第10話 黒2つ金1つ
「なぁ、本当に本当なんだろうな……」
可能な限り声を潜めながら傍らの少女に耳打ちをするように囁く。
その問いに少女はうんうん、と頷きで返してくる。
しかしその目はじっと前方を睨んだまま揺るがない。
暗闇の中、それでも絶えることなく灯されている明りにぼんやりと照らされて浮かぶ巨大な影、それこそがこの国、ヴァイラン王国の王城そのものであった。
「……絶対に調べるだけだからな」
虫の鳴き声も聞こえない静かな夜にはこんな小さな声でも響いてしまいそうでひやひやとしながら、それだけは伝えておく。
その問いに、ヘルマは否定も肯定もしてこなかった。
俺は胃がきりきりと締め付けられるような痛みを感じながら数刻前の己を呪う。
*
「なんだそりゃ?」
突然の発言に俺は思わず素っ頓狂な声をあげてそう尋ねてしまった。
ヘルマとその家族にとって大切だった“何か”。
それが奪われたというのだが、その犯人こそが何と国王である、と彼女はそう言ったのだ。
「国王って、この国の国王か?」
あまりにも突拍子もないことにしつこくそう尋ねる。
そんな俺の問いにヘルマはじっと黙り膝を抱えて地面に座り込んだままだった。
「……」
その言葉が嘘なのか本当なのかはわからないが、それでもにわかには信じられない。
はっきり言って俺には別に王国に対する忠義というものはない。
それには色々な理由があるのだが別にこの国のことは良くも悪くも思っていない、というのは率直なところである。
従って国王という存在についても別に何かを考えたことはない。
そもそも俺などは直接顔など見たこともなく、そういう人物がいるということしか知らない程なので好きだの嫌いだのと言う感情もない。
しかしそれでも、やはりヘルマの言葉をすんなりと受け入れることはできなかった。
国王が国民から何かを奪った、などということがありえるのだろうか。
何かの思い違いか被害妄想なんじゃないか、と心で一瞬思ったのだがそれは流石に言えなかった。
「でも、父さんも母さんもそう言ってたから」
そうしてしばらくの沈黙の後、ようやく絞り出すようにしてヘルマはそれだけを答えた。
言っていた――ということがどういう意味なのかは理解することが出来た。
「……」
そしてヘルマは再び顔を伏せてしまう。
「……わかったよ」
ため息交じりにそう言ったのはその姿を不憫に感じたからではない。
ただ、手伝ってやる、と自分で言った以上、そう言ってやることが自分がすべきことだと考えただけだ。
「約束だからな、ちょっと調べることくらいは手伝ってやるよ」
視線を向けるヘルマに一度頷いてそう答えた。
それが数刻前のことであり、
*
そ今こうしてその王城を目の前に近くの草陰に身を潜めながら俺は何てことをしているんだと後悔に囚われていたのだった。
ギルドから王城はそれなりに近く、2人の足でも大した時間もかからずに着くことが出来た。
先ほどは何か使命感のようなものに燃えてああ言ったが冷静になれば何かとてつもないことをしようとしている気がしてきてしまう。
「やっぱり城ってでかいなぁー」
そんな俺の不安など他所吹く風と、先ほどの落ち込みから一転、呑気にヘルマは城を見ながらそう呟いた。
「けど
「だから
「だって勇者ってわけでもないだろ」
ヘルマの言葉を否定しようとしたところ、彼女は視線を俺に向けるとそう返してきた。
俺を上から下まで品定めをするように眺めるヘルマ。
先ほどまで着ていた鎧を脱ぎ、真っ黒な衣装に身を包んだ俺。
身動きが取りやすい軽装に夜の闇に紛れる色、確かにこれは勇者がする格好ではない。
王城を調べに行く、と決めたところヘルマから着替えるように言われ仕方なくギルドから借りてきたものだ。
急に服を貸してくれ、と言われたときの驚いたような呆れたような受付の女性の顔が今でも忘れられない。
そしてどうもこれは今まで勇者として鎧に身を包み戦ってきた俺からすれば何とも着慣れない格好である。
何よりこれに着替えてからヘルマは何故か俺を“
だがそれを聞くと、曰く“そういうものだから”ということらしい。
現にヘルマもまた先ほどの服を脱ぎ、同じく黒い服に着替えている。
「だってこういうの盗賊っぽいだろ? だったらあんたは
どこか不安げな俺と異なり、何が嬉しいのか少し興奮気味にヘルマはそう理由付けをしてきた。
その理由はやはりよくわからないが、今言われたことには改めてどきりとしてしまう。
そう――今からしようというのはまさに“盗み”なのだ。
いや、俺としては調べることが目的であり何かを盗もうなどとは思ってもいないのだが、それは屁理屈であり行為としては同義であろう。
ヘルマはやり返してやる、と言わんばかりの勢いだが俺は中々そうもなれない。
こんなこと見つかりでもすれば注意をされる、などというぬるいことで済むはずもない。
国家反逆罪――なんてものがこの国にあるのかもよく知らないがそんなことに処されても文句も言えない。
「な、なぁせめてもっと情報を集めてからにしないか?」
なのでこの場に至って俺は尻ごみをしてしまったわけだがそれを臆病とは自分では思わない。
むしろ王城の調査をしようというのだから事前の準備をもっとすべき、というのは至極当然の提案だと思ったのだが、
「ダメッ、善は急げって言うだろ」
ヘルマはぴしゃっとそれを切り伏せた。
どう考えてもこれからすることは“善”ではないと思うのだがそんなことを言っても聞く耳は持たないだろう。
草陰に隠れながらいつまでも動こうとしない俺と対照的にすぐにでも出発したいというヘルマ。
一体どうやってこの少女を落ち着かせようか、と俺が焦った頭で考えを巡らせていると――
「貴方たち、そこで何をしているのですか?」
と、頭上から声が降ってきた。
「へ?」
突然かけられた予想外の声の方向に顔を向けると、
いつの間にそこにいたのか――
草陰にこそこそと隠れる俺たちの目の前に立ちふさがるようにして影が一つ立っていた。
暗闇に溶けるように黒い俺たちとは対照的に、ぼんやりとした月の光の下でありながらも煌々と輝く金の髪をなびかせながら、女が一人俺たちを睨んでいた。
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