第5話 狩人の狩人


 講堂は集まった男たちで熱気に満ちていた。誰もが焦燥感と苛立ちを隠せず貧乏ゆすりや世間話の合間に毒を吐くなどして溜飲を下げている。

 テレビががなり立てる連続狙撃犯のニュースはまだいい。もう八人も殺されていて、犯人の痕跡が何一つ掴めていないのは事実だ。

 だが、被害者の経歴が明らかになるにつれて、特に最後に狙撃された聖山浄水――革新派新興宗教の皮をかぶった大手児童買春ビジネスの総本山だった男が射殺されてからというもの、狙撃犯を現代のヒーローだとか、司法が裁けぬ悪をくじくロビンフッドだとか言い出すバカが増えて法執行機関は雁首総揃えでストレスフルな雰囲気に染まっていた。

 聖山浄水?

 裁けるわけがない、警視庁総監や内閣総理大臣でさえ利用していた売春組織の親玉だ。

 国家公認の犯罪者を撃ち殺された――それは警視庁を足元から激震させていた。国家の威信がコケにされたのだ。どこかのバカの正義感に満ちた愚かな弾丸によって。

 だが、その弾丸の出処が、半径1キロの捜査網のどこにも浮かび上がって来ない。

 最初の狙撃の周辺は、すべての建築物を捜査し終えていた。それでも弾丸の発射痕が見つけられなかった。若い刑事の間では、犯人はドローンで飛び去ったのだなどという戯言が蔓延し始めていた。あるいは狙撃犯は透明になれるのか。

 捜査一課の課長はストレスで毛髪を抜き始めていた。その円形脱毛症が悪化すればするほど、刑事たちは己の未来に暗澹たるものを感じるのであった。権力者のストレスほど恐ろしいものはない。いまの課長なら犯人逮捕のためなら核兵器のボタンでさえ押してしまうだろう。ストレスとはかくも恐ろしいものであり、追い詰められたネズミは猫をも噛むのだ。

 そんな捜査本部の有様を、ガムを噛みながら眺めている男がいた。

 皆、この男が誰か知っている。

 捜査一課課長が体毛を抜いても抜いても見つけられぬ狙撃手を、この男なら見つけられるという。

 まだ四十手前だろう、だが彫りの深い顔の奥にある目がどこか稚気を帯びていて、実年齢よりずっと若く見える。大卒ほやほやの新人に老け薬か四ヶ月の教練でも積ませればこの男のようになるかもしれない。

 待てども待てども犯人への手がかりを開示しない捜査本部が静まり始めた頃、男は立ち上がった。


「公安“無所属”、ヤギハラです。みなさんお仕事お疲れ様。それで、結局は何もわからなかったということでよろしいか?」

「ヤギハラさん」


 課長の手からパラパラと髪の毛が滑り落ちた。みなその艶やかさに驚いている。


「尊大な態度は謹んでもらいたい。我々は必死なんだ。必死にこの謎の狙撃手を追いかけ、それでも駄目だったんだ。努力は認めてもらいたい」

「あなたに必要なのは休養だ、そんなことを言い出すようじゃな」


 ヤギハラは嘲笑った。


「いいか、この事件は国家転覆を企てた大馬鹿の仕業なんだ。だから、こっちだって大馬鹿にならなきゃ捕まえられるわけがないだろう? そして今となっては、国家転覆なんて大それたことを言い出すやつの相場は決まってる。……たとえば、指名手配犯“來島怜奈”とかな」


 その名前を耳にしただけで、どんな刑事も苦虫を噛み潰したような顔になる。

 数年前、永田町を狙った大規模無差別爆破テロの実行犯にして、脱獄囚――いまもってその足跡は掴めていない。

 東京オリンピックの栄光を泥まみれにした、絞首刑ならずとも必ず殺せと国家から厳命されている大罪人。

 來島怜奈。


「……あの女は死んだという噂もある。それに彼女の手口は狙撃ではなかった」

「あいつが戻ってきたかどうかは重要じゃない。俺は戻ってきたと思ってるがな。問題なのは、あいつと同じ『気に入らないやつをぶち殺せば世の中はきっとよくなる』と考えているやつが今回の事件も起こしてるってことだ。そしてあんたたちの誰一人、心からそれを肯定できないから來島怜奈を捕まえられないんだ。あいつを捕まえるには、あいつと同じ土俵に上がる必要がある」

「まるで、あんたは虐殺テロを肯定してるような口ぶりだな?」


 若い刑事の中でも血の気が多い者から出た野次に、ヤギハラは振り向く。


「ああ、そうだな。ウザッてェ野郎をブッ殺せば、寝覚めはいいだろうよ。しかし、あいつのやり方じゃチト派手だな。こんな風に追いかけられてるし」

「ヤギハラさん……ここでの会話は記録に残るんですよ」

「俺は公安“無所属”だ。権利はあっても義務はない。わからんのか? ここでの捜査の全権はもうすでに俺に譲渡されてる。おまえらはお払い箱ってことだ。八人もドタマぶち抜かれてわかりませんで終わらせたんだからな」

「なら、あんたはわかるのかよ? どうやって犯人は半径1キロ以内から被害者を狙撃したっていうんだ?」

「簡単だろそんなの」


 ヤギハラは言った。


「もっと遠くから撃ったんだよ」




 ○




 誰かがため息をつく。


「ヤギハラさん、1キロを超える長距離狙撃ができるのは、専門の訓練を受けたものだけだ。つまり、法執行機関の関係者ということ。自衛隊にも、機動隊にも、1キロ狙撃ができる者はいても、その全員が素性は明白で犯行に手を貸すわけがない。それとも我々の中に裏切り者がいるとでも?」

「いないだろうな」

「では、どこかの秘密結社のスナイパーが來島怜奈と手を組んだとか? 面白い仮説だし、あんたの論旨を取るならそんなところだろうが、來島怜奈は海外でも極悪人として毛嫌いされている。あの女が企てたのは革命じゃない、純粋な国家転覆――頭のイカれた無政府主義だ。なんのメリットもなく、国家に激震を走らせたいだけのクレイジーに手を貸すスナイパーがいるものか」

「いないだろうな」

「じゃあ、なんだって言うんだ!」血気盛んなデカが立ち上がった。

「あんたの言ってることは支離滅裂だ! 捜査の邪魔をするなら、たとえ公安でも出ていってもらう!」

「おまえも本当はわかってるんだろ」


 冷え切ったヤギハラの声に、大柄な刑事の息の根が休んだ。


「來島怜奈は見つけたんだよ。どこにでもいる、誰でもない、たまたま偶然――1キロ狙撃を訓練なしにやってのけられる天才を」

「……バカな」

「バカで結構。来島怜奈は少なくともバカだぜ? 人殺しで世の中が変わるもんか……変わるなら、永田町を火の海にしたときに変わってたはずだ」


 ヤギハラが捜査本部を見る目は、どこか悲しげだった。


「狙撃手は來島怜奈が手綱を握ってる。あいつの人心掌握術は本物だ。エセ新興宗教の教祖様なんて足元にも及ばない。あいつはなろうと思えば英雄にも女神にもなれたんだ。だから、やつは俺が追う」

「……あなたが指揮を取るとして」


 冷静そうな眼鏡をかけた刑事が言った。


「我々は何をすれば?」


 ヤギハラは笑った。


「奴隷だよ」

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