第2話 天井を、拭く

「父さん、なにやってんの」


 数年前に失踪。実は異世界にいたという父が元の世界に帰って1週間経ったある日。早春の暖かな日差しが射し込むリビング。日が大きな窓から射すとはいえ、朝はまだ冷え込むのであるが。そのような時間帯、今日は土曜日で学校は休みなのか、一人息子の幸太がいつもより2時間ほど遅く起きてきた。ここは都心から1時間ほども離れており、通学のために毎朝7:00には自宅を出ていくが、たまの休みは寝坊のひとつくらいするのであろう。


 起きてリビングで新聞読もうとソファに深く腰掛けたところで、気配を感じ……天井に張り付いてる父(44歳・美少女)を発見した。なにやら、天井に四つんいになって(つまりひっくり返っている)、雑巾片手に丹精しているようだ。


「ん、おはよう。掃除しとる」


「あ、うん。それはわかるけどさ、なんとなく」


 夫婦共、マイペースで常に斬新な家庭像を子供たちに示していた幸次の行動は、世間の行動パターンとは常に一線を画すのである。小学校の授業参観で夫婦そろってやってきて、幸太が算数の問題を答えられたとき、ハイタッチして喜ぶ程度であったのだが。帰還してからもそれは如何いかんなく発揮されているようで、確かに天井に張り付いている美少女は幸太の父であることを実感させてくれる。

 父だなぁ、と思いながら幸太はとりあえず新聞を広げ、3面記事から読み始める。気分的に楽だからだ。1面は朝イチで読むにはちょっと暑苦しいと思っている。


「この部屋では」


 父が何か言い出したので、適当に返す。


「うん」


「すき焼きとかお好み焼きとか焼くじゃないか。父さんが帰った日はすき焼きだったし、昨日はお好み焼きだったし」


「うん、そうだね」


「あれやると、油が天井についてしまうんだな。ちと気になってしまった」


「ふうん」


「あ、お前が神戸牛を自分で買ってきたときは嬉しかったぞ。こんなの買ってくるくらい大人になったのかってな。父さん、ちょっとうるっときた」


 すき焼きを見て、美少女がポロポロ泣いてたのはそういうことか。ぜんぜんウルっとってレベルじゃなかったのだが。意外と高額な給料が出るバイトは、それなりの危険を伴うがそれで生活も潤っているのだ。


「かわいい女の子が、肉を前に泣いてたのはなんか眼福だったよね」


「あの生温い空気はそういうことだったのか」


「たぶんね。あのさ、父さん」


「ん?」



「普通にスカート履いてるじゃん?」


「ん、そうだな。昔から母さんが買ってくるものを着てるからな」


「あ、やっぱりその姿でも変わらないんだ」 昔から妻が買ってくる服を何も言わずに着ているのである。


「そうだな。スウェットのほうが楽だとは思うがな」


「だよね。ところで」


「うん?」


「さっきからすげぇパンツ見えてるよ?」


 さっきからチラチラと白く細い脚とハート柄のパンツが、幸太の目の端でちらついている。父とはいえ、中々気になるところではある。


「おお、まぁスカートだからな。仕方ないな。俺みたいな超絶美少女のパンツ見て興奮したか。若いな」


 いや、確かに若いけどさ。見た目はそっちのほうが若いんだけどなぁ。


「いや、ちがくて。恥ずかしかったりしねぇのかな、と」


「きゃあ、とか言ってほしいとか?」


「そうじゃなくて」


「リアル思春期な美衣と違ってな。中身はいい年してるしな。おばちゃんみたいなもんだな」


「おばちゃん」


「だな」


 確かに。おばちゃんはそんなにきれいな肌してないし、そんな柄のパンツ履かないし。


「そのパンツは母さんの趣味、か」


「いや、これは美衣だな。借り物だ」


「借りたの」


「うむ。帰還した日に着替えが無くてな。頼んだら貸してくれたぞ」


 父が失踪する前は、クサイとかなんとか言って近寄りもしなかったのに。パンツ貸すなんて、妹の頭の中はどういうことになっているんだろう。今ここに美衣がいたら怒られそうだよな。自分が。理不尽だが。


「父親が娘にパンツ貸せって言ったのか。見たかったな。ところで」


「うん」


「どうやって天井に張り付いてるの」


 父は異世界から帰還しただけあって(?)、魔法を使えるようになっていた。初日のスキヤキの時は、カセットガスを切らしていたのだが、魔法を使ってホットプレートのように鍋を熱くしていた。火とか出すのかと思っていたが。


「魔術だ」


「あれか? 浮遊術ってやつ? 」


「その一種だな。重力を無くすとかそんなんじゃないが」


「え、違うの」


「魔力の板を生成して浮かせたそいつに乗っかる感じだな」


「ふうん、なんで四つん這い?」


「ああ、浮かせてはいるが、均衡をとるのは難しいのだ。それで、ちょっとだけ浮力を強めにしているのだ。そうすると、天井に張り付いてしまうからな。それで、手足で支えているというわけだ。立っていてもいいが、長時間だと首が疲れるしな」


「なるほど、加減が難しいんだね」


「そうだな。緩めると下がってきてしまうからな」


「なるほど。あのさ」


「うん」


「雑巾だけ天井に飛ばすって手もあるんじゃない?」


「……」


「……」


「父さんは」


「はい」


「そんな子に育てた覚えはないぞ」


「様式美、ですか」


「様式美、だな」


 そうかなぁ、こういうの、様式美っていうのかなぁ。と幸太は思う。


「精進が足りないみたいだ、ごめん、父さん」


「うむ。ちょっと難しかったな」


 佐藤家のリビングには、新聞をめくる音と天井を拭く音のみ。休日の朝特有のゆったりとした時間が過ぎていく。


 今日もいい天気だ。

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