第4話 納豆に、入れるもの
「おはよう」
「おはよう」
「おはよう、父さん」
「おはよう、ご飯出来てるわよ……ってまた髪の毛ぼさぼさにして!」
幸次がリビングに入ると、家族はちょうどテーブルに着いたところであった。
が、幸次がリビングに入ってとたんに妻の美穂に捕まり、洗面所で髪を直される。曰く、伸ばした髪をぼさぼさにしておくのは、元が良くても良さを打ち消してしまうくらいみっともないのだとか。暫く自分で身だしなみを整えることが無かった幸次はそんなものかと納得しそうになるのだが「こんなにかわいい女の子になったのにもったいない」……女の子ねぇ。
「いただきます」
テーブルの上は、ご飯、レタスとトマトのサラダ、しじみの味噌汁、作り置きしていた小鉢の中身は今日は茗荷(みょうが)と胡瓜の酢の物。とそして納豆。
朝の慌しさの中始まった、穏やかな食卓。
そこに、一人だけ穏やかとは程遠い人物。
幸次の妻、2児の母、美穂。嫌そうな顔を隠そうともしない。幸次が行方不明になってから、これが嫌でパン食であったのだが、今日の朝食は全面的に幸次の希望を反映させたものになっている。この食卓にはあるはずのない透明なガラスの器に入った白い「それ」。
「あ、お父さん、ソレ、こっちにも頂戴」
「おう」
「あ、美衣、ソレ、こっちにも」
「はーい」
白い「それ」は夫と子供たちの間をめぐる。
ねっちょねっちょねっちょねっちょねっちょねっちょねっちょねっちょねっちょねっちょねっちょねっちょ
でろぉぉん。
目を覆いたくなるような光景を眺めつつ、納豆と薬味のネギが入った小鉢に醤油を入れる美穂。
(なんで納豆に砂糖入れちゃうのよぉぉぉぉぉ!!!!!)
夫と子供たちは、砂糖を投入してご飯にかけちゃうのである。しかも実においしそうに食べる。
「お母さんって醤油派なんだよねー。変わってるよね」
「……」
絶対変わってないと思う。この子供たちは学校給食で何とも思わなかったのだろうか。と美穂は思う。
「まあ、醤油も悪いものじゃないさ。たまたま好みがそうだっていうだけだ。気にするようなことじゃないぞ」
「…………」
食育に失敗したのだろうか。他の食べ物については世間と同じ感覚を持っているように思うのだが、納豆の食べ方については、気が付いたら幸次の食べ方を踏襲していたのだ。美穂が焦ったときには既に手遅れであった。
もっきゅもっきゅと、頬を膨らませておいしそうに食べる幸次。じっとりと元凶となった幸せそうな顔で口を動かす幸次を睨んでいたが、仕方ないとため息を漏らす美穂。せめてこの子たちに孫が生まれたら、全力で守ってあげようと思う。
「ごちそうさん」
「……おそまつさま」
食後のお茶をご版茶碗に注いでずずっとすする幸次(美穂はこれも耐え難いのだ)。
「幸太は今日は放課後はあのバイトか?」
魔獣狩りなどといういささか危険なアルバイトに精を出している幸太は本日は帰りが遅い様子。
「だねー、9時近くなるわ。飯、とっといてよ。母さん」
「はいはい」
「ごちそうさまー! 納豆久しぶりだったなぁ。あ、お父さん」
こちらも砂糖入り納豆を食べ終えた美衣が、父に向き直る。
「あのさ。お父さんのお土産」
「ん、おう」
幸次は、向こうの世界から帰ってきたとき、いくつか異世界土産を持参したのであった。が、転移時のトラブル(幸次が自分で魔法陣を壊したのであったが)、女の子用に用意したあれやこれやを向こうの世界に置きっぱなしにしてきてしまった。そこで、機転を利かせた(と自分では思っている)幸次が持っていた生活用品、「櫛」をプレゼントしたのであった。
「あれ、すごいね。髪が荒れてたんだけど、つやが出てきてさ。あれってどういう仕組みなの?」
「魔法だ」
「魔法」
「うむ」
あの櫛には、治癒の術式がかかっている。長く使えるように、ごく弱いものであるのだが。強い術だと、素材が耐えられない。あの櫛は、聖木の枝から削り出したものだ。いいものではあるが、所詮は木。強い術式をかけたければ、それなりの素材を使わなくてはならない。オリハルコンとか。オリハルコン櫛。
「あれって、お父さんが魔法かけたの?? やっぱり。治癒かぁ、それで枝毛とかも治っちゃうのかぁ」
「うん、そうだな。物に術式を仕込むのは高度な知識と技術が必要だからな。魔力もないと駄目だし。あと、治癒でキューティクルも修復されるはずだ」
「じゃあさ、こういうの作ってーってお願いしたら作ってくれるのかな」
「ん、自分で使う分には構わないぞ。あと、目立つのもだめだぞ」
幸次の魔術は家族限定と決めてある。
「防犯ブザー的なのが欲しいんだよね。鳴らすとお父さん迎えに来る感じで」
「携帯があるだろう」
「そうじゃないくて、変な男につけられたときとかさ、カチっとボタン押すと発動する感じで」
「男だと。そいつを原子分解する感じでいいか」
過剰に反応する父が物騒な提案をしてくる。
「あ、そこまでしなくていいです。こう、ピリッと来る感じで」
「ピリッとか。じゃあ、とりあえずこれかな」
と、何もない空間からストラップのようなものを取り出す。
「相手を見ながら適当に放ると、相手が吹き飛ぶ。その時の魔力放出で私が気が付く。というわけだ。持ってお行き」
「へぇぇぇ、ありがとう!」
「発動したら飛んでいって始末するから。一度きりの使い捨てだから無駄遣いするなよ?」
「始末って」
「美衣はそろそろ出ないと遅刻じゃないの?」
「あ、やば、始業式に遅れちゃう! 行ってきますー! お父さんは飛んできちゃ駄目だよー」
「おう、いってらっしゃい」
「さて、俺は書斎で美衣の魔道防犯グッズでも作ってるよ」
「魔道て」
「幸次、わたしのもお願いね」
「はいはい」
ピンクのモコモコした、猫の顔が甲の部分についているスリッパをパタパタさせつつ、幸次は書斎へ引っ込む。
「さて、なに作ってやるかなぁ……相手を転移で南極飛ばすか」
物騒な独り言をつぶやきながらペタペタ歩く美少女。
これも佐藤家日常のひとコマ。
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