われても、矢来さんに慎ましさはやはり似合わない。傍若無人、その言葉が矢来さん以上に似合う人を私は知らないし、今後出会うこともないだろう。

 だからこそ、だろうか。やはり今日の矢来さんはどこか様子がおかしいように思う。

 なんというか、変に気を遣われている。

 手を繋ぐにしてもそうだ。今までは勝手に私の手を奪っていたくせに、今日に限っては私の許可が降りるまで我慢していた。

 以前、私に学校で話かけないのは、私に迷惑がかかってしまうからだと矢来さんは語っていた。それと似たようなものだろうか。

 だとしたら、その誤解は早急に解いておきたい。

 

「……とりあえず、歩こっか」


 私の手を引いて矢来さんは足を踏み出そうとする。それに私はついていかない。そのせいで、腕を少し引っ張られる。


「海道さん? どうかしたの?」


 腕を引いてもついてこない私を、矢来さんが心配そうに見てくる。


「やっぱり、ブーツしんどいんじゃ」

「あのね、矢来さん」


 私はかけられた言葉を遮って口を開く。唐突に改まって名を呼ばれた矢来さんは、鳩が豆鉄砲を食ったようにキョトンとした顔をする。

 ああ、だけど。

 啖呵を切って、口を開いたものの続く言葉が見つからない。言いたいことは決まっているけれど、適切な文章は頭になかった。


「あー……なんというか。その、私は矢来さんが思ってるよりは、矢来さんのこと、気に入ってる……はおかしいか。なんだろう、仲良く思ってる、から」

「え、ああ、うん。ありがとう……?」

「だから、じゃないんだけど……。矢来さんはいつも通りでいいと思うの。いつも通り、我儘で向こう見ずで無鉄砲で」


 これだけだと悪口みたいだ。急いで言葉を継ぎ接ぎする。


「もう今更そういう矢来さんを見せられても、私は幻滅とかしないし、嫌いにもならない。だから、その、矢来さんは矢来さんの方がいいと思う。私に遠慮とかして、縮こまってるより」

「海道さん……」


 目を何度も瞬かせ、矢来さんはジッと私の顔を見入る。

 大丈夫、だろうか。変なこと言ってない? いや、変なことは言っている自覚はある。ただ、引かれてたりしないだろうか。


「海道さんは、いいの? 騒がしい子は嫌いじゃない?」

「別に、今更よ。むしろ、遠慮がちな矢来さんを見てる方が怖い」


 それに寂しい。


「ま、まあ! 海道さんがそう言うなら仕方ないよね!」


 わざとらしい気もするが、矢来さんは明るい声を出す。なんだか空元気にも見えるけど、ひとまず私の想いは通じたようだ。


「それを踏まえて、矢来さんは私をどこにエスコートしてくれるのかしら」


 私に発破をかけられた矢来さんは、唇に指先を当てて思案し始めた。それだけで絵になるのだから、困ったものだ。見ているだけでドキドキしてくる。


「……わたし、友達と呼べる人がいなかったから、お出掛けってどうしたらいいのかわからないや」

「……」


 カッコイイ見た目とは裏腹に返ってきた答えは、ダサいというか可哀想なものだった。

 それからもうんうんと矢来さんは唸る。

 だけど、よく考えたら今回のこのデートは私が矢来さんへ贖罪するために組まれたもの。つまり本来矢は来さんのためにあるはずだ。つまりエスコートすべきなのは私の方。


「なら、私がいつも唯と回ってるコースでいい? と言っても、ただのウィンドウショッピングだけど」

「うん! 海道さんに任せちゃう。だ、だけどね」


 返事とともに、矢来さんは繋いだ手をギュッと強く握ってきた。少し痛いぐらいに。


「なあに?」

「今日は、わたし以外の女の子の名前は出さないで欲しいな」


 真っ直ぐと私の目を見て矢来さんは言い切った。それはつまり、嫉妬だ。

 私が親友である唯の名を出したことで、矢来さんの心に陰が生まれた。それはまるで、矢来さんと見崎さんとの関係を聞いた時の私のようで。

 それをぶつけられるのは、こういう感じらしい。

 矢来さんには申し訳ないけど、今の彼女はいじらしく愛らしい。


「……そうね、ごめんなさい。今日は、矢来さんとデートしてるんだものね」

「そうだよ。不倫はよくないよ」


 不安そうな表情はどこへやら、矢来さんはすぐに軽口を叩いてみせた。きっと、まだ心にモヤモヤは残っているだろうに。あんまりグズグズ言っていると、私に愛想を突かされると思っていそうだ。


