第35話
スマホで時刻を確認する。十一時ちょっと前。
矢来さんとの待ち合わせは十二時ちょうどだということを鑑みると、明らかに早すぎる。
しかし、家でじっとしているのはどうも落ち着かず、こうして待ち合わせ場所に来てしまっていた。
でも、あと一時間、こんな熱い中突っ立ているのもあれだ。まあ適当にスタバなり何なりに入って待っておけばいいだろう。そう思って歩き出そうとした。
「あれ、海道さん? 早いね」
ざわめきに紛れても、私はその声を聞き逃さなかった。
人混みの中から、何が楽しいのかニコニコと満面の笑みを浮かべた美少女が現れる。
いつかのように、私が心苦しくも気に入ってしまったパンツスタイルだ。もうちょっと引き締まった顔をすれば、カッコイイ大人の女にしか見えない。濃い目のメイクをすれば、宝塚にいそう。
私と会うためにこの格好をするということは、私が気に入ったことを目ざとくも覚えていたのだろう。
だけど今は、そうやって私の好みに合わせてくれようとしてくれることが、何よりも嬉しい。
「あー……矢来さんこそ、早くない?」
声音が浮つかないように、気持ちゆっくり目に話す。
「わたしは楽しみ過ぎて居ても立っても居られなくて!」
「そう」
私と同じ理由で、同じ時間に来たらしい。
そんな些細な、どうでもいいことですら喜びを覚える。頬が緩みそうになるのをこらえて、矢来さんに向き直る。
「だったら、もう行きましょうか」
「そうだね」
「ところで、今日は何をするの?」
「んー、特には決めてないよ。海道さんは何かしたいこととかある?」
「私は別に……」
矢来さんといられるなら、今はそれでいい。
「じゃ、とりあえず混んじゃう前にご飯行こっか」
「ええ」
私が返事をすると、矢来さんはそのまま歩き始めた。
……あれ?
「って、どうしたの海道さん。行くよー」
少し前を行く矢来さんが私を手招く。思わず、その手に目が吸い寄せられる。
おずおずと私は歩を進める。私が隣に並び立つと、矢来さんは嬉しそうに笑った。
だけど、そうじゃない。
「きょ、今日は」
「今日は?」
「……手、繋がなくていいの?」
私は矢来さんに手を差し出す。それを矢来さんはまじまじと見つめている。どうして黙っているんだろう。
「ほら、今日は人多い所行くんだし。矢来さんは私が迷子になると思ってるみたいだから」
「いや、そうじゃなくて……。えっと、いいの?」
今まで勝手に繋いできたくせに、どうして今日に限ってこう控えめなんだ。
私が黙って頷くと、矢来さんは静かに私の手を取った。
身長が高いだけあって、私よりも大きな手。だけど柔らかくて、女の子と手を繋いでいると実感する。
手汗とか大丈夫だろうか。汗かきな訳じゃないけど、そんなどうでもいいことが気になる。でもまあ、矢来さんは気にしなさそうだ。
「えへへ。海道さん、今日はサービスいいね?」
「ま、まあ……」
私が繋ぎたいだけだからねえ。
「じゃ、今度こそ行こっか。美味しいパスタのお店知ってるんだ。しかも安い。矢来家のお財布にも優しい」
「……ごめん、そのネタは反応しづらい」
「そう? 海道さんは私の家来たことあるから大丈夫かと」
「そういう問題ではないわよ」
「そっか。海道さんのお家はお金持ちなの?」
まだ続くのかこの話題。およそ女子高生がする話では……、いやするか、こういう話。
むしろ私と矢来さんは今まで女子高生らしい会話をしてこなかったような気もする。なんかだかズレた関係だから無理もないのだけど。
「まあ、そこそこじゃない? 家……は結構デカい方かも」
「そうなんだ」
……なんだろうか、この違和感。
いつもの矢来さんなら、今度お邪魔させてねぐらい言いそうなものなのに。
手を繋ぐ云々といい、やはり遠慮をしているように見える。
まあ、別にいいんだけど。いいんだけど、モヤモヤとしたものを拭えない。
言っているうちに矢来さんと私は目的地であるイタリアンレストランへたどり着いた。見た感じ学生も多く気軽に入れて、それでいてオシャレな雰囲気だ。
