第14話

「……なに?」


 別に暗闇が苦手なわけじゃないけど、あまり唐突すぎて少女みたいなか細い声で聞いてしまった。

 矢来さんの手がそっと私の肩に置かれた。心配するなみたいな? 視界が消えた今、その感覚はより鋭敏になっている。


「多分、ブレーカーが落ちたんだね」


 矢来さんは冷静に状況を確認している。口ぶりからして、珍しいことではないんだろう。


「どうやったら直るの?」

「玄関にあるスイッチを入れ直すだけだよ。多分、お母さんがやってくれる」

「そう、なら大丈夫ね」


 と、言ったものの。

 待てど暮らせど電気が復旧する雰囲気はない。

 静かな空間に、私と矢来さん二人の呼吸音だけがしていた。


「直らないけど」

「うーん、おかしいね。お母さん、お酒飲んでたから寝ちゃってるのかも」


 申し訳なさそうに笑う矢来さんの声が暗闇に反響した。


「そろそろ目も慣れてきたし、このままお風呂済ませちゃおっか」

「矢来さんがそれでいいなら、私は構わないけど」

「じゃあ、身体触るよ」


 ピトっと矢来さんの手が私のお腹に触れる。暗がりだから、いつどこに矢来さんの手が来るのかわからない。

 これじゃあ目をつぶっているのとあまり変わらない。その上、自分でない指が私の肌をなぞっていく。その一挙手一投足に感覚が鋭くなる。

 視界が奪われているのは矢来さんも同じだ。手探りで手を動かしているのがわかる。

 だからだろうか、私の胸の先端を少し強めに矢来さんの手が横切った。


「……っ」

「あ、ごめんね。痛かった?」

「い、いや、大丈夫だから」


 ピリリと脳に微かな電流が流れ、その拍子に声が出てしまった。

 いや、これは不意打ちだったからであって、気持ちいいとかではない。

 そもそも人にこんなところを直接触れられるのなんて初めてだし。少しぐらい驚いたって仕方がないはずだ。

 だけど、ここで意地を張って大丈夫と答えたのが良くなかった。

 矢来さんの手に遠慮がなくなる。というか、わざとかと疑いたくなるほどそこを刺激される。


「やぁっ、ちょっ、ちょっと矢来さん……!」

「はい、矢来さんだよ」


 こちとら切羽詰まっているというのに、なんだその能天気な返事。


「もう、そこいいでしょっ。他のところ洗って」

「……わたし、今どこ洗ってた?」

「はい?」

「いや、海道さんの反応が可愛いから無自覚だったもので……」

「……とにかく! 他のところ!」

「はぁい」


 どうしてか若干不服そうに矢来さんは返事をしてから私の胸から手をどけた。

 よかった、聞き分けだけはよくて。

 ホッとしたのも束の間、私は身構える。暗いから、矢来さんがどこに触れてくるのかわからない。変な反応をしてしまわないように心を無にしてその時を待った。


「にょわぁっ!」


 構えていたのに、盛大にヤバげな声が出てしまった。

 しかし、私は悪くない。だって、だって。


「どっ、どこ触ってるの!」

「股だよ」

「そういう意味じゃない!」


 この女、当たり前のように私の股の間に手を突っ込んできやがった。

 いくら遠慮を捨てた人生を送っている矢来さんとはいえ、まさか躊躇すらも持ち合わせていないとは思わなかった。普通、人のそんなところ触りたい? 私ならお断りだけど……。


「嫌なら先に言ってよー」


 ケラケラと笑いながら矢来さんはすぐ手を引いたあたり、本当に悪気とかやましい考えはなかったんだろう。余計に怖いけど。性欲に駆られましたって方がまだ理にかなっている。


「私、あなたが何を考えているのか全くわからない……」

「何も考えてないよ?」

「自分で言わないで」


 頭痛が痛いってこういう時に使うだろうなあ……。

 私はこれからどんなスタンスで矢来さんと接していけばいいんだろう。正解が見えない。

 というか、これから?

 今後も私は矢来さんとこんなことをするのだろうか。答えは否、なはずだ。

 だって、そもそも今日こうして矢来さんの家にお邪魔しているのはキスの件についての抗議が目的だ。遊びに来たわけじゃない。

 明日からは、今まで通りただのクラスメイトになるはずで。だとしたら、この胸のわだかまりはなんだろう。


「はい、終わり。そうしたら次はわたしが洗ってもらう番だね」


 私が考え事をしているうちに、矢来さんは私の身体から泡を綺麗に洗い流していた。

 私と矢来さんは立ち位置を入れ替える。その際、矢来さんは私の手を優しく取ってくれた。暗いから滑ってこけないようにだろう。さっき、何もないところでこけてたのは矢来さんなのに。


