第33話 小波唯

 しかしながら、矢来さんとお出掛けをする約束を取り付けたはいいが、よくよく考えたらその日は唯やいつものメンバーで遊びに行くことになっていた。

 それには、あれ以来ろくに話をしていない翔也も参加するらしい。

 らしい、というのは、私には伏せられていたのだ。でも唯が裏で教えてくれたので知っていた。

 おおよそ、私と翔也の様子がおかしいことを察知して、仲直りをさせようとしているのだろう。押しつけがましいと言ったらありゃしない。

 だけど、それを今になって断るのはどうなんだろう。

 真意はともあれ、体裁だけ見ればそれは私に対する善意だ。そして、それを断ってしまえば私が悪者になるだろう。いや、一度した約束を反故にするのはいかなる場合も悪いけど。

 しかし、矢来さんとも約束をしてしまった。しかも、私はそちらを優先したいと思っている。


「……はぁ」


 一人で悩んでいても埒が明かない気がした。

 スマホを操作し、ある人に電話をかけた。

 相手はすぐに応答する。


「はいはい、愛しの唯ちゃんですよ」


 まあ、私が困った時に相談をする相手なんて唯ぐらいしかいないんだけど。


「唯? 今度みんなで遊びに行くあれ、なかったことにしてくれない?」

「……ええっと、いきなり何?」

「そのままよ」

「何か予定が入っちゃった?」

「そう、そうなの」

「なら、断ればいいんじゃ? って、そう言えばあれは一応律と翔也君を仲直りさせようって体だったか」


 ふむ……と黙り込んでしまう唯。

 そもそも私は唯に何を期待しているのか。一番有り難いのは遊びに行く予定そのものをなかったことにすることだけれど、唯の一存ではそうもいかない。


「うーん、因みに理由は聞いていいの?」

「……」


 理由。それを話すには、矢来さんとのことは避けて通れない。

 唯になら、いいのかもしれない。だけど、幻滅されたら? それを考えると踏み切れない。

 

「いやまあさ、言いたくないならいいんだけど」

「……ううん、大丈夫。唯になら、言える」


 だけど、こんな突拍子もない電話にも真摯に答えてくれている唯にまで秘密にするのは不義理な気がした。

 それに、だ。唯ならきっと、受け入れてくれる。

 これぐらいのことを話せなくて、何が親友だ。


「あのね、唯。驚かないで聞いてほしいんだけど」

「そう言われたら驚く準備した方が良い気がしてきた」

「もう……」


 しかし、そうやって茶化してくれた方が気が楽だった。つくづく、唯はいい子だ。


「私、矢来さんのことが好きなの」

「へぇ。矢来さんって、うちのクラスの矢来綴さんでいいんだよね?」

「う、うん。その矢来さん」

「そっかー。それって、あれだよね? 恋人になりたいとか、そっちの好きだよね?」

「そ、そうみたい、で……」

「ん? 律、どうかした?」


 唯の心配するような声がする。だけど、それはどこか遠くから聞こえているような錯覚で。私の心は完全に得体の知れない何かに支配されていた。

 ドキドキと、早鐘を打つ心臓。頭を駆け巡る矢来さんの表情。耳にこびりついて離れない矢来さんの声。今までそこにあったはずの感情が、途端に湧き出てきたような。

 ああ、そうか。


「今、私初めて声に出して矢来さんのこと好きって言ったんだ」


 言霊、とでも言うんだろうか。声に発した言葉は、私の身体の奥深くまで染み込んでいった。そして、私が心の奥底に隠していた感情を呼び起こしたようだ。


「んふふー、律さん恋してますねえ……」

「な、なにその反応」

「いやあ、まさかあの何かと斜に構えがちな律にも乙女な一面があったとは」

「う、うるさい……」

「ま、よかったじゃん。本当に好きな人ができて」


 重く受け止めすぎるでもなく、かと言ってバカにするでもなく、唯の対応は私の求めていたものそのものだ。

 

「うん。そうね、嬉しい」


 恋愛なんて、人と人を縛り付けるだけの枷だと思っていた。

 いや、実際は矢来さんに関して、心を雁字搦めにされている。だから面倒なものという価値観は変わっていない。

 だけど、それと同時に面倒と同等か、それ以上のドキドキがあった。

 矢来さんは私が好きだという。だから、これはもはや勝ち確定の出来レースだ。

 それでも胸は高鳴るし、顔どころか全身が火照ってくる。


「ああ、ってことは予定ってのは矢来さんか」

「うん、そうなの。デートに誘われて」

「ほうほう。って、うん? 誘われた?」

「そうだけど」

「てことは何、矢来さんも律のこと好きなの?」

「うん」

「……」

「あの、唯?」


 しばしの沈黙ののち、唯は声を張り上げた。


「爆発しちゃえ! ああもう、なんだよ。せっかく壁の高い恋をしてるんだなー、応援してあげたいなーって思ってたのに!」

「……もう応援してくれないの?」

「するけど! するけどさあ!」

「ふふっ」

「何笑ってるのさ」

「ううん。ただ、唯が友達でよかったなって」

「……え、なに。急にそんな恥ずかしいことを。そんなこと言うキャラだったっけ? 恋は人をおかしくさせるの?」


 メチャクチャにボロカス言われてるが、まあたしかに気恥ずかしいことを言ってしまった。だけど後悔はない。

 言いたいことはちゃんと言った方がいい。矢来さんとのことで私はそれを学んだ。

 なら、これから実践したって遅くはない。


「そうみたいね。実際、私は自分がどうしたらいいのか、いまいちわからないし」

「どうしたらいいのか、ねえ。好きにしたらいいんじゃない? 少なくとも、今度の遊びには来る必要ないと思う」

「どうして?」

「どうしてって……。そんなの、好きな人を差し置いてまで他の用事を優先する理由なんてどこにもないからだよ。あたしならそうするけど」


 明朗快活な、唯らしい答えだった。


「私もそうは思うんだけど」

「今更断るのは申し訳ないって? はぁ、律は変なところ律儀だなあ。名前通りだ」

「ごめん……」

「いや謝られてもね……。もー、調子狂うなあ。わかった、そしたら当日私が適当に噓ついてあげるから。体調崩した、とかでいいでしょ?」

「いいの? 唯にそんなくだらな嘘つかせて」

「くだらない? 律にとって矢来さんのことはくだらないの?」

「……ううん、大事」

「でしょ。なら、あたしだって嘘の吐きがいがあるってもんよ」


 電話越しでもわかる、きっと唯は小さな胸を張っている。そうして臆病な私の背中を押してくれている。


「うん。ありがとう、唯。そしたら、それでお願いね」

「任せとけー。律が泣いちゃう結末になったら、あたしの胸貸してあげるね」

「……いや、矢来さんと私は両想いだからそれはない。あと、矢来さんの胸の方が大きくて抱かれがいがある」

「お前しばいたろか」

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