第6話 プリン


「レナさん、ぼくプリンが好きなんだ」

「ふうん、そうなんだ」


 レナさんは窓の外を頬杖を突きながら眺めている。

外では季節外れの台風が頑張ろうかどうしようか迷っているような優柔不断な嵐を吹かせていて、時々ぼくらの喫茶店はガタガタと震えていた。雨の日はシゴトがないから退屈だ、でもレナさんはシゴトがなくても会ってくれる。それってとっても素敵なことだ。だからぼくは傘を差してここまで来た。傘はへし折れてバラバラになってしまったけど、レナさんはぼくを待っていてくれた。レナさんは少しも濡れていなかった。


「コンビニに売ってる、上にクリームが乗ってるやつが好きなんだ。さくふわのやつ。ぼく、シゴト終わりにご褒美を買うのが好きなんだ。母さんはなんにもご褒美をくれないから、自分で買うんだ。でも、不思議なんだよレナさん」

「なにが不思議なの?」

「ぼくね、いつも何かを好きになるんだ。すごくすごく好きになるんだ。でも、それを待ち構えていたみたいに、何か大きな力がぼくからそれを奪っていく。大好きだったのに、そのプリン、もう売ってないんだ。どこを探しても見つからないんだ」

「最初から、そんなプリンはなかったんじゃない?」

「そんなことないよ。だってぼく、好きになったんだから。ありもしないプリンをどうやって好きになれるの? ぼく食べたんだ。とっても美味しかった。なにがなんでもこれはレナさんに教えないとって思ったのに、プリンの名前をチェックし忘れたんだ。とんでもないミスだったよレナさん。ぼく、バカなんだ」

「きみはバカじゃないよ。わたしが信じてあげる」

「ありがとうレナさん。でもぼくバカだ。いつも抜けててどうしようもない。ぼくこんな自分がキライなんだ。死んじゃえって思うんだ」

「そんなこと言っちゃダメ」


 レナさんは照準を合わせるみたいにぼくを見た。猫みたいにまっすぐな目だ。


「きみはわたしの大事、なんだから」

「ありがとう、レナさんもぼくの大事、だよ」


 ぼくは笑った。胸の奥がくすぐったくて、プリンが湧いてきそうだった。黄色くて甘い何かがぼくになっていく。


「いつか、見つけたら食べようね、レナさん。約束だよ」

「うん。約束。そのためにもたくさん、シゴトしないとね」

「そうだね。今日は雨で残念だ」

「雨の日はやっぱり、無理?」

「さすがに無理だよ。レナさん、雨と風の日はね、狙撃の日じゃないんだ。これは雑誌の発売日とか、天皇陛下の誕生日とか、ぼくたちの名前とかみたいに簡単には変えたりできないものなんだ。弾丸は湿気でよれちゃうし、風に吹かれたら無視するふりをして実はすごく怯えて逃げていく。弾丸は臆病なんだ。大丈夫だよ、大丈夫だよ、ってあやしてあげないとまっすぐ飛ばない。世界一のスナイパーならべつかもしれないけどね。でもぼくには無理だ」

「そうかなあ」


 レナさんは物欲しげにぼくを見る。ぼくはその視線にドギマギする。


「君ならできると思うけど」

「できないよ。しかも今夜は風と雨のダブルパンチだ。ダブルノックアウトだよレナさん。これには世界チャンピオンもお手上げだ」

「どこで覚えたのそんなオシャレなセリフ。難しいことをいうキミはキライ」


 レナさんはぷいっと顔をそむける。それがいつかどこかで見た、幼稚園の頃に一緒だった女の子の誰かに似ていてぼくは懐かしい気持ちになる。あの頃に戻りたいなあ。なにもしなくてよかった頃に。みんなと一緒だった頃に。


「怒らないでよレナさん。天気が悪いんだ。神様のせいだよ」

「そうだね、神様のせい。でもわたしは、神様にも勝っちゃうキミが見たいなあ」

「わがまま言わないのレナさん」

「な、生意気な……」


 愕然としているレナさんの少し後ろで、暇潰しのためのテレビからニュースキャスターが連続狙撃犯について何か語っていた。いわく、偉い先生によれば、これは射撃に関して何十年も専門的な訓練を受けた老人の仕業らしい。そんな人、いるんだろうか?

 テレビに映っている人たちは警察官の人たちもいて、怖い顔ばかりだった。ぼくは大きな男の人が苦手だ。父さんを思い出すから。


「雨さえ降らなければね、あの人の予定だったんだよ」とレナさんは大柄な怖い顔をした警察の人を指差した。階級が書いてあるけど、ぼくには読めなかった。刑事ドラマは苦手だ。

「わたしたちを追いかけてるの。困っちゃうよね」

「どうしてぼくたちを追いかけるの? ぼくたちはいいことをしてるんでしょ?」

「どうしてだろうね……」レナさんは警察の大人たちが気になるみたいだった。ずっと見ている。

「たぶん、同じ世界にはいられないんだろうね」

「おなじせかい?」

「どっちかが倒れるまで喧嘩しないと気が済まないんだよ。きっとわたしも、向こうも」

「喧嘩? レナさんはだれかと喧嘩してるの?」

「うん」

「誰?」


 レナさんは退屈そうに答えた。


「ヤギハラ」

「ヤギハラ? ねぇ、その人を撃てばいいの?」

「そうだね、撃てたらいいな。そしたら……少し遠くにいこうか」


 レナさんは勇敢な馬のしっぽみたいな髪の毛を揺らしてぼくを振り返った。


「少し、長く休もう。次のシゴトが、終わったら」




 ニュースが変わって天気予報が、もうすぐ台風は過ぎ去ると透明な顔で答えていた。

彼らは本当にそう思っているのだろうか?

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