第25話 目覚め

 次に目覚めた時、部屋は真っ暗だった。窓から差し込む光がまだないあたり、夜なんだろう。

 手に握りしめたままのスマホで時刻を確認しようとするも、電源が入らない。充電が切れているようだ。ため息を一つ挟んで、端子をスマホに差し込んだ。

 ベッドから立ち上がり、部屋を出る。手すりを伝って階段を降り、リビングに来た。

 両親の姿もなく真っ暗だ。暗闇でも見えるデジタル時計に目をやると、深夜の二時を指していた。そりゃ物音の一つもしないわけだ。

 キッチンへ足音を立てないように入り、冷蔵庫からペットボトルの水を拝借して二階へ戻る。

 自室のドアノブに手をかけた時だった。どこかから、声がする。

 耳をすませば、それは自室の隣……調の部屋から聞こえていた。流石に心霊現象ではないらしい。

 しかし、調はこんな時間までいったい何をしているんだろう。明日は平日、普通に学校だってあるはずだ。

 トントンと控えめにノック、それから一拍置いてから扉を開ける。調の部屋も電灯はついていなかった。そのかわり、調の顔は人工的な光に照らされている。微かに伺える表情は突然の来訪者に驚いているようだ。


「ごめん、驚かせて。声がしたから、何かと思って」

「ご、ごめんなさい、ちょっと待ってて貰えますか? 姉が」


 私の声掛けには答えず、調はスマホに向かってそう言った。どうやら電話中だったようだ。

 こんな時間に誰と電話を……なんて、考えなくてもわかった。


「ああ、例の恋人? ごめん、邪魔したね。でも、あんまり遅くならないようにするのよ」


 だとしたら、二人を妨害するのも良くないだろう。私は翔也と夜中に電話なんてしたことはないけれど、付き合いたてのカップルの間では結構恒例らしいし。

 それに夜な夜な電話だなんて、調の相手も中々可愛げがあるじゃないか。

 ヤンキーとか反社なら、調のことを連れ出してしまいそうなものだけど、そのあたりの常識はあるんだろう。だとしたら、今度の顔合わせも多少安心できる。

 あとは若い二人に任せることにして私は自室に帰ろう。


「あ、お姉ちょっと待って」


 背中を向けると、調に呼び止められた。


「なあに?」

「せっかくだから、顔合わせのセッティングを今しようと思って」

「ああ……。でも、私はいつでもいいわよ? 今週末はどっちも空いているし」

「わかった。――あ、優さん? 姉に会ってもらうって言ってたあれ、今週末でいいですか?」


 『ゆうさん』、調はお相手のことをそう呼んでいるらしい。一個上ともあって、調は終止敬語で話している。だけど、緊張や萎縮をしている風ではない。ただ年上だからそうしているだけなんだろう。


「あ、はいではその日で。おやすみなさい……。ええっ、今日もそれ言うんですか? お姉……じゃなくて、姉が目の前にいるんですけど。わかりましたよ……。す、好きです優さん」


 ……なんか、私の存在を無視していちゃつき始めたんだけど。やっぱり部屋に帰っていればよかった。

 微笑ましいは微笑ましいけど、でもやっぱり妹が女の顔をしているところを見るのはなんだかいたたまれない。

 気持ち息をはずませながら調は通話を切った。調がスマホをスリープにすると部屋は真っ暗になる。多分、今この状況で顔を見られたくないんだろう。


「えっと、日曜日になったから。お姉、それでよろしく……」

「うん……」


 何か気の利いたことを言えたらいいのだけど何も思いつかない。ラブラブだね、は傷をえぐるだけだしなあ……。


「まあ、その、なんだ。頑張れ」

「う、うん」


 姉から訳の分からない励ましをうけて調は首を傾げながら頷いた。

 今日はまだ月曜日、日曜日まで時間はある。それまでに、娘が婚約者を連れて来た時の心得的なものを調べておこう……。

 調の部屋をあとにして、私は自室へ戻ってきた。先ほど充電を始めたスマホの電源を入れる。ややあって、ホーム画面が開かれた。

 通知が来ていたのでラインをタップ、見れば唯からメッセージが届いている。トーク画面を開くと、そこにはパンケーキを頬張る私の写真。こんな写真、いつ撮ったんだろ。口の端にホイップクリームついてるし、やめて欲しいんだけど。


『盗撮か』


 という文言と、キャラクターが怒っているスタンプを返したものの当然こんな時間に既読がつくはずもなく。

 他のメッセージはないかとトーク画面一覧に戻る。特に何もきてなかった。唯以外にわざわざラインで雑談をする相手いないから仕方がない。唯に次いでラインをするのが調なの、なんか悲しい。

 相変わらず翔也からも音沙汰はないし、いよいよ空中分解も視野に入れていいかもしれない。

 ふと、寝落ちする前のことを思い出した。たしか、矢来さんに今度カフェに行こうみたいなことを言ったはずだ。

 だけど。

 矢来さんから返信はきていない。今までなら、私からのメッセージには怖いぐらいに爆速で返信してきていたのに。

 もう飽きてしまったのだろうか。たしかに、私は別に面白味のある人間ではないけれど。

 それとも、あの女の子が代わりにでもなってくれているんだろうか。

 答えの見つからないまま、とりあえず矢来さんとのトーク画面を開いた。

 

「……あ」


 そこには書きかけのメッセージがあった。どうやら、私は送信をする前に寝落ちていたらしい。何とも間が悪い。これじゃあ矢来さんから返事がなくて当然だ。

 文面はそのまま残っているから、再度送信すればいい。画面を一度タップする、それだけの話だ。

 だけど、私はそうしなかった。置き去りにされていた誘い文句を消して、スマホをベッドに放り投げる。

 ついでに自分の身体もベッドに投げ出した。それなりに年季の入ったスプリングが私の体重をうけて少し軋んだ音をたてる。

 私はどうしたいんだろう。などと私以外にわかりえない問いを、私はいったい誰に投げかけているのか。唯か調か、それとも矢来さんか。

 そんなことを考えながら、私はもう一度眠りに落ちた。

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