「じゃあ、とりあえず髪から洗うから」

「どんとこーい」


 はじめに湯を矢来さんの頭髪に流しかけながら指を通していく。それからシャンプーを手にとって矢来さんの頭で泡立てる。


「……ほんと、綺麗な髪ね」


 視界はなくても手触りだけでその髪が絹のようだとわかる。


「お母さん譲りなんだよ。そのせいで、お母さんは私に感謝しろーってうるさいけど」

「私なら素直に感謝するわね」

「海道さんも可愛いんだし、お母さんも綺麗なんでしょ?」

「……いや、私はどっちかというと父親似だって言われてる。母に似てるのは妹で」

「妹がいるんだ。見てみてたいなー。海道さんの妹、絶対可愛い」


 ……それは、私の家に行かせろと暗に言ってるのか?


「あとで写真見せてあげる」


 話を流す意味も込めて、矢来さんの髪から泡を洗い流す。

 自分の髪だったらここまで丁寧にはしないって程度には、洗い残しがないよう丹念に手を動かす。


「さて……」


 一息ついてから私は泡立てネットを手に取る。

 矢来さんは当たり前のように私の身体に触れてきたけれど、私は至って普通の女子高生なのでそうもいかない。人様の身体を洗うなんてなると、当然緊張もする。

 ひとまず、背中からいくことにした。異様なまでにスベスベだった。矢来さんぐらい髪が長いと、背中にポツポツができそうなものなのに。

 

「えっと、じゃあ前失礼するから」

「いちいち断らなくても大丈夫だよ?」


 それは矢来さんだけだから。

 矢来さんのお腹に手を添える。さっき明るいところで見た限りはクビレもハッキリとあって細い感じだったけど、こうして触ってみると女の子らしい柔らかさがある。というか、私より細くて私より柔らかいってなに? 反則でしょ。

 胴体をおっかなびっくりな手付きで洗った私は、いよいよアレと対峙することになる。

 お腹側からゆっくりと腕を上げていくと、手はそれにぶつかった。

 柔らかいとかの前に、重い。ずっしりと確かな質量。


「海道さん? 手、止まってるよ?」

「ああ、ごめん……」


 未知との遭遇すぎて身体が固まっていた。

 それぐらいに、矢来さんの胸……というかこれはおっぱいと表するのが正しい気がする。は途轍もなかった。

 触れる手は震えていた。もはや童貞だ。

 恐る恐る球体の縁をなぞるように手を進める。簡単に指が沈み込んで、思わずそのまま揉んでみたい衝動に駆られる。

 魔性とはこのことか。


「海道さん、くすぐったいからもっと強くして?」


 ビビり過ぎてさわさわと指を動かしていたら文句を言われた。

 注文通り、少し強めに胸を撫でる。そのつもりはないのに、もはや揉んでるのと変わらない気がする。ぐにゅぐにゅと私の手の中で自在に形を変え、フィットする感覚。

 ああ、これはダメだ。ダメな人になってしまう。

 そう思っているのに手が止まらない。


「っ……ふぅ……」


 だから、と言い訳するのもよくはないんだけど、矢来さんの息が荒くなっていることに私はしばらく気がつかないでいた。

 無音の浴室に、熱っぽい矢来さんの呼吸音が響いている。明らかに色っぽさを纏った声。

 これじゃあ、私の方が変態みたいだ。いや、実際言い逃れのしようがないんだけど。


「ご、ごめん矢来さん……」


 気まずさマックスで私は手を引っ込める。


「ふぇ……? なにが?」

「えと、だから。強く触りすぎちゃって」

「んー? 大丈夫だよ。気持ちよかったし」


 何故だろう。許されてよかったと安心する場面のはずなのに。

 私の心はじくじくと所在不明の熱を持っていた。

 なんだろうこれ、と私はさっきまで矢来さんの胸をつかんでいた手に視線を落とす。

 当然、照明は落ちているから何も見えない――はずだった。

 ジジジと微かな音、それからすぐに視界が明瞭になる。急に光が飛び込んできたせいで、目を細めてしまう。

 あまりに急なことだったから呆けてフリーズしてしまった。


「あっ、やっとお母さん起きたみたい」


 矢来さんの声を合図に金縛りが解けたように身体が言うことを聞くようになる。

 私は下に向けていた目線を戻して矢来さんの方を向いた。

 復旧した電灯に照らされていた矢来さんの顔、目の端に涙を浮かべ頬は赤らんでいる。

 憂いと淫靡な雰囲気を纏った目が私を見ている。

 矢来さんをこんな風にしたのは私という事実が目の前に形を成していた。

 

「……っ、ごめん。先に出る」


 私はそんな顔をした矢来さんを前にして、耐えることが出来なくなった。

 逃げるように浴室を後にする。

 じくじくと揺れていた熱は、明らかにその大きさを増して私の胸を覆っていた。

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