「しかし、不倫か……」


 そうだった。これは不倫デートだ。

 私には形式上とはいえ、翔也という彼氏がいるのに他の子とデートに及んでいる。

 これが女友達同士ならいざ知らず、私は矢来さんのことを恋愛的に好いている。

 れっきとした、不倫だった。


「そういえば、海道さんって彼氏さんいたよね?」

「え、ああ。うん」


 まさか矢来さんから翔也の話題が飛んでくるとは思わず、少し上ずった声が出る。


「もう別れた?」

「え、まだ……だけど」

「そっかあ。学校で全然お話してないみたいだから、てっきり」

「よく見てるわね……」

「まあね。でも、まだってことは別れるつもりなんだね」

「……そうね、それは間違いない」


 ぶっちゃけもう手遅れだとは思う。それでも、矢来さんを好きなまま翔也と彼氏彼女を続けるのは不義理だ。だから、いずれは私から言い出すつもりだ。


「ってことは、わたしにもチャンスがあるってことだよね」

「……チャンスっていうと」

「そりゃ、海道さんの彼女になるチャンスだよ。……いや、彼氏になるのかな? うん……どっちでもいいや」


 チャンスどころか確定演出なんだけど、とは言えず。


「まあ、それは、あるんじゃない?」


 と、濁した。それでも矢来さんには十分だったようで、


「本当に!? 前までは、あんなに有り得ないって言ってたのに!」


 目を爛爛と輝かせて、矢来さんは食い入るように私の顔を覗き込んでくる。

 あんまり顔を近づけないでほしい。頬にはチークを施しているとはいえ、顔が紅潮するのを隠せなくなる。


「……人間、心変わりするものよ」


 いや、本当に。我ながらドン引きレベルで人が変わってしまったように感じる。

 

「なら、今日で海道さんポイント貯めないと! せっかくのデートなんだし」


 既にカンストしているような気もするが、これ以上貯めてどうするんだ。皿と交換でもするつもり?


「別に焦らなくたっていいじゃない」

「で、でも。海道さんを他の人に取られちゃうかも」

「取られないわよ」


 なんだかもう、これは告白をしているとの同じな気がしてきた。

 まあ、実際そういう意味なので間違いではないのだけど。


「えぇ……」


 矢来さん的にも私の今の言葉は都合がよいはずだ。だって、ライバルがいないのだから。

 それなのに、矢来さんはそれはもう訝しげに私を見ていた。


「矢来さん? なに、その目は」

「いやだって……海道さん、こんなに可愛いのに、争奪戦にならないわけがなくない?」

「……は?」

「普段はきりっとしててカッコイイ。でも背は低いところはちょっと子供っぽいし、それを誤魔化すためにヒールの高いブーツを履いてくるのも可愛い。笑顔が可愛い。キスをしたら顔が真っ赤になっちゃうのも可愛い。これで好きにならない方がおかしい」

「……」


 どうして突然、街中で褒め殺しにされているんだろう。

 矢来さんが世辞を並べる度に、血液が沸騰していく。それは全身を巡り、身体をポカポカどころか火傷させていくようで。

 確かめるまでもなく、私の顔は真っ赤だろう。多分、首のあたりまで血色が良くなっている。


「わたしのこと苦手だって言ってたのに仲良くしてくれる優しいところも好きだし――」

「わかった! わかったから! ありがとう、矢来さんの気持ちはよくわかった」


 しかし、これ以上は私の身体が持たない。卒倒するか、発情して矢来さんに襲いかかるか、とにかくどうにかなりそうだった。


「本当に?」

「本当、本当だから。矢来さんからすれば、私はモテモテで然るべきなんでしょうね」

「うん。だって、こんなに素敵な――」

「だから、もうやめて!」


 嬉しい。矢来さんに褒められて嬉しいことに違いはない。

 というかもう、にやけてしまって仕方ない。

 だけど、時と場所を選んで欲しかった。こんな人がたくさんいるところで、愛を囁かれても……。

 ハーハーと荒くなってしまった息を整えてから、矢来さんに向き直る。

 ……やっぱりやめた。今、矢来さんの顔を見るのは不可能だ。


「まあ、矢来さんの言う通りモテないと言ったら嘘よ」


 私は何を言わされているんだろう。


「だけど、そもそも恋人ってお互いが好き同士でなるものでしょ? って翔也と付き合ってる私が言うのも変な話だけど」

「あっ、つまり海道さんは今好きな人がいないんだ!」


 やっと私の言わんとしていることを理解してくれたようだ。

 いや、実際は若干齟齬があるが。好きな人はいる。


「なるほどねえ。海道さんに言い寄る人がいたとしても、海道さんはその人のこと相手にしないんだ」

「そういうこと」

「……あれ? だったら、わたしも脈無しじゃない?」


 コロコロと表情を変える矢来さん。今度は地獄の底にでも落ちたような、悲壮感溢れる顔になる。


「いや、うーん。その、矢来さんはセーフというか……。さっきも言ったように、チャンスありというか」


 ……やっぱりこれ、告白では?


「そっかあ。それはよかった。安心したよ」


 だけど、私の真意には気づかず矢来さんは胸をなでおろしていた。

 意外と鈍感、というよりは、期待していないだけだろうけど。それでもひたむきに私を好きだと言ってくれるのだから、本当にいい子だ。

 そんな矢来さんのために、私も早く、キチンと想いを伝えなければならない。

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