02.

 少しだけがんばって、雨が降る前に、完成させた。


 なんとか、なった。雲も、いい出来。


「できた」


「ほんと?」


 小さな声の、会話。


「ちょっと待ってて」


 ノートを閉じて、狙いを定める。


「行くよ」


 小さな声で、話す。


「どうぞ」


 小さな声が、返ってくる。


 ノートを投げた。


 運動神経はある。狙いはしっかり、彼女へ。ノートが綺麗に飛んでいく。


「うわっ」


 彼女。ノートを手からこぼした。


「また取れなかった」


 彼女は、運動神経もよくない。


「ええと」


 彼女が、画を探す。頁をめくる音。


「これかな」


 見つけたらしい。


「きれい」


 眺める彼女の横顔。とても、離れた距離。


 好きだった。画を見る彼女の、目が。声が。すべてが。


「ん」


 彼女の、様子が、いつもと違う。


 何か、目元。光ったか。


「ごめんなさい」


 涙。よく見えないけど、声が。震えている。


「つい、感動しちゃって」


 違うのが、なんとなく、分かる。声。切なさを、帯びていた。


「どうしたの?」


 彼女が話し始めるのを、待った。


 何か、あるのだろうか。


「ごめんなさい」


 彼女。


 立ち上がって、ノートを持ったまま、教室を出ていく。


 教室に残された。


 ひとり。


 また、窓の外を眺めた。


 曇ってきた。降るまでに、彼女は。


 帰ってくるだろうか。


 だんだん、空が暗くなっていく。それだけを、眺めていた。彼女。なにが、あったんだろうか。


 それを訊くと、一線を、越えてしまうような、気がした。


 友達以上恋人未満。


 そのままで、いたい。


 好意を伝えて。


 お互い、好きで。


 彼女を変えてしまうのが、こわかった。


 彼女の声が。透き通って、美しい声を。変質させてしまいたくない。自分ひとりの心で、好きだという気持ちで。彼女の声を独占してしまいたくはない。


 きっと。


 彼女は。


 自分なんかよりも、もっと大きなところに羽ばたく。


 彼女は、唄がうまい。声を聴けば、わかる。


 小さな声で喋るけど、たぶん唄いはじめると、心が震える。精神と身体の奥の、いちばん重要な繋ぎ目のようなところが、ふるわせられるはず。


 そんな彼女の声を。


 自分ひとりが、奪ってはいけない。


 勉強もできるし、運動神経もある。画も描ける。器量も耳も良い。そんな自分でも、彼女のような特別な才能だけは、なかった。


 彼女を欲しがる勇気も。ない。


 雨。


 ほんのすこしだけ、降ってきただろうか。


 歩く音。


 教室の扉が開く。


 彼女が、入ってきた。


 ノートを、こちらに投げる。


 それは、ばさばさと開いて、自分のいる席とは全く違うところに。落ちた。


「帰るね。ごめん」


 小さな声。


 荷物をまとめて、教室の扉に向かう彼女。


 扉を閉める瞬間。


「さよなら」


 とても小さな声が、聞こえた。


 扉が閉まる。








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