第12話 自覚する

「なんだこれは」

 幸次はとある牛丼屋の券売機の前に仁王立ちになっている。カルタかなにかのようにずらりと並ぶボタンの間を細く白い指が彷徨う。うどんはどこだ牛丼はどこだ。卵はどこだ。たっぷり2分はかかったが、牛丼並ときつねうどんを選択できたところで問題の物件はあったのであった。


「卵はこれよ」「ええっ!」


 ここ、牛丼屋だよな。うどんも置いてあるけど。牛丼+こだわり、だろうか。牛丼に、拘りを少々あしらいました。ということか?

 首を可愛らしく傾げている幸次に、妻がボタンを示す。ああ、卵。

「なるほど、卵な。牛丼には卵だよな。そこに拘ったか」

 さすがうっかり、あの漢字をタマゴと呼んでしまう店だ。

 食券を持って、テーブルに座る。以前の幸次であれば、カウンターに座るなり「特盛、タマゴ」で、ガツガツかき込んでいたものだ。

 今は、あのカウンターの椅子に座れないような気がする。椅子が高いのもあるが、1人でドカッと座るのもちょっとアレかな、と思ってしまう。女性が1人で食事することに抵抗があるのを、なんとなく理解できているような。


「牛丼並とこだわり卵、それときつねうどん、お待たせしました~!」

 なんとなくそわそわしている店員から牛丼と卵を受け取り、くるくると卵を溶く。豆腐入ってるのか。

「む」

 ふとカウンターの奥に目をやると、従業員が固まってこちらを見ながらボソボソと何か話しているような。卵をどんぶりにかけながら、この外見だし仕方ないか、と考える。外国人が牛丼食べるのが珍しいのだろうか。海外にも牛丼屋はあるのだがな。

 ぐっちゃぐっちゃと丼の中身を混ぜる。卵にある程度ご飯の熱を通しておくのが、旨い牛丼の喰い方だと信じてやまない幸次だ。

「やっぱりその食べ方なんだ」

 七味を散らしながら美穂は苦笑を漏らす。

「これが旨いんだよ」

 昔と食べ方は変わらない。

 仕込みが終わった幸次は、わっせわっせと食べ始める。どんぶりはかき込むものなのだ。と、幸次は思う。

 しかし。さっきからカウンターの視線が鬱陶しい。食べてる時ぐらい何とかならんのか、これ。食べながら魔術を行使する。遠隔の小さな音を拾う魔術だ。


「やっぱり実物はかわいいよな」

「プラチナブロンドってのも情報通りだしな」

「画像でしか見たことなかったけど、ほんとにこの町にいるんだなー」

「脚とか奇麗だよなぁ、膝枕されてぇ」

「腰とか細くて折れそうだよな。抱きてぇ」


「ぐごっ!? げほっげほっ」

 咽た。あんなに生々しい会話をしているとは。しかも対象が自分である。今の若者は自分の性癖をあんなにも表に出すものなのだろうか。

「だ、大丈夫? 幸次」

 言いながら美穂は水を差しだす。

「うん、けほっ、大丈夫。ああ、吃驚びっくりした」

 差し出された水を飲み干し、咽た時に出た涙をぬぐいながら幸次が答える。

「おい、美穂」

「うん?」つるつるうどんを食べながら、目だけを幸次に向ける。

「なんか俺、隠し撮りされているようだぞ。そしてどうやらネットにばらかれているっぽい」

「ぶっ!?」

 幸次と同じ反応。

「……まあ、慌てても仕方がないんだがな。少し気にしといた方がいいかもしれんな」

「けほっ、うんそうだよね……目立つとは思っていたけれど、写真撮られてるなんてねぇ」

 2人で口の周りを拭いながら頷き合う。



「ああ、そりゃしょうがないっすねぇ」

 所変わっていつもの居酒屋『鳥一番』。焼き鳥もあれば魚もあり、最近店を継いだ主人の息子が創作料理も出すという馴染みの酒場。

 いつもの飲み相手、松村が「暇です?」とメールが飛んできたので呑みますか。ということになった。

「その外見だとテレビとかそんなのに普通に出てそうだし、日本人離れしてる顔つきとか髪とか目立ちますもん」

「お前はなんともないじゃないか」

 そういえば、周囲の人間はあまり変化なく接しているようにも思える。

「いや、だって課長だし。飲み仲間として付き合えなくなったら嫌じゃないすかー」

「お? おおう。なんだか男前なこと言うじゃないか。じぃさん!男山!」

「あ、僕もお願いしますー!」


「はい、男山。ディアーナちゃん可愛いからな。変なのに付いていかないように気を付けねぇとな」

 コップに酒を注ぎながら主人が言う。いつもながらの見事な表面張力に見惚れながら、「じぃさんもそう思うのなら気を付けるよ」と愛想笑いを返す。

 髪を手で押さえつつ、コップに口をつける。

「そういう仕草、はたから見たら色っぽいですねー」

 と松村が笑った。

 幸次は、むうっとうなりながら鳥皮をかじった。



「ただいまー。お土産持ってきたぞー」

 玄関を開けると、美衣がパタパタと出迎える。

「あ、お父さんお帰り! これ、やきとり? 丁度小腹がすいてたんだよねー。お兄ちゃん!焼き鳥だよー!」

 2階から「今行くー」と返事が返る。

「あ、お父さんにもお土産あるんだよ!」

 ニヤニヤと笑う美衣。

 リビングで焼き鳥を皿に盛り付けて、各々食べ始める。

「むぐむぐ、おいし。あ、これがお土産」

 と、テーブルにぱさぱさと封筒が。幸次は近所でも評判の美人な女の子としても知られている。

「お父さんに渡してって。モテモテですなぁ」

「……うわぁ父さん、それ男の人からだよね。多分」

「あら、浮気は駄目よ?幸次」

「……」

 見る見る渋面になっていく幸次を見て、美衣が耐えきれなくなったのか爆笑する。

「ヒィヒィ、お、お父さん、捨てちゃってもいいと思うよ?」

「……一応、断りの返事くらい書いておくよ。美衣、便箋あるか?」

「お、優しいねえ、お父さんは。勘違いされないようにちゃんと断るんだよー」

「分かっとる。こう見えても男心は理解してるんだからな。男らしくスパッと断るさ」

「男らしく」

「うん、男らしく。だ」

 微妙に幼い外見の割にはそれなりに豊満な胸を張る幸次。全員の目が生温くなる中、美衣が手を伸ばす。ツン。

「うひゃあ」

「うんうん、お父さん男らしいっ! 明日お手紙持って行ってあげるね」

「……うん、書斎行ってる」

 幸次は席を立ち、とぼとぼと書斎へ消えていった。


 美衣は父をからかったのを叱られ、幸次は深夜まで返事を書く作業を鬱々と行う。

 6通もあったラブレターに、以前会った美衣と同級生である男の子の名前が無かった事に少しだけほっとした。

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