どうやら矢来さんは事前に予約を入れていたようで、入店すると同時に案内された。予約よりも早いだろうに、いいんだろうか。
しかし店内はランチには少し早いためか、空席が見られる。きっと私たちが案内されたのもそのためだろう。
ウェイトレスさんについていくと、そこは店の奥まったところにある席だった。
「ごゆっくりどうぞ」
水の入ったグラスとおしぼりを配膳してウェイトレスさんは下がっていく。
「あたり席だね」
お冷で唇を濡らした矢来さんが言う。
「そうなの?」
「うん。だって、なんだか半個室みたいじゃない?」
「それはそうね。隣は壁だし……ウェイトレスさんが通る通路でもない」
「秘密の話もし放題だ」
「何かやましい話でもあるの?」
「うーん、通常よりもお得にランチを食べる方法とか?」
「それは真っ当だと思う」
しかしまあ、矢来さんにそんな後ろめたい話が出来るとも思えないけど。
「ということで、こちらにランチセットのメニューがあります」
ドヤ顔で矢来さんは卓上にあったメニューを私に差し出してくる。
「いや、別に私に渡さなくたって、一緒に見ればよくない?」
「わたしはもう食べる物が決まっているので」
またもエッヘンと胸を張って矢来さんは言う。今日も胸はでかい。
「いつも同じもの選んでるの?」
「そうだよ」
「ふーん。ま、矢来さんっぽいと言えばぽいか」
気に入ったらひたすらループし続けるのは、矢来さんらしい。それと同時に、どこか幼いというかなんというか。
「それはつまり子供みたいだねって?」
「……え、そうだけど」
脳内で矢来さんをそう評価しているとなぜか看破された。なんでばれたんだ。
「お母さんにも言われるんだ。綴はいっつも同じものばっかり食べて、子供の時から何も変わってないって」
後半は、一ミリも似てない矢来さんのお母さんのモノマネだった。親子なのに、ここまで似ないことがあるんだろうか。どうやら、矢来さんは自身の母をハードボイルドなおじ様だと認識しているようだ。じゃないと、あんなに渋い声で喋らない。
「でもでも、美味しいものだけ食べて生きていたいでしょ?」
「その言い方だと、途端に達観した人みたいになるわね」
矢来さんからメニューを受け取り目を落とす。
殆どがパスタにサラダとスープ、ドリンクがついて千円ちょっと。なるほど、高校生にも優しいお値段設定だ。
私たちの高校はアルバイトを基本的に認めていない。だから親からのお小遣いが、自由に仕えるお金である子が大半だ。中には、隠れてバイトしている子もいるけれど、矢来さんもしていないだろう。
「なら、私はこのキノコとベーコンのペペ――」
と、直感で決めたメニューを口に出しかけて、はたと止まる。
ペペロンチーノ。私の一番好きなパスタだ。しかし、ペペロンチーノには例外なくニンニクが使用されている。
私は今回の矢来さんとのお出かけを、デートと定義している。
デートでニンニク食う女は、良くないだろう。
別にキスをするかもしれない、なんて高望みをしているわけじゃない。ただ、一日中口が臭いのは矢来さんに失礼なだけだ。
「や、やっぱりこっちの明太子とクリームのやつにする」
「そっか。なら、店員さん呼ぶね」
すいませーん、とよく通る声で矢来さんがウェイトレスさんを呼ぶ。すぐにオーダーを取りに来た女性の店員さんに、
「どちらもランチセットで、明太子クリームパスタと吊るしベーコンのペペロンチーノお願いします」
「……ん?」
注文を聞き終えたウェイトレスさんが去ってから、私は矢来さんに聞く。
「矢来さん、ペペロンチーノ食べるの?」
「うん? そうだよ」
「そ、そう……」
なんだろう。矢来さんが何を選ぼうが矢来さんの自由のはずだ。
それなのに、私はなんとも不条理を感じざるを得なかった。
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