第15話 逃亡

 矢来さんから逃走を図った私だけど、よくよく考えたら着る服がない。私がさっきまで着用していた私服は、洗面台で水に浸かっていた。

 加えて、矢来さんが謎の優柔不断さを発揮したおかげで、借りる服も決まっていない。

 つまり、私は全裸だった。矢来さんのお母さんが置いてくれていたであろう、新品と思しきバスタオルだけを纏って私は矢来さんの部屋にいる。ちなみに、矢来さんのお母さんはダイニングのテーブルに突っ伏して寝ていた。


「はぁ……」


 流石にちょっと寒い。身震いがして身体にかけてあるタオルの端をギュッと握る。

 早く矢来さんに戻ってきて欲しい反面、顔を合わせたくないと思う自分もいる。

 ……私はなんてことをしてしまったんだろう。

 矢来さんにあんな顔をさせて。

 性欲に駆られた? いや、別に私は矢来さんをそういう目で見ていない。たしかに告白まがいのことをされて意識しないと言えばウソになる。だけど、あくまでそれは何だこいつという警戒心のはずだ。

 だというのに、なんだろう。この胸のざわつきは。


「お待たせー。ビックリしたよ、海道さん急に出ていくんだもん」


 パタパタと足音を立てて矢来さんがやって来た。私と同じバスタオル一枚の姿。髪もまだまだ濡れているあたり私を追って急いで風呂を出たのだろう。申し訳ない。

 

「何かあったの? のぼせた……って、お湯には浸かってないからそれはないか」

「ああ、いや、ちょっと。頭クラクラしたから、それかも」

「そっか。あっ、だったらお水持ってくるね」


 裸のまま矢来さんは部屋から出ていく。適当な嘘をついて、無駄な足労をかけてしまった。だけど、言えるわけもない。矢来さんの顔を見てたら、居ても立っても居られなくなったなんて。


「ちょうどスポドリあったよー」

「……ありがとう」


 キンキンに冷えたペットボトルのスポーツドリンクを受け取る。キャップを開き、いっきに呷った。のぼせたのは嘘だけど、身体が火照っていたのは本当だ。気づけば半分ほどを飲み干していた。

 単純な話だけど、それで若干落ち着いた。さっきまで身体の内側を支配していた熱も幾分か引いた気がする。


「大丈夫そう?」


 矢来さんが私の隣に座る。心配そうに顔を覗き込んできた。

 私はぎょっとして、身体を引いてしまった。落ち着いたとは言っても、この距離で矢来さんの顔はまだ見れない。


「あはは、そんなに驚かなくたってキスしないよ?」


 私の奇行を矢来さんはそんな風に解釈していた。今だけは、その能天気さがありがたい。


「借りる服、探してもいい?」

「いいよー。一番上の棚は下着だからそこ以外からどうぞ……って、海道さん下着どうするの?」

「しょうがないから下着だけは着まわすかな」

「んー、ちょっと待ってね」


 矢来さんは言うなり衣装ケースの一番上を漁り始めた。そしてシンプルなデザインのブラとショーツを二枚取り出した。

 矢来さんが着る分だろう、と思ったのだけど矢来さんはそれを私に差し出してきた。

 いや、流石に下着の貸し借りは……。と私が顔を曇らせると、


「大丈夫だよ。これ新品だから」

「あ、ああ。なるほど」


 いくら矢来さんでもそこら辺の常識は持っていたらしい。

 下着セットを受け取る。あれ、でもこれって……。


「矢来さんのサイズだからショーツはともかく、ブラはつけられないんだけど?」

「あっ、ホントだね! 忘れてた!」

「バカにしてるの?」

「滅相もない!」


 本当に悪気はなさそうに矢来さんはカラッとした笑いを浮かべる。

 そうだ、私の知っている矢来さんはこうだ。いつも何考えてるかわからなくて、やけにニコニコしていて。

 だから、さっき見た妖艶な矢来さんはきっとまやかしで。

 それこそ私は本当にのぼせていたのかもしれない。そのせいで幻覚を見ていた。


「……? わたしの顔何かついてる?」


 まあ、なんてのは言い訳なんだけど。矢来さんの恍惚とした表情は脳裏にハッキリと刻まれている。気のせいだったでは片付けられない。


「いいえ。とりあえず、ショーツだけもらってもいい?」

「そのつもりだよ。というか、それ上下セットだからブラももらってよ」

「いや、使い道ないし……」

「将来性にかけよう!」

「やっぱりバカにしてるでしょ」


 ゆっさゆさと目の前で揺れるたわわなそれを私は恨めし気に睨んでおいた。

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