第18話 消灯

「電気消すよー」


 矢来さんが天井からぶら下がっている紐を引っ張ると照明が落ちた。このタイプの電灯って本当にあるんだ……。

 すでに布団に入っていた私の隣に矢来さんが身体を横たえる。


「こうやって敷布団で並んで寝るの、修学旅行みたいね」

「そうなの?」

「そうなのって……。ああでも、マリ女の修学旅行は綺麗なホテルだったりしたの?」

「行ってないから知らないや」

「えっ」


 さっきマリ女を辞めた話は聞かされたけど、修学旅行を欠席していたのも関係しているのか。となると、まず候補として一番に上がってくるのは人間関係。

 ……矢来さん、中学でもこうだったの? いや、人間簡単には変わらないだろうけど。


「それが小学校と中学どっちも風邪ひいちゃって……。わたし、はしゃぎ過ぎると熱出すみたいで」

「……なんか矢来さんっぽいわね、それ」


 だけど、そうか。そういう穏便な理由なら良かった。修学旅行の話題を出したことを後悔するところだった。いや、矢来さんからしたら十分辛い話かもしれないけど。


「マリ女って寮もあるんだけどね? 三年生は二年生と相部屋になるんだけど、後輩に哀れまれるのは辛かったなー」

「矢来さん、寮だったの? ここからマリ女って全然通える距離だと思うけど」

「入ってみたいなーって」

「恐ろしく雑な理由だことで」


 けど、まあ私も中学時代なら矢来さんと同じように考えていたかもしれない。

 四六時中、友達といられるのは良さそうとかいう短絡的な思考で。


「わたしたちって修学旅行どこに行くの?」

「なんで知らないのよ……。台湾よ、台湾」

「わ、海外なんだ」

「私らの一個上は韓国らしいから、そういうものなんじゃない? 私も聞いた時は驚いたけど」

「……いい加減、修学旅行行きたいなあ」


 揺れた声で矢来さんは天井に向かって呟いた。

 学生生活で一番の行事と言っても過言ではない修学旅行を経験したことがないというのは、だいぶ可哀想な気がする。

 中学時代の矢来さんに友達がいたかどうかは知らない。だけど、それとこれとでは別ベクトルの問題だ。


「なら、今からでも体調を整えておきなさい。……矢来さんが体調不良なところって想像できないけど」


 というか、今年に入ってから矢来さんが学校を欠席していた覚えはない。といっても、今まで矢来さんをそこまで意識していたわけじゃないから確証はないけど。

 ……これじゃあ今は意識してますって言ってるみたいだな。


「そうだね! それに今回は海道さんもいることだし」

「私の存在がどう関わるのかはわからないけど……。来年も同じクラスとは限らないし」

「……参考までに聞くと、矢来さんは文系と理系どっちを選択する予定で?」


 うちの高校は三年次に文理分けがされる。普通二年生からするもんじゃないのかとは思うけど、そういうことになっている。

 私は言うまでもなく文系を選択することだろう。


「秘密よ」


 だけど回答は控えた。

 別に矢来さんと同じクラスになりたくない、とかじゃない。

 だけど、それを教えるのは違うような気がした。


「矢来さんは私に合わせるつもりなんでしょうけど、進路のことはちゃんと自分で考えなさい」


 私を好きだから、なんて刹那的な理由で矢来さんの将来を左右したくはない。

 究極的には矢来さんの自己責任だ。それでも私は他者の人生に干渉をする度胸はない。


「でもわたし海道さんより成績いいよ? どっちに進もうが勉強するに変わりはないし」

「いやまあ、そうだけど。もっとちゃんと考えた方がいいというか」


 普段の矢来さんの言葉に説得力なんて感じないけど、こと勉学のことになると矢来さんの言葉には信憑性がある。さっき成績通知書も見せてもらったばかりだ。


「……もっと仲良くなったらね」

「わーい」


 私の軽薄な言葉に矢来さんは無邪気に喜んでいる。

 つまり矢来さんは私とこれ以上の進展を望んでいるということで。

 いやそれ自体はわかりきっている。本人は自覚が薄いようだけど、矢来さんは私を恋愛感情としての好きなようだし。

 つまり、ここからは私がどうしたいかに尽きる。矢来さんとは距離を置くのか、近づくのか、それとも現状維持か。ただ、現状維持は難しい気がする。矢来さん、私が立ち止まっていたら突進してきそう。

 だから結局のところ、矢来さんへ歩み寄るか離れるかの二択になるわけで。

 なんて、考えたって答えはでない。そもそも人間関係に明確な選択肢なんてないし。

 

「はぁ……」

「どうしたの海道さん、なにか悩み事?」

「主にあなたのせいでね」

「ストレスは美容の敵らしいよ」

「矢来さんが綺麗なのはストレスと無縁だからなのかしらね」

「わたし、綺麗?」


 そのフレーズだと口裂け女みたいだ。


「顔だけはね」

「身体は汚いと」

「誰もそんなこと言ってないでしょ。身体だって――」


 言おうとして、口が止まる。

 フラッシュバックするのは、風呂場で見た矢来さんあられもない姿。

 ハリとかツヤとか、そんな些事に目がいかないほどに完成された裸体だった。

 私はそれに触れた……というか撫でまわした。

 忘れようとしていた矢来さんの表情が蘇る。上気した頬に濡れた瞳。顔立ちこそ艶やかなのに、あどけなさの残った笑み。

 思い出すだけで心拍数が上がっていくのを自覚する。


「身体だって、なに? そこで止まるってことはやっぱり汚かったんだ」


 ヨヨヨと泣きまねをする矢来さん。

 私だって不自然なところで言葉を止めてしまったとは思う。

 だけど、正直にその感想を口にするのは憚られて。

 エロかった、なんて女が女に言うのはどうなんだ。

 それに私が矢来さんにそんな感情を、少しでも持っていることを知られたくない。

 弱味を握るとか、矢来さんはそういうことはしないと思う。

 だからこれは私のプライドの問題。


「……寝る」

「ええっ、もっとお話しようよ!」

「ごめん、私健康優良児だから」

「まあ、そういうなら仕方ないけどさ」


 あまり食い下がることもなく矢来さんは諦めてくれた。

 それからすぐに寝息が聞こえてくる。私より先に寝るのか。

 私のことが好きというなら、ちょっとは緊張して寝られないなんてこともあるのかなと思っていたけど。

 対する私は、熱に浮かされたように頭がボヤっとしていた。だけど眠気とは違う。寝られる気配は全くと言っていいほどなかった。

 知らない部屋で、知らない布団だからと自分に言い聞かせる。

 それ以外に理由を見つける意味も、特にないから。

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